84.涙が終わらない①
翌日は朝から快晴で、気持ちのいい天気だった。
昨日に引き続き、使い魔や自動人形の修復はしなくていいことになった。
当然、朝から落ち着かない上に昨夜もよく眠れていない。いつも横にいるはずのルディもいない。
大丈夫だろうかと不安になったところでブンブンと首を振る。そして、ルディは大丈夫だと自分に言い聞かせた。
朝のルーティンを終えて呼ばれたのは一階にある客間だった。
テーブル、ソファ、ベッドなど、一通りのものは揃っている。調度品なども置かれていた。
ただし、窓は分厚いカーテンに覆われていて光は一切差し込まない。
部屋には三人がすでにいて、三人ともソファに座っていた。レミとジェットが同じソファに座っており、二人が座っているソファの正面にルディが座っている。
「ルーナ、おはよ~」
「お、おはよう。ルディ」
ルディはいつも通りだ。外の天気と同じように晴れやかな笑顔を浮かべている。対してルーナは緊張しているし、どうしても落ちつなかった。
室内にいるレミは昨日と同じく難しそうな顔をしている。ジェットはいつも通りだった。
「ルーナも来てくれたし、ジェット返して~」
「はいはい」
もう? と戸惑いながらルディの傍に向かい、隣にそっと腰を下ろす。
ジェットが昨日見せていた青い液体のようなものを掌の上に出現させた。昨日も思ったが本当に不思議なものだ。ある種神秘的ではあっても、見ているだけで物悲しくなる。
ふわり。と、『悲しみ』がジェットの手から浮き上がり、そのままふわふわと移動し、ルディのもとへと向かっていった。
その様子をじっと見つめ、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「ルディ」
『悲しみ』がテーブルの中央あたりに来たところでレミがルディを呼ぶ。
不思議そうに首を傾げるルディに対し、レミは難しい顔をしたままだ。不安に思っているのが伝わってくる。
「……本当に良いんだな?」
「しつこいよ、レミ。もう決めたんだし、二百年も忘れてたんだからいいでしょ」
「わかった。──ジェット、返してやってくれ」
ジェットは何も言わなかった。代わりに、『悲しみ』がルディへと移動していく。
ふわふわと頼りなげに移動してきて、ルディの胸の前まで来たかと思いきや、すーっとルディの中に入っていった。
ルディは目を白黒させながら自分の胸を撫でる。
「……? これで終わり?」
「ああ、間違いなく返した」
どうやらすぐに変化はないようでルディは首を傾げている。
「別になんとも──……」
あっけらかんとした口調でいいかけた直後。
ルディは胸を押さえて俯き、体を折り曲げてしまう。慌てて寄り添って背中を撫でた。
ぽた。ぽた。と、床に水滴が落ちる。
それと同時に外からごろごろと雷の音が響き、雨の降り出す音が聞こえてきた。
「……な、なに、これ……?」
「お前が返して欲しいって言ってた感情と記憶だよ」
「こ、んなの……ッ!」
戸惑いと震える声。ルディが苦しげに呻いており、床には更に水滴が落ちていく。
──涙だった。
ジェットは淡々と答えた後、ゆっくりと立ち上がって窓へと向かった。何の躊躇いもなく、シャッとカーテンを開け放つ。
窓の外は既に真っ暗。快晴だったのに、雷雨と風が巻き起こっていた。
激しく窓ガラスを叩く雨音と、雷の轟く音が聞こえてくる。
外の天気を目の当たりにして目を見開いてしまった。
「……ル、ルディが悲しんでるから、こんな天気に……?」
「そうだよ。……半信半疑だったろ、お前」
ジェットが振り返って言う。決して信じてないわけじゃなかったが、どこかで「そこまで?」と思う気持ちがあったのかもしれない。天候を操る能力なんて、ルーナには想像もつかないことだったから。
いや、今は天候よりもルディのことだ。
さっきからルディがしゃくりあげる声が聞こえてくる。俯いているのでどんな顔をしているのかわからないけれど。
「ルディ、しっかり……!」
「ルー、ナ……」
声を聞いて初めてその存在を思い出したかのように顔を上げるルディ。
その顔は涙に濡れていた。
どうしてこんなに涙が溢れるのかわからないと言わんばかりの表情と、その幼さに胸が締め付けられる。
「ど、どうしよう、ルーナ……」
ルディがルーナに縋るように腕を掴む。
「な、涙が、止まらない……もう、お父さんとお母さんがいないんだって……わかってる、のに、急に、すごく辛くなった。僕、あの時なんにも知らずに、言われたことだけ守ってて……お父さんとお母さんが何をしてたのかなんて、ぜんぜん知らなかった……」
ぼろぼろと零れる涙は果てを知らないよう。
ぶわっと更に涙が溜まり、大粒の涙が後から後から零れていく。
その表情があまりに悲しくて辛そうで、ルーナの目にも涙が溜まっていった。
「僕にも何かできたはずなのに……!!!」
俯いて苦しげに吐き出し、ぶんぶんと首を振るルディ。
当時のことを後悔しているのだ。何もしなかった、できなかった自分を。
ルディはルーナから手を離し、顔を覆ってひっくひっくとしゃくりあげる。手があっという間に涙に濡れていく。
ルーナはただその背中を撫でることしかできなかった。
「……レミは、何もしてくれなかったよね」
「え」
しばらく泣いていたルディが不意に顔を上げて正面にいるレミを見つめる。涙に濡れた顔にははっきりと怒りと憎しみがあった。
突然の豹変に驚いて声を上げ、手が止まる。
「見てるだけで何もしてくれなかった……! お父さんとお母さんを見捨てた!!」
「そうだ。オレが無理やり介入すれば何か変わったかもしれない」
カッと窓の外が光り、その一瞬後に凄まじい轟音が響いた。あまりの音にルーナは身を竦める。
窓に肩を預けて外を眺めていたジェットが「今の山に落ちたぞ」と言った。多分ルディは聞いてないけれど、風の音が強くなり、窓ガラスがガタガタと激しく揺れる。
「ル、ルディ」
「いいんだ、ルーナ。……オレにも責任があるんだから」
ルディを宥めようとそっと声を掛ける。しかし、レミに遮られてしまった。どうやらレミは宣言通りに恨み言は全て引き受けるつもりで入るらしい。
悲しみが憎しみに転化する可能性──。
レミの杞憂が現実のものになってしまった。
憎しみの矛先は人間ではなく、その時その場にいたレミ個人だったけれど。
ルディがレミを睨み、レミはその視線を受け止めていた。
「……ルディ、今ならオレは抵抗しない。いや、抵抗しても今のお前には敵わないだろう。魔力も回復してないしな」
「な、に、言ってんの……?!」
「憎しみを晴らすなら今だと言っている」
ルディが目を見開き、その目から涙が零れた。
悲しみ、怒り、憎しみ。それらがぐちゃぐちゃになってルディの中に存在している。根底にあるのは悲しみで、そこから怒りと憎しみ、更に憤りなどが吹き出しているのだろう。
ルディは力なく首を振り、両手で顔を覆った。
「どうしようもなかったってわかってるよッ……なんで、なんでそんな物わかりのいいこと言うの……?! 今ここで僕がレミを殺しても、もっと悲しくなるだけだってわかってるくせに……!」
叩きつけるように言い、ルディがまた泣き出した。肩を震わせてただただ泣いている。
その涙に呼応するように雨が酷くなり、風が吹き付けた。相変わらず雷が鳴っている。
レミはルディの言葉に驚いていた。
まさか、ルディが憎しみのままにレミを傷つけて、それで満足するとでも思っていたのだろうか。
そんなはずないのに。
「レミの顔も、ジェットの顔も……今は見たくない。どっか行って……」
顔を両手で覆ったまま、ルディが呻くように言う。
直後、ジェットは音もなく姿を消してしまった。
レミはしばし迷った後、ゆっくりと立ち上がる。レミが少しだけ振り返り「ルーナ、頼んだ」と言い残して部屋を出ていってしまった。
残されたのはルーナだけ。
「……ルディ」
苦しそうに泣いているルディを横から抱きしめる。ルディの肩が微かに震えた。
大丈夫だと伝えるように背中を撫でれば、ルディがルーナに縋り付く。
ほんの少しだけ、雨が弱まったような気がした。




