98.小さなトラブルの種と予兆①
ルーナに『呪い』がかけられてなければ、二つ返事で頷いていただろう。
だが、ルーナが呪われているのは事実で、万が一レミがルーナの血を口にしてしまったら──。
ゾワリ。と、体の芯から冷えるような心地がした。
表情を凍り付かせたまま、ジェットを見つめてしまう。
自分の目はどんな感情を映していただろうか。金の目に奥底まで覗かれているような気がして何も言えなかった。
「普通に考えたら噛み付かれて血を飲まれるとか怖くない? ちっちゃい虫に吸われるのとはわけが違うしさ~」
思いもよらぬところからフォローがきた。ルディが口を尖らせている。
ルディの言葉を聞いたジェットが少し考えこむ。
「んー……最初は死ぬつもりで来たから覚悟できてたけど、今になってそういう覚悟が揺らいできたって?」
ジェットは目を逸らさない。何か探られているようで居心地が悪くなる。
本当のことを言わなければいけないの理解している。
だが、どうしてもその勇気が出ない。
もう少しだけ見逃して欲しいと願いながら、ゆっくりと口を開いた。
「……覚悟って言うか……ここに来た時からずっとそのつもりだったし、何なら早く飲んで欲しいって思ってた。イェレミアス様は要らないって言ってたけど、トレーズにもそう伝えてて……でも、こ、怖くなっちゃって……」
自分の言葉でダメージを受け、凹んでしまった。
決して嘘ではないが事実を巧妙に隠した言い方に勝手に失望する。自分の言葉なのに。
怖いのはレミに血を飲まれることではない。
血を飲んだ後、レミが、周りがどんなことになってしまうのかが怖いのだ。想像するだけで恐怖に足が竦み、罪悪感で死にそうになってしまう。
早く白状した方が良いに決まってるのに、どうしても言えなかった。
言った後、どんな視線や表情を向けられるのか。想像するのも嫌なくらいに恐ろしい。
ジェットは表情を変えずに目を細めた。
「……ふうん? そんなに怖いもん?」
「血なんて飲まれたことがないから……今更だけど、やっぱり怖いよ……」
「ほらー! やっぱり怖いって! レミが元気になるんなら別にルーナの血である必要はないんだから無理強いやめようよ~!」
ルディが助け舟を出してくれてホッとした。これ以上続けたい話題ではない。
だが、ジェットはどこか納得してなさそうな雰囲気である。ルーナが本当のことを言ってないと気付いているようだ。
疑うような眼差しを向けられ、思わず俯いてしまった。
「──ルーナ」
感情の籠らない声とともに頭にそっと手が置かれる。バレッタがずれたりしないよう、髪の毛が乱れたりしないようにゆっくりと撫でられた。
「お前が何を言っても誰も怒らないし責めたりしない。何もお前のせいじゃないってわかってる。……まぁ、覚えといて」
そう言い終え、ジェットは手を離してしまった。
何を思っての言葉なのだろう。まるで見透かされているようで、またも返答に困って黙り込んでしまった。しかし、ジェットはそれを気にしている雰囲気は伝わってこない。
恐る恐る顔を上げるとジェットはルーナから視線を逸らし、昇り切った太陽を見ていた。
どうやらさっきの話題はもう終わりらしい。そのことに気付き、人知れず安堵していた。
今度はルディが何か言いたげにルーナを見つめている。何かと思って首を傾げるとルディが不服そうに口を開いた。
「ルーナはレミと一緒に夜明けが見たいの?」
「えっ。イェレミアス様とっていうか、四人で見たいなって……月を見た時も四人だったから、いないのが寂しくて」
そう答えるとルディが面食らっていた。
何か変なことを言ったのかと思って今度はルーナが首を傾げる番だった。
「あー……そうなんだ。そっかぁ」
「え、え、え。何か変なこと、言った……!?」
「ううん、全然。四人で見たい、って言ってくれるのは嬉しいよ。……レミの体調のことあるし、血はまだ飲めなさそうだし、ここで四人で夜明けを見るのは当分先かもね。でも、絶対見ようね?」
ルディはどこか嬉しそうだ。ルーナと同じで四人でいることに意味を見出しているのかもしれなくて、そうだとしたら嬉しかった。
ジェットはどうだろうと視線を向けて見たが、特に四人でいることに対する感想はなさそうだ。ちょっと残念な気持ちにもなったが、ジェットは悪魔なのでしょうがないのかも、という諦めにも似た感想もあった。
ルーナはルディを見つめて静かに頷く。
「うん、楽しみにしてるね」
そう笑い合い、もう暫く太陽を眺めてから部屋に戻るのだった。
◆ ◆ ◆
昼頃のことだった。
ルディはいつも通り山の見回りを済ませ、屋敷に戻ろうとする。
最中、普段なら聞くことない声を聞いてしまった。
人間だ。
村の人間たちが屋敷に向かっている。
道すがら話す彼らの会話の内容から分かったのは、以前街で時に出会ったマチアスとか言う青年がルーナのことを思い出し、ルーナのことを喋ったということだった。
しかもその後にルディが起こした悪天候が重なったために『屋敷に戻ってきた吸血鬼が悪さをしている』という結論になっていたようだ。レミは何もしてないので変な話である。
流石にルディも放っておけず、一目散に屋敷へと舞い戻った。
「ジェット! ジェット~~~!!!」
昼間なのでレミは寝ているはずだ。起こしてもいいが、まずはジェットだった。
屋敷を囲う石壁を飛び越えて敷地内に着地したところでジェットを呼んだ。ルディの様子からただならぬ気配を感じたらしいジェットはすぐに姿を現す。
「何だよ、うるせぇな」
「人間が! 村の人間が屋敷に向かってる!」
そう告げるとジェットの顔色が変わった。鬱陶しそうな表情が真面目なものになる。
「……何人くらいだった?」
「十人くらい」
ジェットは顔を顰める。人間くらいどうということはないと思っているだろうが、数で攻められると厄介だ。村の人間の中に魔法を使える者もまともに戦えそうな者もいなかったが、ルーナを生贄として送り込んでから何かしら変化があったかもしれない。そう考えると完全な楽観視もできなかった。
それに、下手を打って妙な噂が外に広がるのも避けたい。
ルディの報告を受けたジェットが少し考えてから屋敷を振り返った。
「《アイン、すぐ来い》」
屋敷に向かって呼びかける。あっという間にアインを抱えたトレーズが走ってきた。
自動人形なので疲れた様子もなく、キリッとした様子でルディとジェットの前に立つ。アインはトレーズの腕の中でペコペコと頭を下げていた。
「ジェット様、お待たせいたしました。アタクシも一緒ですがよろしいでしょうか?」
「す、すみません。ジェットさま、ワタクシだけですと辿り着くまでに時間掛かりそうだったので……」
「問題ない。むしろ好都合」
少し不安になりながらジェットを見つめると、彼はその視線を受けて軽く笑う。心配するなと言わんばかりだった。
「アイン、トレーズ。とりあえず、一つ頼み事」
「はい、何なりと」
「今、ルーナは厨房だな?」
「へ? は、はい、今自分とルディさまのお食事を作ってますです」
アインが不思議そうに首を捻る。何故ルーナの話題なのかわからないと言いたげだ。
「ルーナを暫く絶対に厨房から出すな。理由は何でもいい。レミがケーキを食べたがったから作って欲しいでも何でも」
「は、はあ……?」
当然ながらアインもトレーズも「わけわからん」と言わんばかりの様子だ。
しかし、ルディは内心ホッとしていた。ルディの心配事をジェットは的確に察してくれている。
「村の人間が屋敷に向かってるらしい」
瞬間、トレーズの顔が強張った。アインも表情こそ変わらないが驚いているのがわかる。
「なるほど──村の人間にルーナを会わせる訳にはいかない。そして、ルーナに村の人間が来ていることも悟らせたくない、ということですわね? 工房だと庭に面した窓がありますし、下手に騒げば気付かれてしまう可能性がある……」
神妙な顔をして答えるトレーズ。厨房は裏庭にこそ面しているが、正門がある庭からは距離があるので声は届かない。
だだっ広い敷地である。まさか裏庭に回ろうなんて人間はそういないだろう。いたとしても正門での足止めは問題なかった。
アインがびしっと手を上げ、敬礼のようなポーズを取る。
「承知しました! トレーズたちとともにルーナを厨房に押し留めます!」
「お任せくださいまし! 折角いい感じなんですもの、部外者に邪魔されるわけにはいきませんわ!」
アインもトレーズもしっかり頷いてくれた。この調子なら大丈夫だろう。
ホッとしてジェットを見上げると、ジェットが軽く笑った。
「お前は人間たちの相手だからな。──昼飯は暫くお預け」
「わかってるよ~。僕だけだもんね、顔が割れてないの」
街に行った時、ジェットは今の姿のままだった。レミも髪と目の色は変えているが、顔の造形がそのままなのでバレる可能性が高い。
しかし、ルディだけは違った。
魔獣の姿であればマチアスにはバレないだろう。




