第15話 制圧
扉を叩く音がした。
「広間の騒ぎが、もはや収拾がつきません。予想通り、煽動者が紛れ込んでいた模様です」
駆け込んできた職員の報告は不穏だったが、その声には奇妙な静けさが宿っていた。ウィルヘルムも至極落ち着いた様子で応じる。
「……頃合いか」
「ええ、参りましょう」組合長もまた、全てを見通しているかのように静かに立ち上がった。
「マリを連れて行くわけにはいかないな。この部屋の警備はどうなっている?」
「警備兵を増員させ、鉄壁の守りを敷いております」職員の答えは頼もしげだった。
「そうか。――念の為、誰か残ってくれるか?」その問いが終わらぬうちに、組合長の影から少女が音もなく踊り出た。
「我が命に代えましても」少女の瞳に宿るまっすぐな意志は、当初の疑念を消し去るのに十分だった。ウィルヘルムという男に惹かれ、集まってきた仲間たちには、たとえ昨日までの敵であっても、その腕前と覚悟に嘘がなければ受け入れてしまう懐の深さがあった。もはや、誰も異論を唱える者はいない。何よりマリの安全を優先する一同が、異論を差し挟む余地もないほど、少女の実力は疑いようのないものだと確信していた。
ただ独り、その判断を真っ向から否定する者がいた。
「だめーっ!」マリだった。
「マリは、ひとりで、だいじょーぶ。あっちいけ」ぷくっと頬を膨らませ、少女の背中を両手で優しく押して、組合長と寄り添わせる。
「……まったく、この子は。いつだって理不尽よね」ロキエルは、やれやれ、と息を吐き、目尻を下げて天を仰いだ。その場に漂う、甘く気恥ずかしい空気に、一同は頬を緩めて目を逸らす。この愛らしい『理不尽』に、反論できる者など、ここにはいなかった。
唖然として棒立ちになる少女を、組合長が愛おしそうに抱きしめる。
「そうね、私も『わが命に代えましても』なんて台詞を、貴女に許した覚えはないわ」組合長の慈愛に満ちた眼差しに、少女の肩からすとんと力が抜けた。それを見届けたマリは、満足げに一つ頷くと、トコトコとロキエルの足元へ駆け寄り、その裾をぐいと引っ張った。
「そうだなマリ。じゃあ、世界で一番安全、いや、安心できる場所に、おいで」見上げる小さな瞳に応えるように、ロキエルがマリをひょいと抱き上げた。
「私も賛成だわ。安全よりも、安心が大事ね」リーチェは瞳を輝かせ、「これ、お借りしますね」と、言って壁にかけてあった模造刀を手に取った。
「安全よりも、安心が大事……か。そんなものかねぇ」ハンスは片眉を上げ、苦笑いして独り言を漏らす。
「あぁ、そんなもんだ。俺にはよく分かるぜ」ウィルヘルムがハンスの肩を叩き、笑顔で、弾むような声を上げる。
「さあ、行こうか」その一声で、あたりの空気は鮮やかな色彩に包まれる。
先陣を切って少女が征く。
扉を開けた先に居並ぶ警備兵に冷たい笑みを浮かべると、
「――――っ!」声にならない悲鳴を上げて壁に張り付くように後ずさった。マリとさして変わらぬ年端のいかない少女だというのに、放たれる威圧感は常軌を逸していた。訓練されたはずの兵士たちは、腰の剣の柄に触れることも、声を出すこともできない。ただ本能が「逆らうな」と叫び、恐怖で喉が震えるのみ。少女の笑みに宿るのは、マリを、そして組合長を守るための冷徹な狂気か、それとも強者の余裕か。
静まり返った廊下に、一行の足音だけが軽快に響いていった。
「……勝てる気がしねぇ」警備兵は、遠ざかっていく一行の背中、その先頭を歩く少女の凛とした後ろ姿を、眩しそうに見つめたまま呟いた。
ハンスは、隣を歩くロキエルの腕の中で楽しそうに揺れるマリを見て、もう一度小さく独り言をこぼした。
「安全よりも、安心……か。なるほど、理屈じゃないな」
広間の巨大な扉が、少女の手によって静かに、しかし力強く押し開かれた。その瞬間、広間を支配していた喧騒が、まるで暴力的な濁流となって一行に押し寄せた。
「組合は我々の声を無視するのか!」
「責任者を呼べ! 説明しろ!」怒号と罵声が響き渡り、人々の不満が爆発していた。
しかし、先頭を歩く少女が一歩、広間の床を踏みしめた瞬間、その熱狂に冷や水が浴びせられた。
「――静かに」少女の声は決して大きくはなかった。だが、その場の空気を一変させるほどの力を持っていた。最前列で気勢を上げていた男たちが、凍り付いたように言葉を失う。彼らの視線は、少女の背後に続く、悠然とした歩みのウィルヘルムと組合長へと注がれた。
「……何だ、あの子どもは?」「遊び場じゃねえんだぞ!」 一部から上がった野次に、ウィルヘルムが不敵な笑みを浮かべて前に出る。
「ああ、遊び場じゃない。ここは、俺たちの未来を決める場所だ」彼の声は、混乱した広間の空気を塗り替えるような力強さに満ちていた。
少女は群衆の中を最短距離で広間の中央へと進む。少女が視線を向けるだけで、屈強な男たちが左右に割れ、道が作られていく。その光景は、静かな威圧感に満ちていた。
中央に辿り着いた組合長が、静かに、しかし威厳を持って一同を見渡す。
「扇動者に踊らされるのは、そこまでにしなさい。私たちは、叫び合うために集まったのではないはずよ」その傍らで、少女は組合長の背後に、すっと下がり、再び影のように気配を消した。
「さて」ウィルヘルムが広間の中心で両腕を広げた。
「理屈は後だ。まずは、誰が本当にこの場所を、この街を愛しているのか……はっきりさせようじゃないか」
広間を埋め尽くす人々の様々な思いが激しく交錯する中、物語は新たな局面へと動き出そうとしていた。




