99.小さなトラブルの種と予兆②
トレーズは来た時と同じくアインを抱いて屋敷にダッシュで戻っていった。
それを見送ったところでルディはジェットと向き合う。
「ジェット、とりあえず僕が追い払うって感じでいいの?」
「ああ、そうして。お前が脅せば何とかなるだろ」
「りょ~!」
ルディは笑顔で答えた。
普通の人間は魔獣なんて見慣れてないので当然恐れ慄く。山や森に蔓延っていた低級の魔獣と同じく、二度と屋敷に近づかないようになればいいのだ。レミやジェット、ルーナの存在を隠して、魔獣が住み着いているから危険だという意識さえ植え付けられればいい。
かなりの田舎でもあるので討伐隊を組むほどの余裕があるとも思えないし、どこかに金を払ってまで正式な調査や討伐を依頼するとも思えなかった。
ルディはゆっくりと深呼吸をする。
すると、これまで大型犬くらいの大きさだったルディの体がみるみるうちに大きくなっていく。大きくなるにつれてジェットの目線が上がっていき、ジェットと身長と同じくらいのになった。
これまでルーナの腰までだったサイズがジェットと同じくらいまで大きくなったのだ。以前、屋根の上でジェットと喧嘩した時もこれくらい大きさだったはずだが──ジェットが不思議そうに首を傾げる。
「……お前、そんなデカかったっけ?」
「これくらいじゃなかったっけ? でも、またちょっと大きくなったかも。能力が使えるようになったからかな?」
「ま、これでもフィロやラケルよりもまだ小せぇんだよな。もっと大きくなるんじゃね?」
そう言ってジェットがルディの耳の下あたりをぽんぽんと軽く撫でた。
普段、ルディは体を小さくしている。ちょっと大きい犬や狐になどに間違えられるくらいの方が色々と便利だからだ。いつもこの大きさでいるとあっという間に人間に見つかってどうなるかわからないとレミに脅されているのもある。
「えへへ。いつかお父さんたちと同じくらい大きくなりたいな~」
「ルーナは驚くだろうけどな」
「あー……そのうち今の姿が本当の大きさだよって伝えないと……怖がらせたくないから難しいな……」
「……まぁ、ルーナならあんまり気にしなさそうだけど」
確かに。と、その点に関しては少し楽観的だった。普通なら魔獣と聞くだけで人間は恐ろしいと感じるものなのに、ルーナはルディの姿を特に気に入っているようなのだ。可愛いと言ったり綺麗と言ったり、抱きついてくれた時のことを思い出して顔が緩んだ。
が、そんな気持ちに水を差すように人間たちの声と足音が近付いてきた。
ピク、と耳が動く。
「……来たみたい。あ、偉そうに喋った方がいい?」
「ボロが出るから普通でいい。なんかあったら俺も出るから」
徐々に人間たちの気配が近付いてくる。
彼らの歩みが正門の前で止まったところでジェットと一緒になって耳を澄ませた。単に様子を見に来て「何もなかった」と帰ってくれるなら何もしないつもりだった。
が、すぐに正門の重い扉を開けようとしてか、ガシャガシャという音が聞こえてくる。簡単に開くような作りにはなってないし、使い魔や自動人形たちには外から見えるところには手を入れないように指示が入ってる。外から見る分には、朽ちた屋敷に見えるはずだ。
「……チッ。開かねぇな」
「うーん、やはり吸血鬼が戻ってきたという話は勘違いだったのでは?」
「しかし、周囲から低級の魔獣もいなくなったし、屋敷からも人の気配があると言ってたじゃないか。何もないとは思えんのだが……」
「それにマチアスが街でルーナを見たと言っていた。連れはまるで吸血鬼のような容姿だったんだろ?」
「ルーナが死なずに生きているとはどういうことなんだろうねぇ。死んで生き返ったのかねぇ?」
「とにかく中に入って確かめるぞ。──元々吸血鬼が住んでたって話なんだ。金目のものもあるかもしれねぇ」
そんな会話の後、今度は正門を堅いもので叩き始めた。錆びているので乱暴に扱われたら壊れるのも時間の問題だ。
ジェットがルディに目配せをする。
ルディは小さく頷いてからひょいっとジャンプして石壁の上に移動した。
扉を壊して中に入ろうとする人間たちを見下ろすと、見張り役だろう人間がルディに気付いた。
「お、おい! 化け物だ!」
「化け物なんて失礼だな~。君たちが扉を壊して入ろうとするのを注意しに来ただけだよ。今は僕が住んでるからね」
「ヒイ」という情けない悲鳴を上げる者。腰を抜かす者。憎々しげに見上げてくる者。驚く者。反応は様々だった。
石壁の上はバランスが取りづらかったのでストンとすぐ下に降りる。すると、人間たちはさぁっと引いていった。やはりこの大きさの獣が人語を喋るのは奇異に映るらしい。
「何もせずに帰るなら見逃してあげてもいいよ」
「くっ! こ、ここは吸血鬼の住処じゃねぇのか!?」
「吸血鬼? 昔は住んでたらしいね。でも今は僕が使わせてもらってるよ。誰も使ってないんだからいいでしょ」
「ル、ルーナは! 生贄はどうしたぁあ!?」
人一倍体の大きな人間が声を張り上げる。
質問に答えてあげているというのに会話にならない。ルディは若干呆れながら人間たちをぐるりと見回した。
後方、大人たちに守られるようにして街で見たマチアスがいる。苛立ちを覚えながら彼を一瞥し、集まっている人間たちを値踏みした。
やはり大したことはない。ただ屈強な者、体が大きい者が集められただけの集団のようだ。
「そんなの知ーらない。で、結局帰ってくれるの? 僕の寝床を荒らすって言うなら、それなりの対応を取らせてもらうけど……」
そう言って前足に力を入れた。軽く牙を見せてみると、彼らはわかりやすく怯えた。
しかし、そんな大人たちを掻き分けてマチアスが前に出た。
「う、嘘だ! ルーナは、ルーナは……確かにこの屋敷に入ったはずだ!」
「……なんでそんなことがわかるの?」
「……。……み、見送った、から……!」
マチアスはルディの大きさと牙を見て恐怖に駆られ、それでもなお声を張り上げた。かなり震えていたけれど。
──見送った?
その一言に違和感を覚えてマチアスを睨む。マチアスがビクッと体を震わせた。
感情が荒ぶるとまた嵐を起こしてしまうかもしれない。ルディは自分自身を落ち着けるために一呼吸置いた。
「ふーん? 見送って? その生贄はどうなったの?」
「……や、屋敷に入った。いや、誰かに連れて行かれた……? 振り返ったら、もういなかった、から……」
ルディは顔を顰めた。そこまで見ていたのかと驚いてしまう。
(……なんだこいつ。そこまで見ていて今日まで黙ってたの? あの時、人間の気配なんかしなかったけど、相当遠くから見てたのかな。……っていうか、そんなことよりも……!)
ルーナが来た時を思い出しながら、ふつふつと怒りが湧いてきてしまった。
あまり感情を露わにすべきではないとレミからも口を酸っぱくして言われていたが、マチアスという少年の言動がいちいちルディの癇に障るのだ。
「キミさぁ、随分そのルーナって生贄を気にするんだね? ひょっとして好きだったとか?」
からかうように言えば、マチアスが驚く。その顔が赤くなっていった。
その反応を見た周りの大人たちが「おいおい」「本当か」「あいつに?」などと口々に囁いている。それは決して「ルーナを生贄にしてしまってマチアスに悪いことをした」という感じではなく、「ルーナに好意を寄せるなんて正気か?」というニュアンスだった。
それだけでルーナが村の中でどんな扱いだったのかがわかる。わかってしまう。
怒りが一層増していく。膨れる怒りを抑え、それを吐き出すように口を開いた。
「好きだったのに、生贄にされるのを黙って見てたの? 黙ってこんな怪しい屋敷に送っちゃったの? ……クズだね、キミ。好きな子すらも守れないなんて」
優しく、それでいて嬲るように言えばマチアスの手がぶるぶると震えた。赤かった顔は青褪めていき、黙って俯いてしまった。
自分は彼とは違う。
ルーナを大切にして守ってあげられる。
そんな風に思って胸がすく。怒りが僅かに収まった。




