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第17話 ラビの災難


「うわぁ、綺麗です!」


 幻想的な淡い緑の光を放つ、夜光茸の群生地。その光景に目を奪われたラビが駆け寄ろうとした瞬間、背後から伸びたリーチェの手が、容赦なくその襟首をひっ掴んだ。


「んぎゃっ!?」悲鳴を上げる暇もなく口を塞がれ、耳元で氷のように冷たい声が響く。


「静かに。目的地は、もうすぐそこよ」

「……目的地? いったい、何があるんですか」

「何があるか分からないから面白いのよ」

「何があるか分からないから恐ろしいんですぅ……。でも、あのキノコ、とっても美味しそうですね」


 食い意地を隠しきれないラビの言葉に、リーチェは呆れたように溜息をついた。


「ラビ……。『綺麗』と『美味しい』は別物よ。いいかしら、 自然界において『目立つ』ということは、それだけで強者の証か、あるいは猛毒の警告色なの。あんなに無防備に輝いていられるのは、襲われる心配をしていないからよ」


 リーチェが、随分と『お姉様』らしいことを言う。ついこの間『このキノコ……美味しいかな?』と、自分でも言っていたはずなのに。


「襲撃されたばかりだというのに、警戒する様子もなしか。……踏み荒らすこともなく、お行儀よく、優雅に食べて帰っているわね」低く、忌々しげな声が響く。ロキエルがその場にしゃがみ込み、鋭い視線を落としていた。


 そこには、不自然な空白があった。あるべきはずの夜光茸は、こそげ落とされ、根元を残して消えている。噛みカスのひとつも落ちておらず、ただそこだけが、茸の傘をなめとったように、喰らい尽くされていた。


 「舐められたものね。……我々の存在など、歯牙にも掛けていないというわけね」ロキエルは獲物の気配を追うように闇の奥を睨みつけ、吐き捨てる。その瞳には、無視されていることへの静かな、しかし苛烈な殺意が宿っていた。


「あ、これって、誰かが食べた跡ですか?」ロキエルの隣にちょこんと、膝を抱えて座り込んだラビが、期待に満ちた顔で尋ねる。


「私、思うんですけど。この世界には毒を持つ生物って山ほどいますよね。それを偉大なる先人たちが、勇気を振り絞って試してきたからこそ、今の豊かな食生活があるんじゃないですか。毒があっても美味しく食べられるものだって沢山ありますし、解毒の方法を開発してきた人々も、多大な犠牲を払ってきたはずです。……私は、その方々に敬意を払う意味でも、まずは私が、この未知なる味の扉を叩くべきだと思うんです!」


 拳を握りしめ、妙に熱っぽい瞳で力説するラビ。その視線の先には、まだ残っている瑞々しい夜光茸が、まるで『食べてごらん』と言わんばかりに怪しく、美しく発光している。


(この子って、幼いながらも思考の方向性が、どこか組合長に似てるわね)ロキエルは、リーチェと顔を見合わせて苦笑いだ。


「……感心な心がけね。その飽くなき探究心が、近い内に、ラビの墓碑銘に刻まれることになるでしょうけれど」リーチェは冷ややかに言い放ち、ラビの襟首を再び強く引き絞った。


「ぐえっ!? リ、リーチェ姉様、苦しい、苦しいですぅ!」

「黙りなさい。組合長には『かすり傷一つでも負わせないで』と言われているけど、『手荒に扱わないで』とは言われてないわよ。ロキ、そっちの様子はどう?」リーチェの問いかけに、地面を凝視していたロキエルがゆっくりと立ち上がった。その指先には、夜光茸の菌糸に混じって、粘り気のある体液が付着している。


「……食痕の断面が真新しいわ。おそらく、つい今しがたまでここにいたはずね」ロキエルは忌々しげに指を振って汚れを落とすと、闇が濃くなっている森の奥に目を向けた。


「あ、見つけた」リーチェが拾い上げたのは『それ』だった。


「何をですか?」背後から覗き込もうとしたラビの顔面を、リーチェの掌が迷いなく鷲掴みにする。


「あううっ!? な、なん……くちゃい! 」悶絶するラビを余所に、リーチェは付着した『それ』を、ロキエルに差し出す。


「はい、ロキ」

「ん」受け取ったロキエルは、躊躇なく自らの唇を噛み切り、掌に血の混じった唾を吐きかけ、手慣れた様子で『それ』と混ぜ合わせると、自らの顔へと、おどろおどろしい文様を刻むように塗りたくっていく。


「……こんなもんかな」描き終えたロキエルの顔には、とんでもない威圧感と、それを上回る『生理的な嫌悪感』が漂っていた。


「ひ、ひぃぃ……。ロキ姉様、顔、顔が怖いです!」涙目で鼻を抑え、腰を浮かせて後ずさりするラビを、ロキエルは感情の消えた瞳で見据える。


「匂いを消すには、最も効率がいいのよ」

「効率の問題じゃないです! 乙女の顔を掴んで『それ』で汚したリーチェ姉様も、『それ』を平然と塗りたくるロキ姉様も、どっちもおかしいですぅ!」


 叫ぶラビを無視して、リーチェは自身の掌をラビの服の裾で丁寧に拭い取ると、満足げに頷いた。


「行くよ、ロキ。ラビは臭いのが嫌なら、ここで置いていくけど?」

「……っ! うう、置いていかれるのはもっと嫌ですぅ」ラビは泣く泣く、異様な臭いを放つ二人の背中を追い始めた。一歩、また一歩。森の奥へ足を踏み入れる。


 ロキエルの顔に刻まれた紋様が、時折こぼれ落ちる月明かりに照らされるたびに、まるで生き物のように蠢いて、見えた。


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