88.そんなこと、誰も思ってないのに①
ジェットもルディのお兄ちゃんのようだとしみじみ感じていたところで、空気を読まずにルーナのお腹が「ぐううううう。ぎゅるぎゅるぎゅる……」と音を立てた。
慌ててお腹を押さえるが時すでに遅し。二人の視線がルーナに注がれていた。
恥ずかしさで顔が赤くなり、居た堪れなくて俯いてしまった。
笑いたそうな雰囲気が伝わってくるのに笑い声は聞こえない。ジェットが吹き出すかと思ったのにそんなこともなかったので、不思議に思って恐る恐る顔をあげるとジェットが口元を覆って静かに肩を震わせていた。
「……わ、笑えばいいのに」
お腹を両腕で隠すように覆いながら恨めし気にジェットを見てぼやいた。
しかし、ジェットは何故か笑うのを我慢している。その様子をルディが不審そうに見つめていた。
「すげぇ音だったから笑いたい気持ちがあるんだけど、一日何も食ってなかっただろ?」
「……本当に一日経ってたなら、そうだよ」
「なら腹が鳴ってもしょうがねぇし、笑うのは筋違いな気がしただけ」
そう言ってジェットが口を閉ざした。
一瞬何を言われているのかわからなかったが、つまりは気を遣ってくれているらしい。失礼な話だと思いつつ、それはそれで何だか変な感じだなと思ってしまった。らしくないとも言う。
ルディも変な顔をしてジェットを見つめている。
「笑っちゃダメって思ってても笑いそうになってるのを見られてたら意味なくない?」
「咄嗟のことなんだからしょうがないだろ。笑わなかっただけマシ」
しれっと言うジェットに対し、ルディは懐疑的だ。
「……そうかなぁ?」
「その話はもういいだろ。──ルディもルーナも腹減ってるんだろ? 用意してやるからちょっと待ってろ」
「用意してやるから」という言葉にルーナとルディは揃って瞬きをしてしまった。そして顔を見合わせる。
まさかジェットがそんなことを言うなんて夢にも思わなかったのだ。
これまでだって料理を手伝ってもらえば、手際は良いものの文句を言いながらだった。大体何をするにでも面倒くさがりで、何かしたと思えば「暇つぶし」と言うような相手だ。
空腹だから食事を用意するなんて発言、聞き間違いかと思ってもしょうがない。
そんな二人の空気が伝わったのか、ジェットが微妙な顔をしている。
「その反応は失礼だろ」
「え~? だって、ジェットがそんなこと言うなんて考えたことなかったもん」
「じゃあ要らねぇってこと?」
「腹ペコのルーナに作ってもらうのは悪いから、用意してくれるなら食べるけど……」
「けど?」
言いたいことがあるなら言えと言わんばかりのジェット。
ルディはちょっと躊躇ってから続きを口にする。
「ジェットが作るの?」
「……。……もう作ってある」
「えっ!?」
「えええっ!?」
黙ってルディとジェットのやり取りを聞いていたが、予想だにしない言葉にルディよりも大きな声で驚いてしまった。
自分の声の大きさにハッとして両手で口を押さえる。ジェットがジト目でルーナを見つめていたので、何事もなかったかのように視線を逸らした。
ジェットがため息をつき、どこか居心地悪そうにしながら後ろ頭を撫でる。
「お前らが食わないなら捨てるだけ」
「え~。じゃあ、折角だから食べる~」
「わ、私も……!」
ルディが尻尾を軽く揺らしながらジェットに近づいていくのでルーナもそれを追った。
ジェットは二人に向かってくるりと背を向けてしまう。
「じゃ、食堂な」
「やったー! ねぇねぇ何作ったの?」
「ただのシチューだよ」
ルディが嬉しそうにジェットの隣に並び、彼を見上げている。尻尾はずっと機嫌良さそうに揺れており、嬉しいのが伝わってきた。
二人の様子をぼんやりと眺めていると、不意に二人が振り返る。
何故ついてこないのか、と不思議そうな顔がおかしくて、それでいてくすぐったい。
慌てて二人に駆け寄っていき、二人を見て笑みを浮かべた。
「ジェットの作ったシチュー、楽しみ」
そう言ってジェットを見ると彼は何も言わずに居心地悪そうにするだけだった。そんな様子が珍しい反面でおかしくて、こっそり笑ってしまう。が、結局ジェットに頭を叩かれてしまった。
食堂に行き、ジェットが温め直してくれたシチューをルディと一緒に食べる。
甘めで美味しいシチューだった。空腹にも優しい味で二人で食べきってしまうと、ジェットが「どんだけ食うんだよ」と笑った。
丸一日、寝食も忘れてルディと一緒にいたため、シチューを食べ終えたら眠くなってしまった。
ルディも同じだったので、ジェットに断って一眠りすることにする。まだ外は明るくて、これから昼に向かっていくというのに「おやすみ」と寝入ってしまった。
◇ ◇ ◇
次、目を覚ましたのは夕方だった。
夕暮れ時で、空の色がオレンジと藍色のグラデーションで美しい。そんな空模様をベッドからぼんやりと眺めてから、横で眠っていたはずのルディがいないことに気付いた。
キョロキョロと周囲を見回すが部屋の中にはいない。ルディの方が疲れただろうにルーナよりも早く起きて大丈夫なのだろうか。心配になったのでまだ少し眠い目を擦りながらベッドを降りる。
窓を開けて軽く身を乗り出した。
見える範囲にルディの姿はない。冷えた空気を受け、目を細めた。
「……ルディ、どこに行っちゃったんだろう」
「ルディならいつも通り山に行ったはずだ」
「っ?!」
不意に声が聞こえ、慌てて振り返った。
窓から差し込む僅かな日の残りが当たらないように、部屋の扉に背を預けるようにして凭れ掛かっているのはレミだった。
レミの存在に気付いたルーナは慌ててシャッとカーテンを締める。日が差し込まないようにすれば、レミが窮屈そうにする必要はないと思ったからだ。
もちろん突然の出現に驚いたが、ここはレミの屋敷だ。彼がどこにいようともおかしくはない。
「イ、イェレミアス様……!」
「悪いな、勝手に入って」
「それは全然大丈夫……す、すみません、勝手に寝てて……」
そう言うとレミが不思議そうに首を傾げた。
日を遮断し、薄暗くなった室内をゆっくりと歩いてルーナに近づいてくる。
「何故謝る? 悪いことをしてないのに謝る必要はないと以前言ったと思うが」
「っそ、そう、なんですけど……寝る前にご報告やご挨拶をすべきだったのかもって……」
「ジェットから報告を受けているから問題ない。……敬語もやめてくれ」
レミに対してだけ、咄嗟の時だとどうしても敬語になってしまう。本人に「やめてくれ」と言われているので、気をつけなければと思いながら口の前で両手を重ね合わせた。
そっとレミを見上げると、何か言いたそうにしているのに気付く。
「……ど、どうかした?」
「──いや、礼を言わねばと思っただけだ」
「れ、れい???」
何のことだかわからず、疑問符を散らしまくってしまう。首をひねるとレミがおかしそうに笑った。
ゆっくりと手が伸びてきたかと思えば、その手がルーナの頭に乗る。そして優しく撫でられた。
「この二百年──ずっとルディのことを気にしながら、結局何もしてやれなかった。感情も記憶も返さなければいけないとわかっていたが返せなかったんだ。……ルーナのおかげでルディは忘れている事実を思い出し、向き合うことができたんだ。ルーナがいなかったら、ルディはずっと忘れたままだったかもしれない」
言い終わったところで手が止まる。そっと手が離れていったので、それを追いかけるようにレミを見上げた。
「だから、ありがとう。ルーナ」
感謝を伝える声も、表情も優しいものだった。
なのに、憂いを帯びていてどこか悲しそうだった。
素直に感謝を受け取ることができずに戸惑う。悲しげな赤い目を見つめ返すしかできない。
「……イェレミアス様」
「うん?」
「どうして、そんなに──悲しそうなの?」
放っておけずに聞いてしまった。尋ねた瞬間にレミの手が微かに震え、赤い目が微かに揺らいだ。




