82.悲しまないあなたが”悲しい”
レミは静かに昔話を終えた。
部屋は静かで、空気が張り詰めている。
「……これがお前の感情を奪い、記憶の一部を改竄するに至った経緯だ。フィロとラケルの死は覚えていても、周辺の記憶がぼんやりしているのはオレがそうしろとジェットに言ったからだ。思い出さない方がいいに決まってると判断して、暗示をかけた」
レミの淡々とした語り口は過去を遠いものとして扱い、それでいていつまでも忘れられないものとして存在させている。
この話を聞いて一番に反応を見せるべきはルディであり、ルディがどう感じ、どう思うかが全てだ。だから、ルーナは聞くことを許された立場として一歩引いたところにいるつもりだった。
なのに。
「うっ、く……」
気がつくと涙が零れていた。途中で止めることができず、嗚咽が止まらなかった。
声を殺して、顔を覆い──なんとか耐えようとするが、止めようとすればするほどに涙が込み上げてくる。どうしてこんなに悲しいのかすらわからなかった。
そんなルーナをルディが不思議そうに見つめる。
「……。……なんでルーナが泣くの?」
「ルディが、泣かないから、だよ……!」
ルディはレミの話を聞いている間、ずっとどこか他人事のような顔をしていたのだ。
悲しみが欠落しているのだから自分の過去を話されても、両親の死が話題に上がっても泣けない。だって覚えてないから実感が沸かず、そもそも話を聞いても悲しくならないからだ。
そのことが、ルーナにとってはどうしようもなく悲しい。
涙が止まらない。
ルディが不思議そうな視線を、レミが歯痒そうな視線を向けている。
ジェットは何の感情もない視線を向けていた。ルディと同じく不思議そうではあるものの、ルーナの──人間の涙には理解を示さないと言わんばかりだ。
「人間って面倒くせぇよな……」
「ジェット、やめろ」
ジェットの呆れ声とレミの嗜める声が届く。
だが、そんな声が気にならないくらいに悲しくてしょうがなかった。
「ルディは悲しくならないから泣けないし、イェレミアス様もジェットも泣きそうにないし……じゃあ、私が泣くしかないじゃない……!」
自分でも半分くらいは何を言っているのかわからなかった。
両親と故郷を同時に失ったルディの過去を思うと悲しくてやりきれないし、涙が後から後から出てきてしまう。溢れる涙を必死に拭った。
「ありがとう、ごめんね。ルーナ」
静かに言って、ルディがルーナの頭をそっと撫でた。その手が驚くほど優しくて余計に泣けてきてしまう。
いくらでも泣いていられそうだったが、このままでは話が進まない。元々ルディの感情を消すことになった経緯を聞いて、その上で本当に返してもらうかどうかを判断するためにここにいるのだ。
部外者であるルーナがこれ以上邪魔をするわけにはいかなかった。
涙を零しながら深呼吸をする。呼吸が震えて上手くできなかったが、数回繰り返すうちになんとか涙は止まってくれた。
横ではルディがルーナを心配そうに見つめている。立場が逆になっているのが申し訳なかった。
「……ごめんね。ルディのことなのに、私ばっかり泣いちゃって……あの、もう静かにしてるから……」
「大丈夫、気にしないで。そんなに『かなしい』ことだったんだ、って理解できた気がするし……ルーナの泣いた顔は可愛かったし」
こんな時何を、と思ったが、ルディの場違いに明るい笑顔を見てホッとする。
真っ赤な目で笑い返すとルディが満足げに頷いた。そして、レミへと視線を戻す。
「ねぇねぇ、レミとジェットがあちこち連れてってくれたのって……お父さんとの約束を守るため?」
「まぁ、そうだ」
「礼儀作法を叩きこんだのも?」
「半分はその通りだ。半分は目に余ったから、だな」
あっけらかんと問いかけるルディに対し、レミは戸惑いと躊躇いを交えて答える。
──外の楽しい世界を見せてあげて欲しい。人間の中で暮らしても困らないように礼儀作法や知識を教えて欲しい。
それがフィロとジェットの『契約』であり、フィロの願いだったはずだ。しかし、よくよく考えるとジェットとの『契約』だったはずなのに、これまでの語り口ではレミがその『契約』を履行しているように思えた。
ルディにとっても疑問だったのか、不思議そうに首を傾げる。
「……なんかレミとの『契約』って感じがするんだけど」
「そうかもしれないな。『契約』はジェットとフィロの間のものだが、……オレも無関係じゃない。というか、オレがフィロとラケルをちゃんと説得できていればこんなことにはなってなかったはずだ」
そこでレミは言葉を区切った。気まずそうな、申し訳無さそうな、それでいて苦しげな表情をしている。
彼らの死に対して、そして何よりルディの現状に対して責任を感じているのは明白だった。
「フィロとラケルが死んだのはオレの力不足のせいだ。だが、あの時のフィロにはオレとの口約束ではなく、悪魔との確実な『契約』が必要だった。オレは……自分の責任をジェットに肩代わりしてもらったんだ」
淡々と語るレミ。最初からずっと淡々とした口調だったのは、罪悪感を隠すためだったのだろうか。整った顔が陰り、苦しそうなままだった。
ルディが不意にジェットの方を振り返る。
「ジェットってレミの責任を肩代わりしたの?」
「は? そんなのレミが勝手に言ってるだけに決まってんだろ。フィロの出した条件に納得したから契約したんだよ。……まぁ、期限が決められてないってのは悩みどころなんだけどさ。──フィロとラケルのおかげで俺は相当な期間何もせずにいられて……お前ってお荷物があるけど」
「あはは、だよね~。──だってさ、レミ」
自分一人で責任全てを背負い込もうとするレミを再度見つめるルディ。その表情はいつも通りに明るく無邪気だった。レミはその表情を向けられて困惑していたけれど。
ルディが天井を見上げて、「ふーーー」と長く息を吐きだした。
それから視線をそっと伏せる。
「レミの話を聞いてて思い出したんだけど……僕さ、何度かお父さんとお母さんから『万が一のことがあったら、島と島で暮らす人間を守るために命を使う』って言われてたんだよね。だから、人間たちから生贄をもらってるんだ、って……島に残ることも、人間たちを守ることも、そのために命を使うことも、お父さんとお母さんが決めたことだよ。僕にはその重要性はよくわからないけど、二人が決めたことならしょうがないよ」
ジェットがルディを見つめて目を細めた。それからレミに何か伝えるように目線を送る。
そのの目線を受けたレミはどこか戸惑っており、やけに幼く見えた。二人の間でどういう意思疎通が合ったのかわからないものの、レミの肩から力が抜け、僅かに下がる。
「まぁ、そういう風に僕が納得することと、感情は別なんだろうけどね~。でさ、なんか他人事みたいにしか聞けなかったんだけど……結局、返してもらえるの?」
そう言ってルディは他人事のように笑う。レミが戸惑いを残したまま、ゆっくりと口を開いた。
「……お前が自分自身の力を制御できるならな」
「ピンと来ない……」
「だが、それが条件だ。──お前に悲しみが戻り、トリガーになってまた嵐が起きてしまったらこのあたり一帯は耐えられない。この地域では嵐はもちろん長雨も滅多にないからな、長く続けば土砂崩れや河川の増水が発生するだろう」
ルディが腕組みをして考え込んだ。それを横から眺めてハラハラしてしまう。
無論ルーナはルディ側なので、彼の望み通りに『悲しみ』を返して、改竄した記憶を元に戻して欲しいと思っている。
一方でレミの懸念も理解できた。確かにこの地域の天候は安定していおり、雨が少なくて困ったことはあれど雨が多すぎたことはない。そんな地域に嵐が巻き起こる可能性は不安でしかない。
「うーん、僕が制御できるまでそんなに何日もかかる?」
「二百年前に比べればお前の魔力量だって増えているだろう。完全に制御できずに中途半端に天候が荒れ続ける可能性もあるし、……以前より大きな嵐が巻き起こるかもしれない。正直、どうなるのか皆目検討がつかないんだ。このために他の地域に行くのも憚られるからな……」
レミも困っているように見えた。ジェットはあまり関心がなさそうだ。
ルディも先程と同じく腕組みをしたまま悩んでいる。上を向き、下を向き、そして左右に首を揺らしながら、色々と考えているのがわかった。
「ねえ、ルーナ」
「へっ?! ぁ、う、うん……?」
「僕と一緒にいてくれる?」
質問の意味も意図もわからず、ルーナは瞬きを何度かしながらルディを呆然と見つめるしかできなかった。




