91.人間の寿命の話。
不老不死──。
それを追い求める人間は一定数居る。世の権力者をはじめとして魔術師、何かしらの事情を抱えた者。
まさかそれを人間ではなく魔獣が求めるとは考えてもなかったので、そんな気持ちを誤魔化すようにため息をつく。
「……答える前に一応聞くが、何故そんなことを知りたがる?」
「ルーナと話してる時に言われたんだよ。せいぜいあと五十年しか生きられないから、僕とずっとはいられないって。僕は自分の寿命を知らないけど、まだ多分かなり生きると思う……あと五十年しかルーナといられないなんて嫌だから、」
「だから、ルーナを自分の寿命に付き合わせるのか」
今度こそ思いっきりため息をついた。ルディがむっと口を尖らせて黙り込む。
多くの長命種は自分より短い寿命の種族は「そういうもの」だと思っている。人間が犬や猫などの動物と暮らすのと同じだ。わざわざ彼らの寿命を延ばそうなんて考えない。
「ルディ、多くの生き物はその体や生き方に合った精神構造をしている。勝手に寿命を伸ばしたら気が狂うぞ」
「……わかんないじゃん。そんなの」
相手のことが好きだから同じ時間を生きたいというルディの気持ちはわからないでもない。そういうことを考えた場合、やはり同種同士が一緒になるのが良いに決まっている。
レミは以前、ジェットに向かって「ルディの番が人間でもいい」などと発言してしまったが、当時の発言の今となっては反省している。あの時はもっと軽い気持ちだったし、まさかルディがルーナの寿命を伸ばしたいなんて言い出すと思わなかった。
あまり例として出したいものではなかったが──。
「勝手に不老不死になんてしてみろ。あいつみたいになってしまう」
「……あいつ……?」
ルディが不思議そうに首を傾げる。どうやらすぐに思い出せないようだ。
レミが知る限りの中で、不老不死となったただ一人の人間。
何をしても死ぬことができず、姿かたちが変わらないまま生き続けている。レミは便宜上彼のことを『不老不死』と言っていた。ひょっとしたら寿命があるのかもしれないが、現状確かめる術はないからだ。
やがて考え込むルディの耳と尻尾がピンと立った。
「あっ?!?! あ、あ~~、あいつかぁ……え~~~……あんな風になるのは困るなぁ……」
「だろう? だからルーナを不老不死になんてしようと思うな」
「……でも。でもさぁ……!」
「ルディ」
駄々をこねようとするルディを静かに見つめで呼びかけると、ルディがつまらなさそうに黙り込んだ。
「前置きが長くなったが、そもそもオレは人間を不老不死にする方法を知らない」
「えっ?! で、でもあいつは……?」
「あいつも自分が何をされたかのかよく覚えてないそうだ。だから真相は闇の中だな。
あと、仮に人間を不老不死にする方法を知っていたとしても教えない」
最後の一言だけははっきりと告げる。ルディが困惑しながらも怒ったような顔をしてレミを睨んだ。
知らないので教えようがないのだが、仮に知っていたとしても教えないだろう。絶対に。睨まれても牙を剥かれても。
「知らないならしょうがないけどさ~……知ってても教えてくれないってなんで?」
ふー。と息を吐きだす。
以前、ルディに告げたことと今の状況が繋がらないようでまだまだ教育が必要だと感じた。横目でルディを見つめつつ、静かに話を続ける。
「ルーナがなりたいとでも言ったのか? 不老不死に」
「え? い、いや、そうじゃないけど……でも……」
「前にも言っただろう? 相手に聞いてから行動に移せ、相手の意思を尊重しろと」
「っそ、そうだけどさ! いいじゃん、知りたいと思うくらい!!」
「良くない。知ったら試したくなるだろうし、さっきまでの口ぶりだとルーナの意思を無視してでも不老不死にしたいと聞こえたぞ」
そう言い切るとルディが悔しそうに黙り込んでしまった。そういう気持ちが皆無じゃなかったのは明白だ。ふいっとレミから顔を逸らして、湖面を見つめた。
八つ当たりするように湖面を前足でぱしゃぱしゃと叩く。
「……だって、寂しい。僕、いつかひとりぼっちになっちゃうかもしれないんだもん」
「今の話じゃないし、そうなると決まったわけじゃない。いつかの話をするよりも、まずは『今』を大切にしろ。ルーナの寿命が自分よりずっと短いと知っているなら尚更だ」
言っていることは伝わっているはずだ。流石にそこまで物わかりが悪いわけではない。
ただ、納得ができないようでさっきからずっと湖面を叩いている。まだまだ子供のようだ。短所でもあるが、長所でもある。
それ以上は何も言わずにルディが叩くせいで揺れる湖面を眺めていた。月が二つ湖面に移っても、水面が波打つせいでちっとも綺麗に映らなかった。
やがて、ルディが前足を下ろしてレミを見上げる。何かに気付いたような顔をしており、それはそれで嫌な予感がした。
「不老不死はいいや。じゃあさ、人間の寿命を伸ばす方法は知ってる?」
「~~~~。ルディ……!」
小言の一つや二つ言いたいところを抑えて奥歯を噛み締め、代わりにこめかみを押さえた。
「僕だってレミの言いたいことがわからないわけじゃないよ。でもさ、僕とルーナの時間の流れ方って絶対違うじゃん。……気が付いたら、もうどうしようもないくらいにルーナが老いてたっていうのだけは……嫌なんだよ」
ルディの目は真剣だった。瞳の奥には不安が見える。
それは明確に覚えがあるからこその不安で、「気が付いたら人間が老いていた」という感覚はレミも知っていた。吸血鬼の寿命が長いが故に、人間の成長など一瞬だった。瞬きをしている間に赤ん坊が歩き出し、次の瞬間には結婚をして子を生し、少し離れている間にベッドに弱々しく横たわっていた──という時間の流れの残酷さは、レミだって目の当たりにしてきた。
”普通”なら、そんな時間の流れは「そういうもの」だと諦めがつく。
諦めがつかないのはルディがルーナのことを好きだからだ。
「あとさ、何も今すぐどうにかしたいわけじゃないよ。ルーナは、僕と一生一緒にいたいくらい好きじゃないと思うし……でも、方法は今のうちに知っておきたいだけ」
この調子だと『不老不死』もしくは『人間の寿命を伸ばす方法』を探して世界中を駆け回りかねない。そんな勢いと危うさを感じたた。
どうせどんな方法もすぐに実現できるわけじゃないからいいかと思い、渋々口を開いた。
「……不老不死じゃなくても、人間を自分の寿命に付き合わせる方法はいくつかある」
「なになに?!」
ルディの目が輝く。期待に満ちた目をレミに向けてくる。それも真っ直ぐ、無邪気に。
「吸血鬼なら自分の眷属にすること。悪魔ならその手の条件をつけた『契約』をすること」
「え~……僕が知りたい方法じゃないんだけど~」
ぺた、と耳と尻尾が元気をなくす。期待が薄れ、どこかがっかりした表情になってしまった。
そんなルディを見て呆れ半分微笑ましさ半分で肩を竦める。まだ話は終わりじゃないのだ。
「最後まで聞け。……魔獣なら『番』にすること」
「つがい? え、お父さんとお母さんみたいに夫婦になればいいの?」
「恐らくな。だが、魔獣と人間が『番』になるケースは稀有だ。その稀有なケースの中に、人間が通常の寿命の何倍もの時間を生きたという話がいくつもあった。色々と調べていくうちに『番』になることで、魔獣の寿命や魔力を人間に分け与えているのではないか、という仮説が立った。魔獣の寿命が少し短くなっていたから、この仮説は当たっているはずだが……確証はない」
そこまで話してからルディの反応を見る。
吸血鬼や悪魔の方法と違って魔獣自身にもリスクがある話だ。ルディがどれだけ生きるのかにもよるが、残りの生を相手に分け与える勇気があるかどうかだ。──自分の寿命を縮めてまで、そこまでできるものなのか。
「面白そうな話してんじゃん」
視線を向けた先、湖の上にジェットが立っていた。
水の上を地面の上と同じように歩き、レミとルディに近付いてくる。歩くたびに波紋が広がった。
空気を読んで出てきたのか、はたまた邪魔をする気できたのかさっぱりわからない。




