第10話 緋龍の骨
「……まぁ、それはともかく」
ウィルヘルムは、一同から向けられた、気恥ずかしいほどの信頼の眼差しを振り払うように、強引に話題を切り替えた。ふと、背後の入口の方で、小さな物音がした気がして振り返るが、そこには誰の姿もない。
「あれ? マリが来たかと思ったが……。違ったか」期待外れだとでも言いたげな彼の独り言に、リーチェがクスクスと喉を鳴らした。
「マリちゃんならまだ戻ってこないわよ、ウィル」
「え!あいつ、厨房にいないのか?こんな時間にどこへ行っているんだ?」ウィルヘルムが声を荒げる。
「主厨房よ」
「独りでか!」
勢いよく身を乗り出したウィルヘルムに、リーチェは「やれやれ」と、呆れ顔だ。
「そんなに目くじら立てないの。総料理長と一緒よ。あちらが夜宴の準備でここに来られないって、わざわざ総料理長が知らせに来てくれたから『じゃあ、いっしょに食べる!』って言って。出来たてのレバーペーストが入ったテリーヌ型を抱えて、風みたいに飛び出していっちゃった。総料理長がマリちゃんを抱え上げて、大笑いしているところを見ているから安心よ」
「あいつらしいな」その光景が容易に想像できたのだろう。ハンスが笑みを浮かべる。
「今頃はあっちで、レシピについて質問攻めに遭っているはずよ。当分は帰ってこないわ。……帰りは常日頃から主厨房の護衛官に送ってもらうよう、念押しして頼んでいるから。ね?」リーチェのたしなめるような、しかし慈しむような言葉に、ウィルヘルムは行き場を失った拳を静かにカウンターへと戻した。
「まぁ、マリが戻らぬうちに、今日の本題だ。これを見てくれ」ウィルヘルムが古びた革袋のなかから、何か光る物を取り出した。
「なぁにそれ?」リーチェが身を乗り出して覗き込む。乳白色の表面に真珠のような光沢をたたえていた。
「それって、組合長から受け取った物?」と、ロキエル。
「あぁ、そうだ。総料理長たちが緋龍を捌いた際、粉砕された細かい骨を取り除いただろう。あれを全部回収しておいたんだ。これは、そのうちの一本を磨いたものさ」
「へぇ……磨き上げると、宝石みたいに綺麗だな。それにしても仕事が早い。でも、それって脆いんだろ?」ハンスが、光を反射する白い骨を横目で見ながら尋ねた。
ウィルヘルムが手にしたグラスに、磨き上げた緋龍の骨を打ち付ける。甲高い澄んだ音が響き渡り微かな余韻を引いて、消えていった。
「ああ。耐靭性と硬度は別物でな。つまり衝撃には脆いが、硬さはある、ということだ。それに『劈開性』といって、特定の方向に割れやすい性質がある。下手な職人には触らせられないが、腕の良い職人が精密な細工を施すには、これ以上ない素材なんだ」
いったい何処でそんな知識を得たのかという疑問は誰にも浮かばない。それほどウィルヘルムの言葉には説得力があり、過去にもそんな思いは何度も繰り返していた一同であった。
「それで、これをどうしようってんだい?」ウィルヘルムの解説に、ハンスが訝しげに顎をさする。
「緋龍解体の褒美として、マリに贈り物をしたくてな。俺は料理人らしく包丁にしてやろうと思ったんだが、実用品よりはなんていうか……女の子らしいアクセサリーの方が喜ぶか?」
「マリちゃん、元気すぎるからねぇ」リーチェが苦笑しながら口を挟む。「脆くて壊れやすいなら、包丁や身に着けるものは少し心配だわ。いっそレリーフにして店に飾ったら? 看板にすれば、店の箔もつくじゃない」
「そうかもしれんな。俺が言うのも何だが、『殿下から下賜された看板』ともなれば箔がつくか」
「それじゃマリ個人への贈り物って感じがしねえが……。いや、店が立派になればアイツも喜ぶか? ……待てよ、あいつが『店の箔』なんて柄じゃないのは分かってるけど、綺麗な彫刻や絵画自体は大好きだしな……。うーん、どっちだ?」ハンスは自問自答を繰り返す。
「包丁で良いわ。マリが、包丁の扱いを誤るはずがないもの」それまで黙っていたロキエルが、静かに断言した。
「おいおい、硬いものを切る時は嫌でも力が込もるぜ。刃が欠けるなんてのは日常茶飯事だ。剣だって同じだろうが」ハンスの反論を、ロキエルは片手で制した。
「……あれがいい、これがいいという議論は、本質から逸れている。『殿下からの下賜品』なんて形式に意味はないのよ。ウィルからの贈り物だから価値がある。たとえ真っ二つに折れようと、あの子にとっては世界にたった一つの宝物になるわ」ロキエルはさらに言葉を継ぐ。
「もし、それであの子が悲しむようなら、私が何十本でも代わりを用意してあげる」
「それは却下だ。費用はあくまで公金から出す。ケチな俺だが、領地のための投資に金は惜しまん。緋龍の料理は思惑通りにはいかなかったが、今後アイツの料理がどれだけの金を生みだすか計り知れん。あいつが気分よく、効率的に仕事に向き合えるための投資だ」
ウィルヘルムは、手にしたグラスを勢いよくあおると、そっぽを向いて、どこか照れくさそうに、だが力強く言い放った。
「異論は認めん!」




