85.涙が終わらない②
雨、風、雷。
音が激しく混ざり合い、鼓膜を震わせる。時折窓ガラスがガタガタと激しく揺れるが、それらが気にならないくらいルディのことが心配だった。
ルディはずっと泣いている。
ぽろぽろと、後から後から、尽きることがないみたいに涙が零れていた。
「……ルーナ。なみだが、とまらない……」
「そんなの、当たり前だよ……大好きなお父さんとお母さんが亡くなったんだから……」
ルディがルーナの肩口に縋りつき、喉を引き攣らせて泣き続けていた。震える背中を優しく撫でながら「どうか彼の悲しみが癒えますよう」にと願う。
自分の両親が亡くなった時も、祖父母の存在がなければずっと泣き続けていただろう。泣いているルディの姿が幼い自分に重なって、当時自分がそうして欲しかったように、ただ抱き締める。悲しい気持ちと溢れ出る涙を受け止めてくれる存在がいるだけで違うはずだと思いたかった。
どれくらいそうしていたのだろうか。嵐のせいで時間がよくわからない。
ルディが泣き止まない限りは傍を離れることなんてできない。
ゆっくりとルディが顔を上げる。
「ルーナ……」
気が付くとソファに押し倒されていた。
何が起きているのかと混乱している間に、ルディが泣き腫らした顔のままルーナを見下ろしている。その目はひどく虚ろで、綺麗なグリーンがやけに濁っていた。
ゆっくりとルディの手がルーナの体をなぞる。その手が胸に触れた瞬間、ルーナは反射的にルディの体を押し返していた。
「ちょっ?!」
「……だめ?」
「だ、だめだよ?! な、なな、なんでこんなこと、するの……?!」
この体勢はまずい。この状況はまずい。
具体的に何がどうなるかはルーナの乏しい知識では想像もできなかったが、とにかくまずいことだけはわかった。
頭の中で警鐘が鳴っている。
とにかくこの体勢をどうにかしようと起き上がろうとするが、ルディがルーナの手に自分の手を重ねてソファに縫い付けてしまった。
「ル、ルディ……」
声が震える。
ルディが無表情なのと目が虚ろなのと、何を考えているかわからずに恐怖を感じた。ルーナの知っているルディではないようだった。
体格差もあるのでルディの体はさっきと違ってびくともしない。
「頭の中がぐちゃぐちゃなんだ……悲しいのってこんなに辛くて苦しくてしんどいんだね……」
ルディは変わらずに泣いていて、その瞳からぽたぽたと涙が落ちてきてルーナの頬に落ちた。
それ以上動く様子がなく、ルディの顔を恐怖と混乱交じりに見つめる。
「悲しいことがこんなにしんどくて辛いって知ってても、やっぱり返して欲しいって言ったと思う。僕が僕のものを持ってないのはおかしいし……お父さんとお母さんのこと、忘れてるのが許せなかったから……ジェットの暗示があったとしても、それでもやっぱり僕は僕が許せない……」
そう言ってルディが顔を伏せた。ルーナの胸に顔を埋めて、呼吸を震わせている。
外は相変わらず酷い雨で、雷も風も激しい。時折、ルディの声が聞こえなくなるほどだった。さっき少しだけ弱まったのは気のせいだったのだろうか。
「でも──……辛くて、苦しい。ずっと体中をぐるぐるしてて気持ちが悪い……もうやだ……逃げたい、ルーナのことだけ考えてたい」
ルディの手に力が籠る。重ねた手が少し痛い。
どうするのが正解なのかわからない。ルディの望むままに自分を差し出した方が良いのか、もう少しだけでもルディとの対話を続けるべきなのか。
だが、ルディはずっと泣いている。逃げ出したい気持ちが痛いくらいに伝わってくる。そのせいで酷く辛そうだった。
そして、その逃げ出したいくらいの苦しみにも悲しみにも覚えがある。
ならばもう──と諦めたような気持ちで力を抜いた。
すると、ルディがゆっくりと顔を上げてルーナの顔を覗き込んでくる。その表情を見ているとどうしても胸が締め付けられて、ルディがこんな顔をしなくなるならどうなってもいいかという気持ちになった。
ルディの顔が近づく。
唇が触れ合いそうになったところで、ルディが動きを止めた。
「ルディ……?」
「……ルーナ、僕のこと、そんなに嫌……?」
「え……?」
何のことを言われているのかわからずにいると、不意に涙が零れてこめかみを伝って落ちていった。
そこで初めて自分が泣いていることに気付く。
「ち、ちが、ちがうよっ……ルディが嫌なんじゃなくて、」
「嫌じゃなかったら泣かないでしょ」
ルディが自嘲気味に言う。ルーナはぶんぶんと首を振ってから、ルディの頬に触れた。
「ちがうの! わ、わたし、……こんな風にしか、役に立てなくて、ルディのためにしてあげられること、ないんだ、って……思ったら、か、悲しく、なっちゃって」
声が震え、自分の気持ちを口にした途端ぶわっと涙が溢れてしまった。
それを見たルディが目を見開き、瞬きとともに涙が流れる。
泣かずに、笑って「いいよ」と言えれば良かったのに、どうしてもそうできなかった。それが正しいとは思えなかった。でも、ルディが求めているのならとルーナの頭の中もぐちゃぐちゃになってしまった。
ルディの頬を撫でる。流れ続ける涙に手が濡れることも気にならなかった。
「ごめん、ごめんね、ルディ。私、何もできなくて」
「そんなこと──……」
「……こ、れで、本当にルディが乗り越えられるなら、もう何も言わない、けど……違うよね? こんなの、ただ誤魔化すだけになっちゃうよ……」
ルディの困惑した顔がぼやける。
何を思っているのか、どんな顔をしているのかをちゃんと見たいのに涙が邪魔だった。
乱暴に手で拭ってから、ゆっくりと息を吸い込んで吐き出す。呼吸は情けないくらいに震えていた。
もう片方の手を振りほどき、両手でルディの頬を挟み込んだ。
「これから、……ルディは悲しいことがあるたびに、私とさっきしようとしたことをするの……?」
目を見開き、戸惑いを見せるルディ。顔を背けたそうにしているがルーナが顔を挟みこんでいるせいで気まずそうに視線を逸らすだけになってしまった。
「そ、れは、」
「私、人間だよ。二百年以上も生きてるルディと、ずっと一緒には……いられないよ」
「今はそんな話、してないよ……」
「うん。でもね、私はルディに悲しいことがあっても、頑張って乗り越えて……またいつもみたいに笑えるようになって欲しい。私に何をしてもいいけど、そうしないとどうにもならないのは……違うと思う。それに、ルディが嫌な思いをするかもしれないなら……やっぱり、やだよ」
言い終えると、ゆっくりと上半身を持ち上げる。
涙に濡れたルディの目元と頬にそっとキスをした。ルディの驚いた顔やっぱりどこか幼くて印象的だった。
顔を離して見つめ合う。
「ルーナ、こめんね……」
気持ちが伝わったのだろうか。ルディの瞳に光が戻り、甘えるようにルーナの手に頬ずりをする。
その様子をぼんやりと眺め、体を起こした。ルディに手を引かれるまま正面から抱き着く。
相変わらずルディは泣いていた。
だが、虚ろだった表情は悲しみでいっぱいになっており、グリーンの瞳もいつものように綺麗でもう濁ってはいない。
涙が溢れ、零れそうになるのを見て、そっと目元にキスをした。ぺろりと涙を舌で掬い上げてしまう。
「……ルーナ」
ルディの手がそっと背中と腰に回る。離れたりしないのにと思いながら、溢れ出る涙をキスで掬い取っていった。抵抗などせずに、ルディはルーナにされるがままだった。
と言っても、ルディは悲しみのままに泣き続け、零れる涙をルーナが拭うだけだ。
これでいいのかはわからない。
けれど、何も言わずに体を差し出すよりはマシだと思いたかった。
ルディが甘えるように抱きついてくるので、その体を抱きしめた。ぎゅう、と強く抱き締めると、ルディのくぐもった嗚咽が聞こえてくる。本当に、子供みたいな泣き声だった。
ただ泣いて欲しい。
二百年忘れていた悲しみと涙を、全てこの場で吐き出すくらいに。
そんな気持ちでルディの頭や背中を撫で、その悲しみをただ受け止めるのだった。




