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第12話 品種改良


 商業組合の内部は、かつてないほどの熱気に包まれていた。


 扉を開けた瞬間に、むせ返るような熱気と、床を震わせる地鳴りのような喧騒が吹き出してくる。中央の広間には、情報の真偽を確かめようと血眼になる商人や、伝説の素材を一目見ようと各地から駆けつけた職人たちがひしめき合っていた。


「本当に緋龍の骨が出るのか!?」

「どの工房が指名されるんだ!」


 あちこちで怒号に近い声が飛び交い、対応に追われる職員たちの間を書類が舞う。まさに組合全体が、熱狂という名の渦に飲み込まれていた。


「お祭りしてるの……?」

圧倒されたようにマリが目を丸くすると、ハンスが彼女の頭にぽんと手を置き、苦笑を浮かべた。

「あぁ、そうだ。残念ながら、美味いもんが出る屋台は一軒もねえがな」


「ほらマリ、危ないからこっちに」

優しく手を引くロキエルだが、その視線は鋭く周囲を射抜き、音もなく威嚇を振りまいている。背後のリーチェも同様だ。もしマリがその形相を見れば、泣き出してしまうに違いない。さらには、ハンスが目を眇めて一行を先導すると、この喧騒を作り出した張本人が目の前にいるというのに、誰一人として声をかけるどころか、近寄ろうとする者さえいなかった。


 そんな混雑のなか、人混みが不自然に左右へと割れた。奥から組合長が歩み寄ってくる。


「大勢で押しかけて済まんな」ウィルヘルムが声をかけると、組合長は微笑んで、優雅に一礼した。


「いえいえ、歓迎させていただきますわ。これほどの『特需』を連れてきてくださったのですもの」


 ウィルヘルムは、戦場さながらに立ち働く職員たちの喧騒を見渡した。

「それにしても、凄まじい活気だな」

「無理もありませんわ。殿下が『緋龍の骨』を供出されるという噂に、職人たちは色めき立っておりますから」

組合長は、試すような視線をウィルヘルムに投げかけた。

「昨日、殿下自らお越しになったことが、すぐさま広まって信憑性が高まり、噂は事実に変わったようです。……ふふっ、すべては殿下の筋書き通り、といったところかしら?」

艶っぽい笑みとともに向けられた言葉を、ウィルヘルムは無表情に聞き流し、ただ静かに広間を見つめ続けた。


「さ、立ち話もなんですから。執務室のほうへ」

組合長の案内に続こうとした時、不意にマリがロキエルの手を振り払うなり、組合長に駆け寄り、抱きついた。


「ふふっ、マリは相変わらず元気ね」組合長は挑戦的な笑みをたたえ、ロキエルとリーチェに見せつけるようにマリを抱き寄せた。瞬間、二人の瞳に鋭い光が宿る。それはマリを守ろうとする保護者の警戒心か、あるいは剥き出しの嫉妬心か。


 執務室に入ると、そこにはすでに人数分の予備の椅子が整然と用意されていた。もちろん、今日訪問する人数を通告していたわけではない。つまり、最初から、ここに来る人数を見越していたことになる。(――監視が付けられているということかしら、しかもそれを隠そうともしないのね)ロキエルとリーチェは、どちらからともなく視線を交わし、音もなく頷き合った。


 組合長は、一同に席を勧めて、自らも、ゆったりとした仕草で腰を下ろす。マリを離そうとはしない。その膝に囲い込んだまま、慈しむように、そして誇示するように。


「あ! 良い香り」唐突なマリの独り言に、一同は、いぶかしげな視線を交わしあった。


 すぐに、給仕服姿の少女がワゴンを引いて現れる。運ばれてきたのは、芳醇な花の香りを放つ淹れたてのお茶と、端正に並べられた焼き菓子の皿だ。以前にも対峙した、静かな殺気を放つ少女だ。配膳を終わると、ワゴンはそのままに、そっと組合長の影に寄り添うようにして気配を断つ。ロキエルが、そしてリーチェが、すぐさま身構えるのを余所に、マリは無邪気に焼き菓子を口に運んだ。


「おいしー!」


「ふふっ、違いが分かるかしら?」組合長が勝ち誇ったように微笑む。だが、マリが返した一言が、彼女の表情を凍りつかせた。


「ちがい?……小麦粉!」


 一同、意味を測りかねて沈黙した。見た目は何の変哲もない焼き菓子だが、『マリが認めた』という事実は、皆を突き動かすには十分だった。我先にと焼き菓子へ手を伸ばす。軽快な歯ざわりの後、バターの芳醇な風味が広がり、上品な甘みが余韻を締めくくる。確かに美味しい。しかし、違いが『小麦粉』とはどういうことか。一同が再び首を傾げた。


 すると、組合長がうろたえながら、絞り出すように言った。

「……品種改良した小麦を使っているの。試験段階で収穫量も少なく、まだ市場には一切出回っていないわ」

ティーカップを持つ手が、僅かに震えている。

「最高級バターの風味、砂糖の品質、あるいは焼成技術の高さ――普通は、いえ、鋭敏な味覚の持ち主であっても、そちらに意識が向くものでしょう。何故、小麦粉なの?」


 ロキエルはその言葉に大きく頷くと、マリに問いかけた。

「マリ、どうして小麦粉だと思ったの?」

「……う~ん。バターも砂糖もお菓子作りも、みんながんばった。えらい!マリ、とってもそんけーする。でも、ちがわない。マリが知らないのは小麦粉だけ」


 マリの答えは決して奇を衒ったものではなかった。そもそも、前提となる認識が噛み合っていなかったのだ。組合長は『技術』の違いを誇り、マリは『本質』の違いを答えた。一同が釈然としない顔をする中、ロキエルが代弁するように口を開く。


「つまりマリは、こう考えたのかな?バターも砂糖も、精錬技術が向上して、格段に品質が良くなっている。お菓子作りの職人さん達の技術もね。みなの努力には頭が下がる。けれど、それはあくまで既存の土台が進歩したもの。対してこの小麦粉は、これまでに食べたことのない、全く別のもの……。だから小麦粉が『違う』と答えたのね」


 マリは、ロキエルの問い掛けには答えずに、頬を膨らまして、口をモグモグさせている。


「この子ったら……」組合長は逃がすまいとするように、膝の上のマリを抱く腕に、そっと力を込めた。


 ――――と、その時。


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