第11話 信用第一
「ほら、マリ。暴れないで!」
ロキエルがどれほど宥めて膝に載せようとしても、マリは右へ左へとはしゃぎ回る。石畳の継ぎ目を踏み越えるたび、車体は激しく上下に跳ねた。その衝撃で天井に頭をぶつけそうになりながらも大喜びで、挙げ句の果てには、窓から身を乗り出しては声を上げ、喧しいことこの上ない。
速さを重視した馬車は、お世辞にも広いとは言えなかった。大人四人に子供一人。五人も乗り込めば、車内は膝が触れ合うほどの狭苦しさだ。
「まあまあ。たまの外出なんだ、大目に見なよ」宥める側のはずのハンスが、揺れに合わせて器用に身を揺らしながら、他人事のように楽しそうに笑う。
「それよりウィル、その書類は何?」リーチェもマリの暴れっぷりを、楽しそうに見ていたが、ウィルヘルムに問い掛ける。
リーチェの問いに、ウィルヘルムは手元に落としていた視線を上げた。
「ああ、これか。緋龍の素材の、処理に関する案だ」
リーチェはちらりと外の馭者へ目を向けると、両手で自分の耳を塞ぎ、『聞かれても大丈夫?』と視線で尋ねる。ウィルヘルムは、その細い手をそっと握って下ろさせると、静かに首を振った。
「構わないさ。隠し通すほどのことでもないからな。『緋龍の骨』に関しては、今すぐ流通させても何ら問題はない。だが、革や鱗の方は加工工程に課題が山積みでね。軍事転用される可能性は排除しきれないし、今はまだ組合で研究と精査を続けている段階なんだ」ウィルヘルムが眉をしかめて続ける。
「ただなぁ、早急にかたづけなきゃいけない問題は、あの、山積みになった肉塊だよな」
「くちゃいの、やー!」耳ざとく聞きつけたマリが、ロキエルの腕から逃れてリーチェの膝にちょこんと座り、「ぷいっ」と頬を膨らませて話に割り込んできた。リーチェはマリを、ゆったりとした優しい手つきで抱き寄せると、眼鏡の端に指をかけ、チラリとロキエルに視線を投げかける。
(むっきー! なに、その勝ち誇ったような顔)ロキエルが心中で毒づくのを余所に、リーチェは笑みを浮かべてマリに同意する。
「そうね。マリちゃんは鼻が良いから尚更よね。私もあの臭いには参っちゃうわ」
ウィルヘルムは手元の書類を指で弾いた。
「あれを有効活用する案があるんだ」
「まさか食べるの!? それとも肥料にでもするっていうの?」
「乾燥させて粉にし、魔獣除けにする。強力な個体の臭いを下位種が忌避するのは、実証済みだ」
「……何だか怪しげな話ね。でも、住民が魔獣の被害から解放されるなら、いい話じゃない」
「事は、そう単純ではないんだよ」
じっと大人しく話を聞いていたマリが、再び鼻をつまんで顔をしかめた。
「……くちゃいの、みんな、いやがる?」
「そうだ。マリは賢いな。いくら住居から離れた緩衝地帯に撒くとしても、雨が降り、風向きが変われば、街中が耐え難い悪臭に包まれることになる」
「問題はそれだけじゃねえ。下位種を遠ざけるだけならいいが……違うのがな」
ハンスが苦虫を噛み潰したような顔で言葉を濁す。馬蹄が石畳を叩く規則正しい音が、妙に重苦しく響いた。
「もっと、つおいの来るかも?」マリが小首を傾げた。
「……よく分かったな、マリ。その通りだ。この臭いは、とんでもない化物を引き寄せる呼び水になりかねない」ハンスが感心したように応じた。
ウィルヘルムの横顔を、流れる車窓の光が断続的に照らしている。誰に聞かせるでもなく、独り言のように、古くから語り継がれる逸話を静かに口にする。
「古代の話だが、決して割れないガラスを作った職人がいた。彼は喜び勇んで、それを王に献上した。……どうなったと思う?」
マリに見えないよう、ウィルヘルムは、そっと自分の首に手を当てて、断頭の仕草をしてみせた。リーチェが忌々しそうな表情で、その先を継ぐ。
「王は、既存のガラス職人たちの利権を守らざるを得なかった。技術を闇に葬るために、その職人を……」
「王様、職人さんを、どうしたの?」不穏な空気を感じ取ったのか、マリが不安そうに大人たちの顔を覗き込んできた。
「職人さんが、王様に叱られちゃったのよ」ロキエルが、ここは私の出番だとばかりに皆を制するように手を広げて、言った。
「へんなの。みんな便利になるのに」マリは不満顔だ。
「ああ。今の状況も、それと同じだ。魔獣除けが普及すれば騎士団の負担は減る。だが、討伐報酬で生計を立てている狩猟者たちの食い扶持を奪うことにもなる」
「あ! そーか。ほかのガラス職人さん、仕事なくなるとこまる」
マリが幼いながらも、問題の本質――利害の対立を的確に理解したことに、車中の一同は息を呑み、驚嘆の眼差しを交わし合った。
「まあ、現体制で住民に被害は出てねえんだ。効果が実証されてるんなら、余所に売っ払っちまえばいいんじゃねえか?」
ハンスの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ロキエルとリーチェの声が、重なった。
「駄目よ!」「駄目ね!」
女性陣二人の剣幕に、ウィルヘルムは背中に、いやな汗が流れるのを感じた。基本的にウィルヘルムの思想は清濁併せ呑むという姿勢なのだ。密かに考えていた(バレないように闇ルートを使って、何処かに売っ払っちまうのもアリだよな)という計画ごと、慌てて心の奥底に封印して、胸を撫で下ろす。
「……ああ、駄目だな。信用を積み上げるには長い時間がかかるが、失うのは一瞬だ。一度失った信用を取り戻す労力を考えれば、始めからやり直したほうがマシなぐらいだからな」ウィルヘルムは白々しくも、堂々と言い放った。
更には、マリの一言がハンスの心を抉る。
「信用、だいいち!」




