83.”かなしみ”の前に
「ど、ど、どういう意味?」
一緒にいてくれる? という単純な質問である。例えば明日の話であれば悩む間もなく「いいよ」と答えられるのだが、これまでの話の流れから、その質問に至るまでのルディの脳内がさっぱり読めない。ひたすら混乱して、情けないくらいに吃ってしまった。
いつ、どこで、何のために、という情報くらいは欲しい問いかけである。
すると、ルディはちょっと笑う。
「そのままの意味だよ~。僕が返すものを返してもらった時、ずっと一緒にいて──傍で僕のことを見ててくれる? って聞いたの」
混乱するルーナを見てルディが何でもないことのように言いのけた。ミとジェットは何とも言えない顔をしている。
答えてもらってなお、いまいち状況が飲み込めなかった。
「えっと、ルディが『悲しみ』を返してもらう時に傍にいればいい、の?」
「うん。できれば、僕が落ち着くまで。……レミも言ってたけど、僕も僕自身がどうなるかわかんないんだよね~」
結構重大な話のはずなのにルディはあっけらかんとしていた。しかも呑気で、普段通り楽観的だ。こんなに簡単に話をしていいのだろうか。
ルーナひとりでは判断がつかず、助けを求めるようにレミへと視線を向けた。急に視線を向けられたレミは当然ながら驚いて、それから気まずそうに眉間に皺を寄せる。
「……そうやって見られても困る。正直、あまり推奨はできないが、ルディの望みだからな……」
「推奨できない……?」
「悲しみが憎しみに転化する可能性を否定できないからだ。だから、人間であるルーナがルディの近くにいるのは不安だな」
「えーーー!?」
レミの言葉にルディが素っ頓狂な声を上げる。
深刻そうなレミに対してルディはやはり緊張感がないようだ。
「それって僕がルーナを襲うかもって言ってるの?!」
「そうだ。──あの時、島を襲い、フィロとラケルを死に至らしめたのは人間だからな。それらを具体的に思い出して、お前が冷静でいられるとは思えない」
「でも、ルーナはガリダとは関係ないよね? レムス王国とはかなり離れた国だったはずだし」
レミは眉間に皺を寄せたまま、ひたすら難しそうな顔をしている。ジェットは話を聞いていても割って入ってくる様子はなかった。
ルーナはレミの言葉を聞いて途端に不安になった。
自分の知らない遠い過去のことだが、人間がルディの両親を殺したのは事実だ。
人間だって襲われたりすれば、その相手を『魔獣』や『吸血鬼』、或いは『悪魔』で一括りにする。そして襲ってきた相手と同じ種族だとわかれば敵意を向けるのだ。種族全体を憎んでしまう。
それがルディに当て嵌まらないとは言い切れなかった。
「……。……ルディ」
「何?」
「イェレミアス様の言う通り、私も人間だよ? ガリダって国とは関係ないけど、……種族の問題って難しいんじゃないかな」
今はルディがそれを忘れているだけ。ルーナごと人間を憎んだっておかしくない。
これはあくまで知識で、レミに勧められた本の中に種族間の根深い問題を扱った本があったからだった。本でしか知らないルーナと違って、レミはそれを事実として知っているはずだ。だからこんなに心配するのだろう。
そう考えるとルディの顔を真っ直ぐ見ることができなかった。自分のことじゃないのに罪悪感が湧く。
「……ルーナの先祖がガリダのヒトだったりするの?」
「えっ?! い、いや、そういう話は聞いたこと、ない、けど……」
不思議そうな問いかけに思わず顔を上げる。ルディはルーナとは違って真っ直ぐに見つめていた。
「じゃあ、大丈夫だよ~。流石に人間だからって理由だけでルーナを憎んだりしないもん」
けろっとしたルディ。ルーナもレミも困惑気味である。
何故こうも楽観的なのだろうか。
会話が行き詰まったところで背後からため息が聞こえてきた。
「もういいだろ。ルディが返して欲しいっつってんだから、返してやれば。俺だっていつまでもこんなもん持ってたくねぇんだよ」
三人が振り返ると、ジェットの掌の上には青くたゆたう液体のようなものが浮いていた。
まるで生きているかのように水色、青、濃紺に色が変わり、時折紫色に沈んでいく。
『悲しみ』を形にするとこんな風になるのかと思わず魅入ってしまった。
「喰えもしねぇからマジでただの荷物なんだよな、コレ」
「ちょっと~。僕の『かなしみ』をコレ扱いってどうなの?」
「コイツが自分の力を制御できなかったらもう一度感情と記憶を消す。それでいいだろ」
ジェットはルディのツッコミを無視しながら掌の上の『悲しみ』をすうっと消してしまった。
何度も感情や記憶を消すことができるのかと感心する反面、そんなことを何度も繰り返すのはどう考えてもルディにとってよくないだろう。けれど、ルディの「返して欲しい」という姿勢は変わらない。
レミへと視線を戻すと、難しい顔をしたままだった。
「……ルディ、お前が自分の能力を制御できると信じていいんだな」
「多分大丈夫~」
「多分、か……」
不安しかない言葉だった。レミが眉間を押さえて難しい顔をするのも当然だった。
楽観的なルディはにこにこと笑いながらルーナを見る。
「でも、そのためにルーナが傍にいて欲しい、ってだけ」
笑顔とは裏腹に、その目は真剣そのものであることに気付いた。
真っ直ぐに、真剣に、真摯に、ルーナのことを見つめている。
その目から逃げられず、ただただ見つめ返してしまった。どうしてこんな目で見てくるのかが全く理解できないからだ。
ルディがゆっくりとルーナの手を取って持ち上げ、軽く揺らす。
「ルーナはね、僕のお守りだよ。傍にいてくれたら、『多分大丈夫』じゃなくて『きっと大丈夫』って思える」
真剣な言葉だった。
良いとも嫌だとも言えず、黙りこくってしまう。
心情的にはルディのことを信じているしルディの傍にいたいと思っている。
「ルーナ、嫌なら嫌って言え」
ジェットの呆れ声が聞こえてきた。嫌と言えないから黙っているんだろうと言わんばかりだった。
決してそんなことを考えていわけじゃないのでカチンと来る。勢いよくジェットを振り返って口を開いた。
「い、嫌じゃない! 私で良ければ一緒にいたいよ! ルディのためにできることは何でもするし、したいと思ってる! それに、私はルディが悲しみを乗り越えて、嵐だってなんとかできるって信じてるから……!!」
勢いと感情のままに言い切るとジェットが満足げにふっと笑った。どうやら乗せられたようだ。
「だってさ。レミ、もういいだろ。信じて、返してやろうぜ」
「……お前が『信じる』なんて言葉を口にするのか」
「悪魔にだって信じる心くらいあります~」
ジェットの返しにレミが苦笑していた。そして、仕方ないと言わんばかりに肩から力を抜き、ルディを見つめた。
「返してくれる?」
「ああ、意志は堅いようだし……成功率を上げてくれるお守りもいるしな」
そういって一瞬だけルーナに視線を投げる。
さっきの自分のセリフが一気に恥ずかしくなってきてしまい、縮こまるしかなかった。
不意に繋いだままの手をルディが嬉しそうに揺らす。
「やった。ありがとね、ルーナ」
「う、うん。よかったね? ルディ」
ルディは嬉しそうだ。ルディの嬉しそうな顔を見るとルーナも嬉しくなるので不思議だ。もちろん、この件に関しては不安があるけれど。
「うん、あとは僕が頑張るだけ~。ねぇ、レミ今すぐ返してくれるの?」
「いや、明日の朝だ」
事を急くルディに対して、レミはゆるゆると首を振った。ルディは拍子抜けしたように肩を落としていた。
「こんな時間に嵐が起きると近隣に済む人間たちや動物たちも驚く。せめて彼らが起きる時間まで待て」
「え~。……まぁ、しょうがないか。あれ? でも、そんな時間でレミは大丈夫なの?」
「陽に当たらなければどうということもない。それに、」
「それに?」
吸血鬼は太陽の光が苦手だ。朝ともなれば当然陽が差す。
ルディがそれを気にして尋ねるが、レミは平然としていた。気にするに値しないと言っているようだ。
続きを促され、レミが肩を竦めた。
「どうせ太陽はすぐ雲に隠れる」




