96.恋と夜明け①
昼から夕方にかけて寝て、その後夕食を食べて本を読んでもう一度寝て──。
翌日は普段よりも早い時間に目が覚めてしまった。
外はまだ暗く、いつもならルディと一緒に寝ている時間だ。時計を見てもまだ早く、もう少し寝ようかともう一度布団の中に潜り込んだ。
そして違和感に気付く。
いつも隣で寝ているはずのルディがいないのだ。
「……あ、あれ?」
昨日のことを思い出してみる。
本を読んでる間はルディも一緒にいて、本について色々話をしていた。寝る時間になるとルディは「僕ちょっと用事~」と言って出て行ってしまったのだ。てっきり夜の間に戻るとばかり思っていたので面食らっている。
普段ルディが寝ている場所をゆっくりと撫でてみても寝ていた形跡はない。どうやら昨日はベッドには入らなかったようだ。
不思議に思っていると、扉がコンコンと叩かれた。
「え? あ、はーい! どうぞ!」
何だろうと思いながらベッドを降り、扉の方に駆けていく。こんなに早くに誰だろうと思いながら扉を開けるとルディが立っていた。人間の姿だ。
「おはよ~、ルーナ。今日は早いんだね? 起きた気配がしたから来ちゃったんだ」
にこにこと笑顔で挨拶をするルディ。
いつもなら一緒に寝ていて、ベッドの上で「おはよう」と挨拶を交わすのに、わざわざ扉をノックしてルーナが開けてくれるのを待って、という行動に驚いていた。
まじまじとルディを見つめていると、ルディは不思議そうに首を傾げる。
「何? どうかした~?」
「う、ううん。あ、おはよう……昨日は一緒に寝なかったんだなって思って……」
ゆるゆると首を振ってから挨拶を口にし、昨日のことを聞いてみる。
ルディは何とも言えずに気まずそうな顔をして視線を背け、頬を掻いた。
「いや~……流石にもう一緒に寝るのはまずいかなぁって……僕も我慢できなくなっちゃうし……」
「ま、まずい……? それに我慢って……?」
「こっちの話~。まぁ、とにかくさ、これからは別々に寝よ? 朝はこーやって迎えに来るし、朝ごはんも一緒に食べるし……ルーナ、夜はひとりでも大丈夫だよね?」
言葉自体は軽い。だが、これまでと視線が違う。
見つめられているだけでむず痒くなるような、行き場を見失うような──不思議な視線だった。無性にドキドキしてしまってルディの視線を長くは受け止められない。
耐え切れずにふいっと視線を逸らしてしまった。
「う、うん、寂しいけど大丈夫だよ……今まで一緒に寝てくれてありがとう。ルディがいてくれたおかげで安心できた」
「そっか~、よかった。……まだ早いし、もうちょっと寝る? それともご飯食べる?」
聞かれて、窓を振り返った。まだ暗くて朝と言う感じはしない。
目は覚めてしまっているのに空腹と言う感じでもなかったので少々悩んだ。中途半端な時間に目を覚ましてしまったせいだろう。
「眠くもなくてお腹もすいてないんだよね……本を読んでようかな……」
「あ、そうなんだ。うーん……じゃあ、ちょっと散歩でもして、もうすぐ夜明けだから屋根の上に登って一緒に空を眺めない?」
綺麗だよ。と付け加えられて心が躍る。
ルーナにとって屋根の上から見る景色は特別だった。一人じゃ絶対に上がれない場所で、絶対に見ることができない景色で、転落した記憶があってもそれを上回るくらいに素晴らしい光景だった。朝日も、夜の月も。
ルーナの感情の変化を読み取ったルディが嬉しそうに笑う。
「決まりだね~。ここで待ってるから、着替えて暖かくして出て来てね~」
そう言ってルディは扉を静かに閉めてしまった。
これまでの態度と今の態度の違いに違和感を覚え、扉をじっと見つめる。これまではルーナの都合などお構いなしにぐいぐいと自由気ままに行動していたのに、今はルーナにかなり気を遣っているように感じた。
何か変なことをしてしまっただろうかと不安に襲われる。
妙な視線に見つめられたドキドキと、不安によるドキドキが入り混じって変な感じだ。
ぐるぐると考えを巡らせながら着替える。この間買ってもらったコートを用意してから髪の毛を触る。
寝起きなのであちこち跳ねていた。櫛を使って綺麗に梳いてから、前髪をつまんでどうしようかと悩む。少しだけ、ジェットがやってくれていたように編み込んで──すぐに解いてしまった。以前よりはうまくできるようになったと感じるものの、やっぱりうまくできないのだ。
少し悩んでから、ルディの目と同じ色の宝石がついたバレッタを手に取る。
「……よいしょ、っと」
前髪をまとめて後頭部で留めるようにしてバレッタを付けた。
おでこを出すなんてこれまでだったら考えられなかったのに今では抵抗感はほとんどない。むしろ、ルディがどんな反応をするかのが気になった。また「褒めてくれるかも」という淡い期待がどうしても捨てきれず、怒られたり嫌味を言わることばかりを気にしていた頃が嘘のようだ。
用意しておいたコートを羽織ってから、ゆっくり扉を開けた。
「ルディ、お待たせ……」
「ううん、待ってないよ。──あ!」
いつもと髪型が違うことにすぐ気付くルディ。自分でやったこととは言え気恥ずかしくなっていると、ルディがそっと髪の毛に触れた。
「あの時買ったバレッタだね。緑の石がついてるやつ~」
「まだつけたことなかったから……」
「うん、すごく可愛い」
髪の毛に触れたままルディが笑う。
その笑い方が優しくて、それでいて視線が熱くて、ぶわーっと顔が赤くなっていくのがわかった。なんで急にこんな顔でこんな風に言うんだろうと内心パニックで顔を赤くしたままルディを見つめてしまった。
「あはは、ルーナ顔真っ赤~」
「だ、だ、だって、なんか……ルディが急に……」
髪に触れていた手がゆっくりと顔をなぞっていき、頬を撫でる。
その手も驚くほど優しくて硬直した。こんな風に触れられたことなんて、これまで一度だってなかったからだ。
ルディが頬に触れたまま首を傾げる。少し楽しそうだ。
「急に、何?」
何、と聞かれも具体的には答えられなかった。「なんかおかしい」なんて曖昧なことを言うのも憚られ、顔を赤くしてただただ黙り込むしかできない。
すっとルディの手が離れていったので安心してしまった。
これまで一緒のベッドで寝て安心しできていたのに、今度は手が離れることに安心してしまうなんて我ながら意味不明だったからだ。
「ごめんごめん。ルーナが可愛いからちょっとからかいたくなっちゃった~。行こ? あ、手を繋ぐのは大丈夫?」
「……た、多分」
「嫌だったら言ってね。すぐ離すから」
そう言ってルディはルーナの手を掴んだ。
手は温かくて、とても優しい。大事にされているのが伝わってくる。
大丈夫だと言ったばかりなのに、何故か手を繋ぐだけでドキドキしてしまう。これが初めてでもないし、以前はこんな風にドキドキしなかったのに。
ルディの顔を上手く見れないまま横に並び、ゆっくりと歩き出す。
すると、ルディが手を軽く前後に揺らした。
「そんなに緊張しないで欲しいな~。僕はただルーナと一緒に散歩して朝日を眺めたいだけだから」
「……う、うん」
そう言われても何故か緊張してしまう。自分で自分が不思議だった。
廊下を歩いて正面玄関から外に出ると冷たい空気が頬を撫でていった。
「……いつもの僕とちょっと違うって思う?」
「うん……なんだろう、なんか違う」
「嫌な感じ、する?」
「それは、ない、よ」
「良かった。……ルーナが嫌なことは絶対にしないから安心して」
階段を一つ降りたところで言うルディ。笑顔なのに目は真剣そのもので逸らせない。
薄暗い中、こんな会話をしていることすらもドキドキする。
ルディがいつもと違うだけだからだろうか。それとも、ルーナがルディを意識しているからだろうか。
混乱のままルディと一緒に庭を歩いて回った。




