その日の名は⑥
エルドリッジ号……。今より丁度五五年前、一九四三年七月二二日の事、アメリカのフィラデルフィア港で行われた、所謂『フィラデルフィア実験』と呼ばれる軍事実験で使われた軍艦である。それも大惨事を引き起こした……。
フィラデルフィア実験とは、電子計算機の考案者として高名なJ・L・フォン・ノイマン博士がプロジェクト・リーダーとなり、艦船がレーダーで捕捉させないようにする目的で行われた一連の軍事実験である。
実験は、『エルドリッジ号』に搭載された四基のテスラコイルに向けて、地上から磁力線を放射し、レーダー上からその艦影を消そうというものだったが、実験開始七0秒後、テスラコイルがスパークし始め、『エルドリッジ』全体が青白い光に包まれたその瞬間! 『エルドリッジ』はレーダー上から消えた。そして更に! 発生した強電界内の『エルドリッジ』の空間が歪み、そして! 『エルドリッジ』はフィラデルフィアから四00km近く離れたノーフォーク港まで瞬時にテレポートした後、再びフィラデルフィア港に戻ってきたのだ。しかも、戻ってきた『エルドリッジ』に救急医療隊が到着した時、彼等が見たのは、エルドリッジの船員達の多くの焼死体だった。その中には、無残にも鋼鉄の壁や機械に体が埋め込まれた様になっている者もいたのである。
そして、医療隊と共に駆けつけ、その惨状を目の当たりにした研究チームの中に、若き日のタイゾー=モード博士の姿もあった……。
この実験については、マイケル・パレ主演、映画「フィラデルフィア・エクスペリメント」として映像化されているが、長い間この実験及び結果については極秘事項とされ続けた。そう、テレポーテーション技術、そしてそれを発展させたタイム・テレポート技術の実現の可能性を、軍が一般に公表する訳がなかった。極秘裏に研究を継続する為に……。
「艦長! 高速巡視艇より通信ッ! 未確認船舶がこの海域に接近していますッ!」
「何だとッ!」と叫んだのは、ロバート=クランシー艦長でなくヘイズ中将である。
「何故レーダーに……。くそッ! 博士の指示で、実験への影響を考えてレーダーを止めておいた事が仇になったな」
「明王教授。何でしょうね、あれ?」と、水平線を指差す青年。
「ん? 三枝君、どれ……」と言って、明王教授と呼ばれたその男は双眼鏡を覗いた。三十七、八歳位だろうか。船乗りの様に赤銅色に日焼けした肌に不精髭。侍の様な総髪。ガッシリとした長身の男。琉球大学理学部海洋学科教授、明王玲司だ。
深海潜水調査艇支援母船『MーU』のブリッジである。この『MーU』、通称「ムー」は、日米共同開発の深海潜水調査艇支援母船である。ボルチモアのメリーランド造船所で建造された『Atlantis Ⅱ』よりも一回り大きく、最新装備を搭載した日米のハイテクの塊の如き船だ。『Atlantis Ⅱ』が、アメリカのウッズホール海洋研究所が所有する深海潜水艇『Alvin』の支援母船の様に、『MーU』は、潜航深度一万mを誇る有人深海潜水艇『しんかい10000』の支援母船である。
現在「MーU」は、先頃新種の生命体を採取した調査海域に再び向かっていた。調査期間は既に終了していたが、新種の生命体発見という事で調査期間延長が認められたのだ。「フリゲート艦が三隻……。それにあれはサブマリンだな」と明王玲司は呟いた。
「この海域での軍事演習など聞いてないぞ」と云ったのは、船長のレイウッドである。
レイウッド=武雄=仲間。日系のハワイアンで、以前『Atlantis Ⅱ』の船長であった経験を買われてこの『MーU』の船長に抜擢された男だ。
「この艦数で演習などやる訳ない。まいったな。もしかして……」
「おい玲司! 秘密軍事実験なんて云うなよ!」と言ったのは、そのレイウッドである。「いきなりハープーンを叩き込まれて、ドカーンッ! なんてね! ハハハッ!」
と、熊のようなレイウッドの隣にいる宮城一真が両手を広げておどけると、皆が笑った。「おいおい冗談はよせよ」と三枝誠一郎が笑いながら手をパタパタと振った。
宮城一真は、『しんかい10000』の電機員、三枝誠一郎は、琉球大学の研究チームの一員で、二人とも明王玲司教授の子飼いのライトスタッフである。
「……まんざら冗談でもなさそうだ……」と、双眼鏡を覗く明王教授が呟いた。
軍の三0m型高速巡視艇二隻が猛スピードで、『MーU』に接近して来ている。
「レイウッド。念の為、私達の置かれている状況をハワイに通信してくれないか。軍というのは、こういう時には一般人を不当に扱うものと相場が決まっているからな」
「了解!」
「ほらッ! 小次郎急がないと発進時刻に間に合わないよッ!」
「わーッてるよ! ッたくッ! 何でおいらが……」とブツブツ。「折角未来のスーパーモデルとお友達になれると思ったのに……」と、またブツブツ。小次郎は重たい足を引き摺る様にして美々に従い、船内の通路を後部甲板にある潜水遊覧艇の発着場へと走る。
今彼等が走っている通路は、美々が見つけた近道である。ここを真っ直ぐ行き、つき当たりにあるエレベーターを降りると、そこに潜水遊覧艇の発着場があった。
潜水遊覧艇とは、船の航海中、船客に海中の神秘を堪能して貰おうとの配慮から、このサン・ファン・バウティスタ号に世界で初めて装備されたものである。二0人乗りの小型潜水艇で、最高潜水深度も僅か五0m程だった。
「フーッ、フーッ!」と小次郎が息を荒げてエレベーターに駆け込むと、美々は一言、「だらしない!」という言葉を小次郎に浴びせて、下降のボタンを押した。
ガラス張りのエレーベーターである。少し降りると、そのガラスの向こうに巨大な特設ホールを眼下に見下ろす事が出来た。その舞台では、既に「SUPER MODEL LOOK ’63」の審査が始まり、レオタード姿の金髪少女達がズラリと舞台上に勢ぞろいしている。
「アーッ! アーッ! アーッ!」と、小次郎はガラスに顔をへばり付かせて叫ぶ。
「見苦しいぞ小次郎! 政宗公の名前を付けときながら! おまえも仙台の男だろッ!」