その日の名は
瓶の中の液体が肌色に変化した。そして、今度はジーンズに当てるとインディゴに変色し、次いでホワイトのTシャツに当てると、その液体は白に変色したのだ。
少女は大きな瞳でその小瓶の中の液体を覗きながら、クススッ、と微笑んだ。
そして少女がその小瓶を太陽に翳すと、その液体は再び透明に戻った。
「ベベルゥ=モード……。もうすぐ、会えるね」
少女が、淡い笑みを口唇に閃かす。と、その時である。
「お~い! 美々《ちゅちゅ》! そこに居たのか」
幅広の通路の後方、船内から船外に出る為の扉から出て来た一人の少年がそう叫んだ。
「な、何だ、小次郎か」
美々と呼ばれた少女は、その少年の顔を見ると慌てて小瓶をポケットに押し込んだ。
そう、その少女の名は明王美々。獅子座の十八歳。
そして、美々の幼なじみの、観世小次郎政宗。十八歳の同じく高校三年生である。
「何だはないだろ。どうしたのさ? 乙女チックに感傷に耽ってるなんてらしくないな」
「そんなんじゃないよ。……ヘ~ッ」
「……な、何だよ!? ジロジロ見やがって。おいらの顔に何か付いてるか?」
「ウフフッ。別に……。孫にも衣装だと思ってね」
小次郎の格好は、黒の小袖に格子模様の半袴、人形浄瑠璃の舞台衣装のままである。背はヒノナより5cm程低い。一年ちょっと前まで小学生だった、その幼さが顔に出ていた。
「馬鹿にすんない! おいらはこう見えても……」
「若干十三歳にして、人形操りの天才とまで云われているのよ、ね~」
「へへんッ! そうさ! 何せおいらのじっちゃんは……」
「観世小次郎時宗。芸名桐竹団十郎。人間国宝(重要無形文化財保持者)なんでしょ」
「そう! そしておいらには……」
「人形浄瑠璃にロボット工学の技術を使って、世界初の機械人形浄瑠璃の一座を創る事。もう耳にタコが出来る程聞いたわよ。だけど人形を機械仕掛けにしたら操る人間なんていらなくなるんじゃない?」
美々は小首を傾げ、小次郎の顔を覗き込んだ。栗毛色の長い髪がサラーッと垂れる。
「バカッ! わかってないなあ。世の中には多くの身体障害者達がいるんだ。手元のコンピューターを操作したり、音声の命令でそんな人達の手となり足となって動く事が出来る機械人形がいれば、それは盲導人形にもなるし、寝たきり老人の介護人形にもなるんだ。そうした可能性のアピールとして、おいらは、世界を機械人形一座で巡業したいんだよ」
そう云って、小次郎はまだあどけない横顔を美々に見せ、手摺に背中を凭れ掛けた。
「だけどさ……」の二の句を美々は継がなかった。機械人形などに世話して貰い、その人は本当に幸福だろうか?盲人の世話をする犬や小型の猿、老人介護のホームヘルパー、そうした命ある存在との触れ合いの中で、障害者や老人達は自分が今生きている事に感謝出来るのではないか? 美々はそう思ったが、機械弄りが好きで、単なるHゲームオタク故の夢としか思ってなかった小次郎の夢が、彼なりに自分がこの世で果たすべき役割を考えてのものだったのだと知り、その小次郎の熱き想いを否定してはならないと感じた。
「まッ、実現はもう少し先だけどな。だけどその為に父さんはカリフォルニア工科大学で研究してる。美々の父さんはたしか琉球大学で海底遺跡の調査をしてるんだったよな。一週間前のTVで、『遂にムー大陸の遺跡、発見か?!』って、特集やってたよ。お前の父さん、一躍有名人だ」
「うん」と云って、美々は髪を掻き上げて、青と青が交わる境界の方を見つめた。
「石垣島で暫く振りに会ってきたんだよな。いいなぁ……。い、いけねッ! じゃ、おいら行くから!」と小次郎が云って背を向けるや否や、
「チョイ待ち!」という声と共に、美々の右手が飛び小次郎の肩をグワシッ! と掴む。
「あ、あにすんだよ!」と、小次郎が美々に叫んだ。
「小次郎ちゃん、アンタ何処行くつもり……」との、美々の声はドスがきいている。
「ヘッ!? い、いや~」と、小次郎の顔がニヤけた。
「このスケベ! アンタ、未来のスーパーモデルの水着姿を拝みに行くつもりでしょッ!」
美々は小次郎の胸倉を掴んで、鬼婆の様な形相をしている。小次郎は、涙をチョチョ切らせながら、首をフリフリ絶叫した。
「お前だって、許婚の男が、コンテストのステージに出るんだろ?! 愛しのベベルゥ皇子様に会いにいかなくていいのかよ!」
「アンタは私と一緒に潜水遊覧艇に乗るのよ! コンテストの最中なら、楽に乗れるわ」
そう云って美々はジタバタもがく小次郎を引き摺る様にして、後部デッキにある潜水遊覧艇の発着場に怒り肩をして、プンプンとした顔付きで足を向かわせた。