89.そんなこと、誰も思ってないのに②
ルーナの問いかけにレミは気まずそうに顔を背けた。
薄暗い部屋の中に重い沈黙が落ちる。
気まずそうな顔をじっと見つめてみるが答えはすぐにない。聞いてはいけないことだったのだろうか。申し訳ないことをしてしまったと視線を伏せた。
「……ルーナに感謝をしているのは本心だ」
レミが顔を背けたままぽつりと呟く。その声に釣られて、もう一度レミを見上げた。
彼の視線は部屋のどこを見ているのかわからない。どこか遠くを見ているようにも、どこも見ていないようにも感じられた。
「オレは……ルディから取り上げるだけで何もしなかった。いや、実際『何か』をしたのはジェットで、オレは何もしてない。……ルーナがいなかったら、懺悔すらもできなかったんだ」
淡々とした語り口は昔話をする時と同じだった。
自身の感情を遠ざけ、排除した話し方。
昔話をされている時は気にならなかったが、今もその話し方をしているのは何だか悲しかった。
ぐ。と、両手を握りしめる。
「イェレミアス様は、……自分のこと、役に立たなかった、って思ってるの?」
「──実際そうだろう?」
そう言って初めてレミがルーナに視線を戻した。自嘲気味な瞳と笑い方。
貴族のような立ち居振る舞いと自信を滲ませていたこれまでのレミとは大違いだった。それくらいにルディのことはずっと気にかけていたのだろう。自分がどうにかしなければとずっと思っていたのに、結局ルディが自分で乗り越えてしまった。とても良いことなのに、そこに至るまでの経緯をレミが悔いている。
これまでであれば目が合うと無性にドキドキしたものだが、今ではそんな風にならなかった。
強い気持ちでレミを見つめ返している。
「ルディは……」
「うん?」
「イェレミアス様に恩があるって言ってた。二百年なんて私には想像もつかない長い時間だけど、その時間がルディにとって無駄じゃなかったことだけはわかるよ……食事のマナーとか街に行った時の振る舞いとか、全然おかしいところなんかなかった。私よりもずっとしっかりしてて頼りになる。──そういうのは、全部イェレミアス様のおかげでしょう?」
そう言うとレミが驚いたように目を見開いた。しかし、すぐに困ったように笑う。
「それは、フィロからの頼まれごとだからな」
「でも、フィロさんと『契約』したのはジェットだって言ってたじゃない」
「ジェットはオレの代わりに『契約』したに過ぎない。……ジェットがあの手の『契約』が嫌いなことを承知で受けさせた。フィロに言質と安心を与えるためだ。オレにはそれができなかったからな」
やるせなさを感じた。ルーナの言葉を聞いてはくれているけれど全てが受け流されている。
全部が全部レミのせいだなんて、そんなことはないのに。
きっと、二百年前のことに関わったみんな何らか後悔を抱えているはずなのに。
「……イェレミアス様は、全部自分のせいって責められないと、嫌なの……?」
気付くと目に涙を溜めてレミを見つめていた。
その涙はちょっとしたことで零れてしまいそうだったので、腕で強引に拭ってしまう。
「それは……」
何か言いかけたレミが口を噤んだ。動揺とも困惑とも言えぬ感情が伝わってくる。
「最初、イェレミアス様が『憎しみを晴らすなら今』って言った時、ルディがなんて言ったか覚えてる?」
「──『なんでそんな物わかりのいいことを言うんだ』、だったか」
「『どうしようもなかったってわかってる』とも言ってた。あとは、『今ここで殺しても、もっと悲しくなるだけだ』って……ルディは、全部がイェレミアス様のせいだなんて思ってないよッ……なのに、イェレミアス様は全部自分のせいみたいに言うの、全然話を聞いてくれないみたい……ッ!」
あの時、『悲しみ』と当時の記憶が戻ってきて、感情の渦に飲まれて混乱したルディを思い出す。
両親を失ったことへの悲しみと怒りで、当時何もしてくれなかったとレミを責めたのも事実だ。しかし、それが真実ではない。悲しみ故にそこから発生した怒りや憎しみが、たまたま目の前にいたレミへ向いただけなのだ。
ルーナしかいなかったら人間へ向いたかもしれない。ジェットしかいなかったらジェット個人に向いたかもしれない。
怒りと憎しみが向かった理由なんて、目の前にいたから他ならない。
呼吸が震える。涙がまた零れそうになる。
自分のことじゃないのに、まるで自分のことみたいに憤っている。
「感情のままに殺してしまったら悲しくなるくらい、ルディはイェレミアス様のことが好きなんだよ。好きな相手が、自分のことをずっと責めてたら悲しいし辛いよ! どうしてわかってあげないの……!?」
叩きつけるように言ったところで、また涙が零れてしまった。
泣くのが何故か悔しくて乱暴に涙を拭う。
すると、レミの手がゆっくりとルーナの頬に触れた。
「……わかってない、わけじゃないんだ」
「なら、どうして……!」
「もっと何かできたはずだという気持ちと、後悔がある」
涙は拭ってしまったので、頬はしっとりしているだけだ。更に涙を流すわけにはいかないとぐっと堪えた。
レミが目を細めて、困ったように自嘲気味に笑う。
「なのに誰も責めないし、オレを咎めないんだ。昨日、ルディが初めて責めたが……結局遠ざけられてしまったからな」
頬を優しく撫でられながらレミを見上げた。
お前のせいだと責めて欲しい、ということだろうか。それはそれで悲しくて胸が締め付けられた。
「……そういう、後悔は」
「うん?」
「自分で持ち続けるしか、ないんじゃないかと思う……」
恐る恐る言えば、レミの手が止まった。
誰かに責められて罰せられた気になるのは簡単だ。しかし、それは解決になるのだろうか。
──二人の事情とは全く違うが、ルーナだって両親が病に侵された時に自分がただの子供であることが悔しかった。何もできず、約にも立たないことがとにかく悔しくて苦しくて辛かった。もっと大人で魔法が使えたら、医学の知識があればと幾度と思った。
当時のことを思い出すと苦しくなる。
何もできなかった自分を、自分で責めるしかできなくて。
「ルディも、きっと、ずっと……『何かできたはずなのに』って後悔してるはずだもん。本当にどうしようもなくて、何もできることがなかったとしても──消えない気持ち、だと、思う……」
それは誰もどうにもしてくれない。自分で持ち続けるしかない。
許せない自分と後悔と上手く付き合っていくしかない。
そんなことを思いながら、ちらりと視線を動かした。
室内にあるテーブルの上に積まれた本。全てレミが選んでくれたものだ。読んでいた時は遠い世界のことばかり思っていたのに、読み終わってからは自分の感情などに重なることが多いと気付いた。書物が全てではないにしろ道標にはなった。
レミがルーナの視線を追いかけて少し驚いたような顔をしてから、ルーナに視線を戻す。
「……そうか。誰かに罰してもらおうなんて、安易な考えだったな」
「あ、安易だとは思わないし、……辛くて苦しいのは、伝わってくるよ」
そう言って頬にあるレミの手に自分の手を重ねた。レミをじっと見つめる。
「だから、ルディとちゃんと話をして欲しい。……今のルディがあるのは、私だけじゃなくて、イェレミアス様とジェットがいたからだもん。感情と記憶を取り戻す決断ができたのも二人がいたからだよ。私は多分、きっかけだっただけ……ルディはイェレミアス様が好きで感謝してるって気持ちはちゃんと受け止めて上げて欲しい」
ぎゅっとレミの手を握ってからそっと手を離した。
レミが名残惜しそうに手を離し、ルーナを見て目を細める。
「そうか……」
「うん。イェレミアス様とルディなら大丈夫だって、信じてるから」
「──そう言われれてしまうと、逃げるわけにはいかないな……」
「え、逃げ……?」
不審に思って眉を寄せるとレミが一歩引いた。ばつが悪そうに笑っている。
「合わせる顔がなかったんだ。ルディに。だから、昨日から会ってない」
「え゛っ……!?」
「だが、ルーナのお陰で決心がついた。今から会ってくる。──ああ、それと」
自分のペースで話を続けるレミはいつものペースに戻っている。逃げていたという事実に驚いた後に安堵した。
くるりとルーナに背を向けたかと思ったら肩越しにルーナを振り返って意味ありげに笑った。
「次からオレを呼ぶ時は『レミ』でいい」
言うが速いか、レミは姿を消してしまう。
最後に残された言葉を飲み込み、咀嚼して、理解した瞬間呆然としてしまった。
「……え゛っ?!」
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