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第1話 たべる―!


 白亜の街が、赤く染まっていた。


 かつて人類を拒絶した『絶望の大森林』は、今や石造りの建物が軒を連ねる迷宮都市へと、その姿を変えている。一攫千金の夢に憑かれた冒険者たちの喧騒は、かつての森の静寂を塗り潰し、街はむせ返るような汗と狂乱の熱に沸き立っていた。


 その中心、歓声に揺れる目抜き通りを、伝説の厄災「緋龍スカーレット・ドラゴン」の巨躯が征く。荷馬車は、緋龍の重量に悲鳴を上げるように車輪を軋ませていた。繁栄の象徴たる、純白の大理石で舗装された道は、緋龍の口から滴る鮮血によって無残に汚され、辺りには鉄錆に似た重苦しい血の臭気が立ち込める。


「女傑ロキエルだ!」「本当に、あの緋龍を仕留めたぞ!」


 最強を誇示するかのように大剣を掲げ、白馬を駆る女傑の凱旋に、都市は熱狂に包まれた。


 無惨に切り裂かれ、返り血を浴びた革鎧を纏うロキエル。その傍らで鞍を並べて、不敵な笑みを浮かべるウイルヘルムの姿がある。ロキエルにとって緋龍は、死線を越えた先に得た戦利品に過ぎない。しかし、群衆の目に映る緋龍は、己の欲望を掻き立てる富の象徴であった。


 一行はホテル『ミラージュ・エルドラド』の裏庭に辿り着く。

 運び込まれた緋龍を前にして、腕利きの解体職人たちが集結していたが、

「ダメだ、刃が立たねえ……!」

「鱗が硬すぎる。ミスリルの解体包丁ですら、傷一つ付かねえぞ」

乾いた金属音が虚しく響き、熱狂が焦燥へと変わり始め、皆、自慢の道具を握り締めたまま金縛りに遭ったように動けずにいた。


 と、その時。従業員用の通用口から、鮮やかなピンクのエプロンをつけた少女――マリが顔をのぞかせた。


「ロキ~!」無邪気な声が、くるりくるりと輪を描きながら、青い空に溶けてゆく。


「……ああ、マリ」


 ロキエルは、マリの声に救われたように目を細め、大剣を杖代わりにゆっくりと立ち上がる。


 血で汚れるのも厭わずに、マリはロキエルに抱きついた。ロキエルも満面の笑みでマリを、抱きしめた。


「ドラゴン、見えないよ」背伸びをするマリを、ロキエルは痛みなど忘れたかのように、軽々と肩に担ぎ上げる。


「うわあ……おっきいね、ロキ!」

「ああ。手こずらせてくれたが、これでようやく、マリとの約束が果たせたな」


 視界が開け、マリは純粋な好奇心で目を輝かせた。そこに横たわるのは、熟練の職人が束になっても歯が立たなかった鉄壁の肉体。陽光を浴びて、ぎらつく鱗は、もはや生物というより、磨き抜かれた金属細工のようだった。


「ロキ、もっとよく見たい」地面に降ろされたマリは、ロキエルの手を引いて、弾むような足取りで巨大な緋龍へと歩み寄った。マリは、その硬質な鱗へと手を伸ばす。マリの柔らかな指先が、冷たく硬い龍の肌をなぞった。


「ぷんすか!」一通り検分を終えたマリは、頬を膨らませる。


「マリ、どうした? 何か気に食わないことでもあったか」

「……ひどすぎ!」

「何がだ?」

「キズだらけ!」

「いや、しかしだな、刃を通さないから、何度も大剣を叩きつけるしかなかったんだ」ロキエルは、マリの謎の怒りにたじたじとなって弁明する。

「ふんす!」しかし、マリは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。


 マリは言葉にすることはできなかったが、緋龍を、ぐるりと一周見て回って直感していた。この生き物の構造は、トカゲよりも鳥に近い。隆起した胸筋と大腿筋、そして鋭く突き出した竜骨突起。


 空という領域へ至るために重量を極限まで削ぎ落した、その骨格は、おそらく中身が空洞で、硝子細工のように脆いはずだ。外傷なき巨体が吐血にまみれているという事実が、マリの推測を確信に変える。強靭な筋力で空を打ち、華奢な骨格でその反動を受け流す。極限の均衡の上に飛ぶその体は、外側から衝撃を受ければ、骨が粉砕され内側から自壊し、内臓をズタズタに引き裂いてしまうだろう。


 マリが不機嫌になったのは、緋龍をなぶり殺しにした憐憫の情も多少はあるが、何より食材を台無しにされたからだ。的確に急所を突き、死してなお心臓が鼓動を刻んでいるうちに、適切に血抜きをしなければ、肉に血が回り生臭くなってしまう。


「ま、いっか」気を取り直したのか、マリは一言呟くと、使い古された小さな包みを広げた。取り出されたのは、伝説の魔剣でも、神に賜った聖剣でもなかった。どこにでもある、だが一分の曇りもなく研ぎ澄まされた、一本の包丁だった。


「みんなやらない。じゃあ、マリがやる」

「マリが解体をするのか?本当にやれるのか? 俺の剣ですら折れたんだぞ」ウイルヘルムが疑わしげな声を上げる。

 

 だが、マリは答えず、使い慣れた包丁の柄を握り直した。


「ロキ、この子の口をこじあけて」

ロキエルはマリに言われるままに、ウイルヘルムの手を借り、大剣を緋龍の顎に深く差し込む。むりやり広げられた薄暗い喉の奥へ、マリは何の躊躇もなく、その身を躍らせた。


「ああっ! マリ! な、何を――」ロキエルが悲鳴を上げ、制止しようと伸ばした手は、むなしく空を切った。


 マリは頬の内側に刃を立てると、まるで果物の皮でも剥くように、緋龍の喉元へ向けて包丁を走らせた。滲み出る血がマリを濡らすが、瞬き一つせず、その繊細かつ大胆な作業を続ける。外側からの刃を寄せ付けなかった鉄壁の巨躯も、内側からの侵食には抗う術を持たなかった。


 刃先から伝わるのは、独特の微かな抵抗感。強靭な繊維が断ち切られるたび、肉が爆ぜる震えが掌にまで響く。鋼の鎧に守られていたはずのそれは、ひとたび裂ければ驚くほど従順で、あまりに無防備な生々しさだった。


 突然の事態に周囲が凍りつく中、うす汚い粘液と、血にまみれたマリが、這いずり出てきた。その手には、異様な存在感を放つ巨大な肉の塊が握られている。


「マ、マリ、大丈夫か!?」顔面を蒼白にしたロキエルが駆け寄り、粘液まみれになるのも厭わずに、マリを抱き寄せた。マリが抱える肉塊からは、いまだ脈動するかのような不気味な熱気が立ち昇っている。それが何なのか、どこから持ち出されたのか、知る者は、ここにはいない。二人の体から滴り落ちる粘液が、じわじわと地面に広がっていく。その光景に居合わせた者は、本能的な危機感を覚えていた。


 だが、ロキエルに抱かれた腕の中で、マリは満面の笑みを浮かべている。ふと、マリは思い出したように表情を曇らせると、

「くちゃぁ~い」

「え、私がか? ……さんざん動いた後だ、汗臭かっただろうか?」ロキエルは眉をひそめる。

「ううん、ロキは、いつも、美味しいにおい」

「では、何が臭うんだ?」

「これ」マリは肉塊をロキエルの鼻先に突きつけて言い放った。

「マリ……それは一体、何なんだ?」

「この子の、ほほ肉」


 確かに、鼻を突くような硫黄臭と、独特な獣臭が辺りに立ち込めていた。

その場の緊張感は、マリの無邪気な一言によって一気に霧散する。ロキエルは己の体臭を疑った一瞬の動揺を隠すように咳払いをすると、マリが「ほほ肉」と呼んで掲げた、おぞましい肉塊を改めて忌々しげに見つめた。


「マリ。……それを、どうするつもりだ?」


 マリは『何を馬鹿なことを聞くのか』と言わんばかりの呆れた視線をロキエルに返し、断言した。



「たべるー!」


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