87.涙と嵐の後に②
風雨の音が弱くなり、雷は鳴らなくなった。
二人は窓の前に移動して並んで外を眺める。
空を覆っていた厚い雲は大分薄くなり、曇り空と晴れの間のような天気になっていた。これから晴れゆくようにも、ただの曇り空にも、雲が太陽を覆っていきこれから雨が降り出すような天気にも見える。要は安定してない。
そんな天気を見たルディが酷く難しい顔をした。
「……お、おかしい。これ以上は操作しようがないはずなんだけど、ちゃんと晴れない~……」
ルディは窓ガラスにおでこをくっつけてしょげてしまう。魔獣の姿のままなのでルーナは彼を見下ろす形になった。
尻尾がへたりと床についてしまっており落ち込んでいるのが丸わかりである。
晴れと曇りの間みたいな天気のため、またいつ雨が降り出してもおかしくないように見えた。流石に風や雷はなさそうだけど、絶対に「ない」とも言い切れないので困っているのだ。
ルーナは空とルディとを見比べて、少し考え込んだ。
「ねえ、ルディ」
「何~……?」
「えっとね、ちょっと思ったんだけど……」
窓ガラスに両手をつけたままルディを見つめる。
自分の考えていることをちゃんと言葉にしようとしばらく間を置いてしまった。
ルディは落ち込みつつも不思議そうに首を傾げている。
「なんていうか、元々の天気とルディの能力がぶつかった場合、どうなるんだろうって……」
そう言うとルディは更に首を傾げた。左右に揺らして「どういうこと?」と言いたげにしている。
「えっと……元々曇りのところに、ルディが嵐を起こしたら──晴れるのか、曇りに戻るのか、どっちなのかな? って」
「……あー、なるほど。えっと、どうかな……? でも、僕が嵐を起こす前って晴れてたよね?」
「うん、確かに晴れてた。けど、結構遠くに雲が見えてて……夕方や夜になったら曇るかもって思ったの」
ルディが嵐を引き起こす前は彼の言う通り晴れていた。気持ちの良い快晴だった。
けれど、ルーナはその日の天気を確認した時、遠くに雲を見つけていた。昔、両親が「明日は雨かもね」と呟いていた時に見えた雲と似たような雲が見えていたのだ。今日は快晴だが、明日には崩れるだろう、という天候。確証はないものの経験則のようなものだ。
ルーナの言葉を聞いたルディは少し目を閉じた。何か思い出そうとしているようだ。
「……お父さんとお母さん、あんまりこの能力については教えてくれなかったんだよね。でも、島に全然雨が降らない時とか、逆に嵐が何度も来た時とか……そういう時に人間たちを守るために能力を使ってて、それは覚えてる……」
どうやら両親が能力を使った時のことを思い出そうとしているようだ。
何か有益なことを思い出せればいいけれどと思いながらルディを見つめた。
「──そう言えば、」
ぱち。と、ルディが目を開ける。眼前に広がる曇り空を見て目を細めた。
「嵐が来すぎて村に被害が出た時、島とその周辺だけぽっかり晴れにしてたことがあった……なんていうか、とにかくすっごい変な天気で、嵐が過ぎ去るまでその状態で……戻した時、多分曇ってた、と思う……」
「それじゃあ……」
「うん。多分だけど、僕たちの能力って、一時的に狙った地域を僕が作り出した天気で覆う感じで、元の天気は維持されたままなんだと思う。なんていうのかな~……なんか、すっごい感覚的なんだけど、こう──」
ルディが必死にルーナに説明してくれようとしている。右前足を動かして、何かを覆うような仕草をしていた。
正直、能力を使う本人がわかっていればいいのではないかと思ったのだが、こんなに必死に伝えようとしているのだから理解せねばと脳みそを使って説明と仕草を合わせて想像してみた。
「ボ、ボウルを被せる、みたいな感じ……? 内側と外側で天気が違う……?」
料理で卵などを混ぜる時に使うボウル。あれをルディの作り出した天気として、それを屋敷とその周辺に乗せるイメージをしてみた。そうなるとボウルの内側はルディの作り出した天気、外側は元の天気のままとなる。
自信なさげに言うと、ルディがふわふわと尻尾を振った。
「そう! そんな感じ!」
「あ、合ってた。よかった。そっか、雨なのに晴れにできたり、晴れなのに雨にできたり……すごい能力だね」
村では長雨が降ることは滅多になかったが、代わりに雨が降らずに困ることがあった。その時、意図的に雨を降らせることができるということなので相当すごい能力だ。
レミたちの話ではかなり稀有な能力であるとともに解明されてないらしい。
使い方などはルディたちしか知らないのだ。
「……うん。すごいよね。お父さんもお母さんもこの能力を自由自在に操ってた。僕もちゃんと使えるようにならなきゃ。もう誰にも迷惑をかけたくないし」
そう言ってルディが窓の外を見つめた。
その目には強い意志があり、これまで可愛く見えていた魔獣の姿がやけに凛々しく見える。思わず見入っていると、急にルディがため息をついてその場にへなへなと座り込んでしまった。
「ル、ルディ!?」
「安心したら、なんか急にお腹がすいてきて……」
ルディは床に寝そべりながら困ったような顔をして笑った。
大したことではなかったので安心しつつ彼の横にしゃがみ込む。そう言えば自分も空腹なことに気付いた。
「じゃあ、何か作ってこようか?」
「うん、たくさん食べたいな~。魔力もいっぱい使っちゃったし」
「わかった。もうお昼になっちゃうもんね」
そう笑いかけて再度窓の外を見る。曇り空から覗く太陽の光は明るくて、日が真上に行くのも時間の問題だろう。
ルディのために美味しいものをたくさん作ろうと思い、すくっと立ち上がる。
その直後、背後に気配を感じた。
「や、もう丸一日経ってんだけど」
ジェットの声だった。
呆れたような、ため息混じりの声だった。
ルーナもルディも驚いて振り返る。
「え?」
「へっ?! ま、丸一日?! え、ええ?!」
ルディが素っ頓狂な声を上げて窓の外とジェット、そしてルーナを見比べる。ぐるぐると目が回る勢いで三箇所に目を向けているため一層疲れてしまいそうだ。
それを見たジェットが軽く肩を竦める。
「お前ら寝食も忘れてずーっとこの部屋で泣いたり天気の操作したりしてたんだよ。まぁほぼ泣いてたけど」
「ちょ、聞いてたの?!」
ルディが目を丸くし、ジェットを凝視する。
ということは数時間経っただけかと思っていたのは間違いで、翌日の昼前になっているということだ。それを理解して呆然とする。
ジェットは引き続き呆れ顔だ。
「……なんで完全に放置すると思ったんだよ。どうにもならなかったらもっかいお前の感情と記憶をリセットする必要があったのに」
やれやれと首を振るジェット。彼の言い分も最もだ。元々そういう話だったのだから。
しかし、ルディに抱きついたり涙を唇で拭ったりしていたのを知られていると思ったら、急激に恥ずかしくなってきた。あれは二人きりだからこそできたことで、他人の目があると知っていたらきっとできなかっただろう。
俯いて赤くなっているとジェットが頭をぽんぽんと叩いた。
「お疲れ、ルーナ。よくやった。──ってのはレミの伝言。あいつ、この時間でこの天気だと部屋から出てこれねぇからな」
おずおずとジェットを見上げる。ごくごく普通に笑っていた。悪意もからかってやろうという意図も見られなかった。
それはそれで恥ずかしくて、再度俯いてしまう。
「え~?! 僕は?! 僕が一番頑張ったのに!」
「ルディもよくやった。頑張ったな、本当に」
「えっへへ~~~!!!」
ルディは嬉しそうに笑う。ジェットが目を細めてその笑みを見つめていた。
口調も雰囲気も、あくまで『レミの伝言』という体を取っているように見えたが、決してそれだけないことは明白だ。ジェット自身、「よくやった。頑張った」と思っているのだろう。
そして、その言葉はレミとジェットの二人ではなく──ルディの両親、フィロとラケルの言葉にも聞こえてきて、ほんの少しだけ泣いてしまいそうになった。




