97.恋と夜明け②
まだ暗いので庭を歩いてもあまり良く見えなかった。
だが、ルディは夜目が効くらしく、ルーナとは見え方が違うようだ。「あの花、もうすぐ咲きそうだね」と少し遠くにある花を教えてもらっても暗くてよく見えなかった。目を凝らして見てもよく見えず、二人で笑ってしまった。
途中で足を止めたルディがルーナを見る。
「ルーナが良ければもう屋根に上がる?」
「え?」
「まだ少しかかるけど、日が昇るのを一緒に待つのもいいかな、って」
「わぁ、素敵! ルディが良ければそうしたい」
夜明けの瞬間なんて見たことがないので一気にテンションが上ってしまった。
ルーナの反応を見たルディが嬉しそうに笑う。
「じゃあ、決まり~。前みたいに抱っこして登るね?」
「あ、ありがとう。……重くない? 大丈夫?」
「え? ぜんぜん! 重さが今の三倍くらいになっても余裕だから安心してね!」
「さ、さんばい……」
ルディが「気にしなくていい」という意味で言ってくれてるのはわかるが、境遇が境遇だったルーナであっても自分の体重が三倍になるというのは抵抗感がある。
しかし、ルディはそんなルーナの抵抗感などまるで気付きもせず、軽々とルーナを抱き上げた。
「しっかり捕まっててね~」
言われて、ルディの首に腕を回す。顔がぐっと近くなったところでルディが嬉しそうに微笑んだ。
気が付いたら体が宙に浮いていた。
周囲はまだ暗く、風が冷たい。冬なのだと強く感じた。
次の瞬間には屋根の上だった。
「下ろすね~」
「うん、ありがとう。……ルディにかかればここまで一瞬だね」
「これくらいは、まぁね」
お喋りしながら屋根の上に下ろしてもらう。ルディが体を支えてくれるのに甘えて、少し寄りかかった。
屋根の上から見てもまだ夜の気配が強い。ただ、遠くの空だけは薄ぼんやりと明るくなっている
「……綺麗な空だね」
遠くを見つめながら呟く。
暗いのに、僅かに明るさを感じる空が美しい。
二つの月、煌々と輝く星があと少しで陽の光に消えてしまうかと思うと名残惜しくもあり、朝陽が早く見たい気持ちにもさせられる。
世界はこんなに綺麗なのだと感じた。
この感覚は、以前屋根から転落した時に目に映った光景を見た時にも思ったことだ。ずっと鬱々とした狭い世界で暮らしてきたからか、世界の美しさに触れるたびに感動してしまう。
このまま永遠に眺めていてもきっと飽きないだろう。
まるで魅入られたようになっていると、横でルディが小声で笑った。
「えっ、なに?! なんで笑うの?!」
「ごめんごめん。ルーナが可愛くて」
「か、かわいい、ってなんで???」
可愛いと言える要素がどこにあったのかわからずに混乱する。しかし、ルディは気楽そうに笑うだけだ。
「今の僕にはルーナのことが何でも可愛く見えちゃうみたいなんだよね」
真っ直ぐに、何のてらいもなく言われてしまって言葉に詰まった。
ぐわーっと体の熱が上がっていく気がする。さっきからルディがおかしいというか、これまでとは違っているせいで混乱する。
異性に耐性がないことも手伝って、こういうことを言われた場合にどんな反応をすべきなのかわからない。レミが勧めてくれた本にはあまりこういった内容は出て来なかった。
何も言えずにただ顔を赤くして黙っているとルディが肩を竦める。
「夜明けもさ、いつだって見れるし大したことないって思ってたけどルーナと一緒だとちょっと違うんだよね。不思議~」
「そ、そう、なんだ……?」
「うん。あとね、ルーナが何かに感動していると、僕にもその感動が伝染してくるみたい。すごく新鮮な気分」
やはり何と答えていいかわからないまま、「そうなんだ」と同じ言葉を繰り返すことになってしまった。
妙に緊張してしまう。
その原因がルディにあるのかルーナにあるのかわからない。
あまり考えないようにしながらまだ暗く、遠い空へと視線を向けた。
「デートのやり直し?」
「ぅわ、ジェット……」
ルディとは反対隣にジェットが姿を現した。普段通り飄々とした態度で、ルディがあからさまに嫌そうな顔をする。
すぐ隣に立っているジェットを見上げて目を白黒させていると彼はおかしそうに笑った。
「どうかした?」
「いきなり隣に立ってるから、驚いて……」
「そろそろ慣れてもよくね?」
「簡単には慣れないよ」
いつも本当に突然現れるのだ。驚くなという方が無理である。
小さく肩を落としたところでルディがジェットをジト目で睨んだ。
「……なんで邪魔しに来るの~?」
問いかけにはジェットがふっと笑う。悪戯っぽい笑い方だった。
「障害があった方が燃えるだろ?」
「そういうの別に要らないし。ちゃんと考えて答えを出してくれないなら変にちょっかいかけるのやめて欲しい」
「考えるにしても材料が必要なんだって」
邪魔? 障害? 答え?
ルーナの頭に疑問がたくさん広がる。一体何の話をしているのかさっぱりだ。
しかし、二人ともルーナにわからないように話をしているのが伝わってくる。それが面白くなくて思わず口を尖らせてしまった。
そんなルーナのこめかみをジェットが軽く小突く。
「なんだよ、その顔」
ジトーっとジェットを見つめ、それからルディをちらりと見てから視線を落とした。ルディは少し焦った顔をしている。
「……二人とも、たまに私のわからない話をするよね。って……なんか、仲間外れみたいで……」
拗ねた気持ちをそのまま言葉にしてしまうとルディもジェットも驚いた顔をしていた。ルーナの発言が思いもよらぬものだったらしい。
ぷっとジェットが吹き出し、ルディが怒ったような顔をした。
「むしろお前が話の中心なんだけど」
「そうだよ。別に僕はジェットと内緒話をしてるつもりないし、そもそもジェットがいちいち邪魔しに来なければこんな話はしなかったよ~。だから、ジェットが悪い!」
二人の言葉を聞いても意味がわからなかった。ルーナによくわからない話をしているのが全てで、それ以外は何もない。
重ねて文句を言おうとしたところで、光が差す。
遠く近く、太陽の光が全てを照らしていく。
弾かれたように顔を上げて、山間に見える太陽を視界に収めた。
あまりに眩しくて思わず額に手を翳してしまう。
それまで暗かった空が明るくなり、世界が夜から朝へと移り変わっていった。
ほんの数分程度の時間なのに、太陽がゆっくり昇っていく時間が永遠にも思えた。
陽の光が世界を照らしていく様子があまりに綺麗で、あまりに幻想的で、ルーナの心を捉えて離さない。
呼吸も忘れたかのように魅入っていた。
そして太陽が姿を現しきったところで、「はーーーー」と長く息を吐き出す。息は白くなって空気に溶けた。
これまで見たことがない光景だったのでずっとドキドキしていた。
そんなルーナを見たルディがむぎゅっと体を寄せ、ジェットが頭を撫でてくる。
「な、何???」
二人の反応が謎で思わず交互に見つめてしまう。
「可愛いな~って思っただけ」
「微笑ましかったから、つい」
答えになってないようが気もしたが、聞いてもどうせ答えてくれないと思って何も聞かなかった。
──夜に月を眺めていた時、レミもいた。
なのに、今は朝だからいない。
仕方ないことだとわかっていてもやはり寂しかった。
「……イェレミアス様とは、一緒に見れないんだよね。朝日は……」
思わず呟いてしまうと、ルディが嫌そうな顔をする。
「もう。ルーナ、僕と一緒にいるのにレミの話題やめてよ~」
「えっ。え? で、でも、」
四人でいないことに寂しさを感じただけで他意はない。そう伝えようと思ったところでジェットが頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「あいつは始祖の系譜だから魔力さえ戻れば昼間も普通に活動できるんだよ。限度はあるけどな」
「そ、そう、なの?! イェレミアス様、すごい……!」
「けど、魔力を戻すためには血が必要」
ジェットが続けた言葉にギクリとする。表情が固まってしまった。
意味ありげにルーナを覗き込んでくる金の目から視線が逸らせない。
「──ルーナ。お前、まだレミに血をやる気、ある?」
身が竦む。本当ならすぐに頷いて「自分の血ならいくらでも」と言いたいのに、そうできない理由があった。




