93.否定も肯定もできない②
──平気もクソもあるか。関係ないんだからお前の好きにしろ。
そう言えば済むはずなのに言えなかった。
言ってしまえば、ルディがジェットのセリフを言葉通りに捉えて本当に好きにするだろうから。
好きにすればいいと思っているのに、実際そうなるだろうと想像すると面白くない。
何も言わないでいるとルディがどこか呆れたような顔をした。
「大体さ、なんでジェットがルーナのことを心配するの?」
「心配?」
「レミはわかるよ。元々人間寄りの考え方だし、立場みたいなのあるし……でも、ジェットは違うじゃん」
そう言ってルディがジェットをじっと見つめる。言葉以上に雄弁な視線でジェットに訴えかけている。
「違うって何が?」
「人間のこと見下してるでしょ。なのに、ルーナのことだけ何だか特別に可愛がってる」
思わず首を傾げてしまった。「そうか?」と。
過剰に構っている自覚はあるが、そこは事情や思惑があるからだ。そういう気持ちが見え隠れしていたのだろうか、ルディが何とも言えない顔をしていた。
「……ジェットが色々考えてるのわかってるけど、傍から見てると全然それだけだとは思えないよ」
またしても「そうか?」と思ってしまった。
ふと横から視線を感じたので、ちらりと見るとレミが何か言いたげにジェットを見つめていた。そして、ルディがそんなレミを見つめる。視線の追いかけっこになっていて妙な感じだった。
ルディが呆れた様子のまま緩く首を振る。
「言っとくけど、レミもだからね~?」
「は?」
「レミがルーナのことを心配するのはわかるって言ったけど、それでもなんかちょっと変な感じだよ。ジェットよりマシなだけで」
レミがぎょっとしている。その様子が新鮮でおかしいが、笑っている場合ではない。
ルディはレミとジェットに好き勝手言われて不機嫌になっているかと思いきや、全くそうではない。二人の発言の一部にむっとはするものの、「どの口が言うんだ」と言わんばかりの態度なのだ。これまでとは少し違うので戸惑ってしまう。
ジェットはレミと顔を見合わせてしまった。
しかし、ルディは言うだけ言ってすっきりしたのか、二人の反応を気にした様子はない。呑気にぐーっと両腕を突き上げて、すとんと腕を下ろした。
「さっきも言ったけどすぐルーナに何かするわけじゃないし、……二人は僕がルーナのこと好きってわかってるみたいだから言っちゃうけど、僕はこれからルーナに好きになってもらうために色々とがんばるつもり。
でも、二人はそれでいいの? 何もせずに黙って見てるだけで、本当に大丈夫?」
最初の質問に戻ってしまった。多少言葉は違っているものの、ルディが聞きたいことは一つだ。さっきよりも明確になっている。
ジェットもレミも、ルーナに好意を抱いているのではないかと。
しかし、それを認めるのはとんでもなく癪で、特にジェットは諸々のハードルが非常に高い。
「……僕さ、レミのこともジェットのことも好きだよ。お父さんとの『契約』の期限があやふやで、その気になれば僕のことなんていつだって見捨てられたはずなのにずっと一緒にいてくれた。島のことしか知らない僕に色々教えながら遊んでくれた」
ルディにしては珍しく淡々とした声だった。普段ならもっと感情が籠もるはずなのに何を思っているのかが読み取れない。
空を見上げ、ルーナが綺麗だと言った月を眩しそうに見上げている。
「感謝してるんだよ、二人に。だから、……二人の気持ちを無視するみたいなことも、したくない。一番はルーナの気持ちだけどね」
月を見上げる様子はやけに大人びており、その表情は知らないものだった。
遠くを見ているようにも近くを見ているように見え、らしくもなく困惑する。何故ルディがこんな顔をするのか、こんなことを言い出すのかが飲み込めなかった。
仮に、レミやジェットがルーナに特別な感情を抱いているとしてもルディの好きにすればいいのに。もしそれで悔やむようなことがあったとしても気付かなかった二人が悪いし、それを他の誰かに責任転嫁する筋合いもない。
「僕はこの数日、これまでで一番悩んで考えたと思う。だから、二人も考えて欲しいよ。……ルーナのことをどう思ってるのか、どうして、どうなりたいのか」
そう言うとルディは視線を伏せた。
一息ついてからレミとジェットを順番に眺め、困ったように笑って肩を竦めた。
「じゃあ、僕戻るね。ルーナのところに」
レミもジェットも、何も言えなかった。ルディの言葉全てが予想外だったからだ。
何か言い返すことは出来たはずだが、どれもこれも上滑りの言葉ばかりで事実でも真実でもない気がしたからだった。何か言えばボロボロと上に塗っていた何かが剥がれ落ちそうだった。それはジェットならず、レミも同じだったと思う。そうでなければレミだって何かしら言い返していたはずだから。
二人から何の反応もないことを確認すると、ルディは静かにその場を後にした。
一度も振り返らずに森の中をゆっくりと歩いて屋敷に、ルーナの部屋に向かう。
その背中を見届けてからレミへと顔を向けた。
「……レミ、お前ルーナのこと好きなの?」
「……。……わからない。そういう風に考えたことはない」
レミが難しそうに首を傾げた。淡い金糸がはらりと落ち、億劫そうにそれを耳にかける。
「だが、ルディの目にはそういう風に映ってるんだろう。お前やルディに構うよりよほど楽しいのは確かだが、そう見えているとは思わなかった。……というか、ルディが自分自身の気持ちに気付いてるとも思わなかったな。どう見ても無自覚だったし」
困った顔をし、ため息をつく。
驚きが重なったために反応できなかったという要因もありそうだ。実際ジェットもルディ自身が「ルーナが好き」という自覚があるとは思ってなかったからだ。とは言え、感情と記憶を取り戻した時のルーナとのやり取りを思い出せばある程度予測はつきそうなものだった。
レミは考えを追い払うように首を振ってジェットを見つめ返す。
「お前はどうなんだ」
「……仮にそうだとしても簡単に認められねぇってのが今の気持ち」
「おや。意外だな、可能性は認めるのか」
レミが瞬きを一つ。言葉通り意外そうに。
どのみち嘘なんてついてもレミには見破られてしまうだろうからと肩を落とした。
「興味があるんだよ、ルーナに」
「ほう?」
「あいつが何を隠しているのか、なんでわざわざ生贄になんてなったのか……どう考えてもルーナは本当のことを一切口にしてないからな。けど、隠してるから知りたいと思うのか、ルーナ自身の興味があるのかはいまいちわかんねぇんだよな……嘘を暴くのが楽しいってのも事実だし」
「だが、ルーナは嘘をついてない、か」
そう、ジェットを混乱させるのはルーナが嘘を一切ついてないからだ。
明確に嘘をついているのであればそれを暴く楽しみを見出しているのだろうと自己分析していただろう。けれど、ルーナは嘘をついていない。本人が無意識に嘘をつくことを避け、『事実ではあるが、真実ではない』という発言を繰り返している。
これまで意図的にそういう話し方をする人間もいたが、必ずどこかでボロを出していた。
ジェット自身、切り分けができない。だから困っている。
「それにさぁ……認められるわけないだろ。普通に考えて」
「悪魔はそうだろうな」
言葉を濁しつつ言えば、レミがおかしそうに笑った。レミはある程度悪魔の常識や『普通』などを理解しているからか、ジェットの意図を汲んで明確に言葉にはしなかった。
「オレはオレで認めづらいところではある。だが、……ルーナがルディだけのものになる、というのは面白くないな。だが、そうなったら『契約』はどう考えても終了だ。ルーナがルディの番になったらオレたちはどう考えても邪魔者なのだから」
「あー……そういう考え方もあるか。……そうなったらまた二人になるってことだな」
「お前と二人なんてうんざりするな」
お互い様。と、ジェットが笑い、レミも笑った。
二人でいたのもそれなりに楽しかったが物足りなさがある。
四人でいることの賑やかさに慣れてしまった今、二人──もしくは独りに戻れるのだろうか。
すぐに答えが出せないのが歯痒く、ある種の苛立ちがある反面、こんなことで悩むのがおかしかった。




