92.否定も肯定もできない①
レミがルーナと話をした後、屋敷を出てルディを探しに行ったところからこっそり追いかけていた。
別にレミが責任を負う必要も、罪悪感を感じる必要もないというのにずっと悩んでいるのは知っていた。が、それはレミの問題であってジェットの問題ではない。だから、ジェットはずっと放置していた。
ルディにしろレミにしろ、ルーナと話したくらいで何故前向きになれるのが不思議だった。
「『番』にしてずっと自分に付き合わせるって?」
「そこまでは言ってないよ」
湖面に立つジェットをルディがむっとした顔で睨む。途中で話に割り込まれたのが気に障ったらしい。レミはいつものことだと言わんばかりに呆れている。
「不思議なんだけど……お前がルーナの方に合わせる気、ないわけ?」
「えっ」
「お前が人間になる気はねぇのか、って聞いてんだよ」
詰問口調で問えば、ルディがショックを受けたような顔をして黙り込んでしまった。
その発想が全くなかったのだろう。表情と雰囲気から、思っていることが手に取るようにわかった。
ポケットに手を突っ込んでルディの前に立ち、少し腰を折ってその顔を見つめる。ルディの困惑が伝わってきた。
「なかったんだよな、その発想。欠片も。……ルディ、その考え方なんて言うか知ってる? 傲慢って言うんだよ」
ルディが目を見開く。
一方的なやり取りを見ていたレミが手を伸ばして間に割って入ってきた。
「ジェット、やめろ」
「お前が甘やかしてはっきり言わないから俺が言ってんだよ」
「甘やかしているわけじゃないし、多少勝手だとは思うが傲慢とまでは思わない」
静かに睨み合っているとルディが小さくため息をつき、ゆるゆると首を振った。
そしてジェットへと視線を向ける。
「確かに僕は自分が人間側に合わせるなんて考えたことなかったよ。だって、寿命は長い方がいいと思ってるもん。
……こういう考えそのものが自分勝手なのはわかった。でも、ルーナを今すぐどうこうしようなんて考えてないし、そもそもルーナがこの先ずっと僕と一緒にいたいと思ってくれるかどうかは謎だし……とにかく、ルーナの気持ちは大切にするよ」
ルディにしてはやけに冷静で落ち着いた言葉だった。悲しみを乗り越えて成長したのかもしれない。元々聡いところもあったが、これまでとは少し雰囲気が違うように思えた。さっきレミが話していたことが多少響いたのだろうか。
良いことである反面、厄介な気もする。
しかし、落ち着いた一面を見せたかと思いきや、すぐにけろっとした表情になる。
「僕が傲慢だの自分勝手だのとかルーナの気持ち云々の話はまぁわかったし、あとでちゃんと考えるよ。それはそれとして、ジェットに聞きたいんだけど」
さっきまでの話をどうでもいいことのように言われ、流石に少し苛立つ。レミも「なんだその適当なセリフは」と言いたげにルディを見つめていた。庇って損をしたと言わんばかりだった。
ルディは二人の気持ちなどお構いなしに続ける。
「悪魔との『契約』で人間の寿命が延ばせるってなんで? 寿命を奪うならわかるんだけど、逆ができるの?」
ルディはひたすら不思議そうだった。レミは口を挟まずに話を聞いている。
確かに通常、人間が悪魔を呼び出して何かを望む時、自分の寿命を差し出すことが多い。単純に対価にできるものがそれしかないからだった。自身の寿命を捧げてでも果たしたいことがあるのだろう。復讐だったり何らかの力を得ることだったり。
大半がそういう『契約』なのでルディの疑問は最もだ。
質問によってははぐらかしてやろうと思っていたが、一応それなりに答える気にはなった。
「まぁ、悪魔との『契約』なんて内容はどうとでもできるからな。通常、人間が悪魔を従わせたいから悪魔が納得する対価を用意するだけだし?」
「え? じゃあ、僕がジェットに『ルーナの寿命を延ばして』って言って、何か対価を用意したら──」
「とは言え、悪魔にも得手不得手があるからな」
ルディの言葉を一度遮る。ルディは訝しげにジェットを見つめた。
「……ジェットは、できるの?」
「老化を遅くすることはできる。けど、それだけ。不老不死には程遠い。少なくとも俺は人間の寿命なんて伸ばしたことねぇから、どれくらい生きるのかはわかんねぇ。あと、悪魔は総じて癒しなんて使えないから怪我や病気したらどうにもできねぇな」
感覚的には百年から二百年程度くらいなら若い状態のまま生かせる気がする。が、今ルディに告げた通りやったことがないので実際どうなるのかわからない。そういった類の『契約』をよく持ちかけられる悪魔もいるが、詳しく話を聞くこともないので実際どうなのかは本当によく知らないのだ。
ジェットの話を聞き終わったルディは少し考え込む。
それから、レミへと視線を戻した。
「吸血鬼の眷属になった人間ってどうなるの?」
レミが驚いた顔をし、それから小さく肩を落とした。
「……まず、吸血鬼と同じく陽の光が弱点になる」
「夜しか活動できないんだ~」
「そうだな。そして、眷属にした吸血鬼がその人間にとっての主人となり、主人の命令が一番になる。支配下に置かれると言い換えてもいいか」
「……なんか全然ダメじゃん」
がっくりと肩を落とすルディ。恐らく悪魔との『契約』以上にルディが求めるものではないだろう。
しかし「全然ダメ」と言われて気分が良いわけがない。レミが少々不機嫌な様子で言葉を重ねる。
「だが、吸血鬼と同じく再生能力に優れるので多少の怪我では死なないな。基本的に病気もしないし、魔力や身体能力が向上するので自分の身は自分で守れるようになる」
眷属になって吸血鬼に仕える人間もいる。フリーデリーケもそういう人間を配下に置いているし、彼女が暮らしているナイトハルトでは吸血鬼の眷属はさほど珍しくない。
が、致命的な問題もある。レミがそれを言わないのでジェットが口を挟むことにした。
「けど、眷属は主人が死んだら一緒に死ぬだろ」
「やっぱりダメじゃん!」
もう! とルディが首を振る。欲しい選択肢ではなかったのだろう。
レミはそれ以上何も言わずに黙り込んだ。
「は~……なんか、これだって感じの方法ってないんだね」
「何でだよ。お前からしたら番一択だろ。寿命なんて多少縮むだけだし」
「僕だけの問題ならね~。……まぁ、いいや。どっちみち今すぐってわけじゃないし……」
そう言ってルディは大きくため息をついた。何故かその様子はジェットとレミを小馬鹿にしているようでいまいち面白くない。
ルディが数歩後ろに下がり、前足をぐーっと伸ばす。それから後ろ足も伸ばしていた。こうしてみると本当に犬か猫のようで、天候を操る能力を持つ伝説級の魔獣だとは思えない。
ルディは軽く空を見上げてから、人間の姿になった。
目線が近くなったと思ったら彼はジェットとレミを交互に見つめ、こてんと首を傾げる。
「……僕はこれからいろいろと頑張るんだけどさ。レミとジェットは、もし本当に僕とルーナが番になっても平気なの?」
そこにあるのは純粋な疑問。
他意も含みも何もない、ただただ疑問だから聞いた。それだけの言葉。
大した疑問でもないのに「良いに決まってるだろ」と軽い調子で答えられなかった。レミも何も言わず、ルディを見つめている。
冷たい風が吹いていく。
誰も言葉を発しないため、木々の揺れと葉の音がだけが聞こえてきた。
──ジェットがこの先、人間に興味を持つことってあるのかしら?
幼い問いかけを思い出した。
何故このタイミングでこんなことを思い出すのかわからず、ジェットはひたすら混乱する。
ゆっくりと口元を覆い隠し、ルディの視線から逃れるように顔を背けていた。
ふっと浮かぶルーナの顔。
ただの弱い人間だと言い聞かせて掻き消そうとするが──簡単には消えてくれず、一層混乱するのだった。




