サタネル①
「三分前ッ!」という声が発令所内に響き渡った。全員が息を呑む。汗が吹き出す。刻一刻とその時が近付いていた。此所はサターン級SSBN『サタネル』の発令所である。
この作戦の為に開発、新造された弾道ミサイル原子力潜水艦・・・。不吉なその名前に、未だ明かされぬ軍の、いや合衆国政府の秘密政策が隠されていた。全長、水中排水量ともロシアのタイフーン級と同等。加圧水冷却型原子炉二基による合計出力十二万馬力。タイフーン級の艦体は高張力綱だが、サターン級はチタニウム合金製で、潜航深度も千m 。水中発射弾道ミサイル二二基搭載。自衛用に魚雷発射管八基を装備。米海軍のSSBNオハイオ級を軽く凌駕し、ロシアのタイフーン級にも勝る、弾道ミサイル原潜サターン級。
だが、何故こんな物騒な代物を危険の伴うタイムワープに用いるのか? タイムワープにおいて何故原潜が有効かについては先に述べたが、それならロス級だけでも良かった筈だ。この『サタネル』には、その核弾頭搭載のハープーンが二二基全て搭載してあった。
「トワイニング艦長! 機関室からです! 出力一一五%!」という通信士の声に、戦闘配置を示す赤のライトに照らされたトワイニングは、ただ瞑目していた。
「うわーッ!」と、エレベーターを飛び出し、美々は思わず感嘆の声を出した。その後ろでは、肩をガックシと落とし、しょぼくれる小次郎の姿がある。そして、美々と小次郎の目の前には、まだ一度も潜った事のない遊覧潜水艇が、純白の体を横たえている。
この潜水艇は、『サン・ファン・バウティスタ号』の船尾に近い船底にある発着場から、船底のハッチを開け、注水、そして海中に発進する。船体の側面には、『The Madonna's snow』という文字が青で描かれている。即ち、この潜水艇は、『聖母マリアの雪号』という名前だった。深海まで潜り、マリンスノーを見る事は出来ないが、確かに名前通り雪の様な純白の美しさだ。エレベーターの前は乗船する客の為のラウンジで、そこのガラスの向こうに『The Madonna's snow』号がある。美々は思わず駆け寄り、ガラスにへばり付いている。小次郎も、ヘーッ! という顔付きで見ている。
とその時、「誰だッ!」という誰何の声が、英語で美々達の耳を後ろから襲った。二人はその声の大きさに体をビクッとさせ振り返ると、そこには、一人の五十歳位の外人が仁王立ちで、美々達を睨みつけていた。長身で痩せ形。口髭を蓄え細い目は物憂げな印象を与える。服装はまるでアメリカ海軍の軍服の様だ、と、美々は思った。
「あッ! この潜水艇に乗りたいんですが」と美々が、物怖じせずにハキハキ云うと、
「残念だったな嬢ちゃん。この潜水艇は決められたポイントでしか潜れない。然も航海中と云ったって、実際はSOLAS条約で規制されててね。この船が停泊した時に発進する程度の事だ。誰が好き好んでこんな沖合の海中を眺めたい?」と、その外人は云った。英語の会話である。だから、小次郎にはチンプンカンプンだ。
「そういう事だ。早く此所から出ていけ」と、その外人は高圧的な物言いをして、扉の向こうに消えた。その扉のプレートには「キャプテン ルーム」と記してある。
「何だあのじじい! 何云ってんだかわからなかったけどさ」と小次郎がぼやく。
「私は眺めたい。だって、お父さんが潜った海だもの」と、美々は呟いた。
「くそッ! 軍の奴等めッ! 食堂なんぞに閉じ込めやがって! どういうつもりだ!」
宮城一真がテーブルを叩いて叫んだ。六0名程の乗船員の全てが、食堂に軟禁状態にあった。船内通路側の窓の向こうでは、銃を持った海兵達が監視しており、海側の窓には全てブラインドが降ろされている。
「落ち着け、宮城」と、三枝は宮城を窘めながら、一人食堂の隅でコーヒーを飲む明王玲司教授の方を見た。彼は不格好なマグカップをテーブルに置くと、首に掛けているロケットの中の写真。そこには、自分と夏菜、子供の頃の美々。そして白髪の老人、そうタイゾー=モード博士の姿があった。
「デフォー。私だ。BOYの精神波レベルの同調は?」
「大丈夫です。四人の精神波のシンクロ完了しています」
『カーツ』のブリッジでモニターを見ながらマイクで話すタイゾー=モード博士の声に、『サタネル』に乗船している、フレデリック=デフォーという助手が答える。モニターに映しだされているのは、『サタネル』内の一室の映像だ。その部屋では、デフォー以下数名の研究者がおり、此所にも、テスラコイル等の装置が置かれている。
その部屋の中心に、様々な機器が取り付けられた一つの椅子。そして、『サタネル』を取り囲む『シカゴ』『カンサス』『デンバー』、三隻のロス級原潜の一室にも、同様の椅子が備えられていた。
「血圧、心拍数異常ありません!」と、一人が言った。
一体誰の血圧、心拍数が異常ないと云うのか? それは、四つの椅子に座らされている少年少女達のである。然も彼等は全裸だった。彼等の体には無数のコードが付けられている。三人の少年と一人の少女。彼等は目を閉じ、瞑想状態にあった。全身からは汗が吹き出し、その顔にも何か苦痛の表情さえ窺えた。
「一分前ッ! カウント五九、五八、五七・・・」という声が、『カーツ』のブリッジに響く。ヘイズ中将もモード博士も、前方三00フィートの四隻の原潜を凝視している。
「・・・三二、三一、三0、二九、二八・・・」というカウントが、サターン級『サタネル』、ロス級『シカゴ』『カンサス』『デンバー』艦内のスピーカーから出て、ドルフィン(潜水艦乗り)達の全身を硬直させていた。
「・・・一0、九、八、七、六、五、四、三、二、一、0!」
「こちらヘイズ! 作戦開始! 磁力線、テスラコイルへの送電開始だ!」
ついに作戦発動であるッ!
「発令所から機関室へ! コイルへの送電開始! 九0秒後に原子炉スクラム!」
「アイサーッ! 送電開始! 九0秒後に原子炉スクラムッ!」
トワイニングの命令を副長のギンゼーが復唱する。
そしてロス級「デンバー」でも、
「クーパーッ! 死にたくなかったら九0秒キッカリで原子炉を止めろよッ!」
と、艦長のマイケル=モンローがマイクに向かって吠えていた。
『サタネル』を囲む三隻のロス級から、磁力線が『サタネル』に向かって放射されている。そして『サタネル』では原子炉の出力最大で、電力をテスラコイルに供給している。「・・・博士。原子炉稼動のまま突入するとどうなるのだ」と、ヘイズが云った。
「メルトダウンするかもしれませんな。タイムワープするだけの強電界が発生するまで、シュミレーションでは九0秒。その瞬間に原子炉を緊急停止させなければ・・・」
「博士! 見て下さい! テスラコイルがスパークし始めました!」と、助手のマクスウェルが叫ぶと、博士やヘイズ中将を始め、ブリッジにいる殆どの士官が双眼鏡を覗き込んだ。 強力な磁力線の放射を受け、『サタネル』甲板の四基のテスラコイルからは青白い光の帯が出現している。次第に電圧が上げられ、コイルは白熱化し、ロス級三隻に囲まれた空間に薄い靄が掛かっている様に見える。
「・・・あの時と、全く同じだ・・・」と、そうタイゾ=モード博士は呟いた。
そして、『サタネル』のテスラコイルが発する青白い光が、三隻のロス級の前部甲板の各テスラコイルの光と交わる、のだが、ここで予定外の現象が起きたのだ。
「博士! 光が海中へと伸びています!」というレイモンドの言葉通りに、『サタネル』のテスラコイルから発する光の帯の幾筋かが、海中に向かって放電していいるのだ。
「言わんでも見ているッ!」
と博士は声を荒げた。そして、モニターに映るデフォーに、「どうした! 何が起こったッ!」
と怒鳴ると、デフォーは「わかりません!」と答えた。
「もしや沖縄海戦の沈船に反応しているのか」と博士が云うと、ヘイズは、
「それはない! あの海域の海底はソナーで正確に測量してある! 沈船に反応するなど」
と云い、「ありえんか・・・」と博士が言葉を継いだ。
そして暫く目を閉じ、考えた後、
「・・・止むを得ん。一先ず実験中止だ! 中将!」
ヘイズ中将が、チラリと博士を一瞥してから、マイクを持って、
「ヘイズだ! 各艦、コイルへの送電を中止せよッ! 送電中止だッ!」
と叫んでも、既に遅かった。もう強電界内にある各原潜に通信は届かなかったのだ。既にモニターの映像も途切れている。
「発令所へ! 電圧を五0%アップ!」というデフォーの通信が、発令所のトワイニングに入り、トワイニングは機関室にそれを伝える。電圧が更に上げられると、各原潜が細かく振動し始めた。テスラコイルは灼熱化して、より大きくスパークする。そして、まるでオーロラの様な光のカーテンが全ての原潜を包み込んだ。