79.過去は過去として沈みゆく②
重い沈黙が落ちる。
助けるのは魔獣か、人間か。
天秤にかけた場合、個人の感覚で言えば間違いなく人間である。しかし、今回は色々と事情が異なっていた。
今目の前にいる魔獣二頭がガリダの軍隊と戦っても勝ち目が薄いこと、ただ殺されるだけならまだしも亡骸を回収されて解剖され実験道具にされるに違いないこと──何より、この二頭とその子供が最後の生き残りという可能性があり、フリーデリーケの友人でもあること。
フリーデリーケからも「友人を優先して欲しい」と頼まれており、人間を助けたくとも島民全てを救うのはレミの力では難しかった。自分一人か数人程度ならば転移魔法は気軽に使えるが、島民全てとなると話が違ってくる。
それに、フィロとラケルが望まない限りは手出しするのはルール違反だ。
悩んだ末にラケルの視線がジェットに向かった。フィロもその視線を追いかける。
「ねぇ、悪魔」
「ん? 何?」
「アンタに人間たちを転移でどこかに運んでもらうことは可能?」
ラケルの問いかけに、ジェットは薄ら笑いを浮かべたままとぼけたような素振りを見せる。
少し考えたように見せかけてから、視線を戻した。
「面倒くさい」
「……可能かどうかって聞いたんだよ。アンタの感想は聞いてない」
「できなくはない。けどさ、お前らに島の人間全員を救うだけの対価を用意できんの? 知り合い割引とかしてねぇから労力に見合うだけの魂か、何らかの形で魔力を貰わないと割に合わねぇよ。俺の魔力は無尽蔵じゃないし、慈善活動もしてないんで」
ちらりとジェットを見てため息をつく。
悪魔としてのジェットの言い分は最もだ。逆らえない相手であるフリーデリーケに頼まれたレミの立場とは違い、ジェットに何かさせるならそれなりに対価が必要になる。本人の言う通り慈善活動など一切しないのだ。全て『契約』ありきで動いている。そうでなければ効率よく魔力が供給できず、自身の命に関わってくるので仕方がないことだ。
無論、『契約』を面倒くさがって無差別に魂や魔力を奪う悪魔もいるものの、そういった悪魔が他種族から危険視されて結局討伐されるという話はよくある。そういう意味では『契約』を第一に考えるジェットは悪魔らしい反面、さほど危険のない悪魔だとも言える。──考え方を変えれば十分危険でもあるのだが、それはさておき。
「見合うだけの魂、ね……例えば、ウチかこの人の魂とか?」
「まぁ、そうだな。ただし、『自分が死んだ時に魂を持っていけ』って対価は受け付けない。お前らいつまで生きるかわかんねぇからな」
ラケルはジェットとの契約を視野に入れて話をしている。軽い口調とは裏腹に目は真剣そのものだ。
彼らの寿命ははっきりしていない。長い年月の中で寿命を全うした個体がいたとしても確認されてないのだ。だとすれば、いつ手に入るかもわからない魂は対価に値しない。
ジェットの言葉を聞いたラケルが困ったような顔をして首を傾げる。
「ウチら二人分の魂でも?」
「だーから、お前が百年以内に確実に死ぬならいいけどそうじゃねぇだろ? 俺がお前らの魂貰えるはいつになるんだよ。対価を受け取るまでに俺が消滅してる可能性があるんだから論外だっての」
そう言ってジェットがちらりと二人の間でのうのうと惰眠を貪っているルディへと視線を向けた。
「そこのガキの魂でもいいけど?」
そんな発言をした瞬間、フィロとラケルが殺気立った。
ビリビリした殺気はこれまで感じたことがないくらいに強烈で、洞窟内の壁面や流れている水、洞窟の内外に存在する動植物を震え上がらせる。恐らく、海岸近くに住んでいる人間たちにもこの殺気は届いただろう。
ラケルが低く唸りだしたところで、レミはジェットとラケルの間に入った。
「すまない。ただの戯言だ、聞き流してくれ。……ジェット、契約についてはもういいだろう。このままでは条件が成立しない」
「へいへい」
「これだから悪魔は嫌なんだよ……すぐにこっちを煽ってくるし、無神経なんだもん」
ジェットがまた余計なことを言う気配があったので軽く睨んでおく。レミの言うことを聞くというわけではないにしろ、ジェットはその睨みで口を閉ざした。
フィロとラケルの殺気でルディが目を覚まし、不思議そうに周りを見回した。
「……お父さんお母さん、どうしたの? お客さん?」
「うん、一応ね。ちょっと難しい話をしてるから、外で遊んでおいで」
「はーい」
ルディはフィロの言うことを聞き、元気に返事をして走り去ってしまった。親の殺気を感じても動じず、能天気だ。それだけ平和に過ごしていたということなのだろう。
平和なのは良いことだが、今回はそれが仇となった。
ジェットとの契約は無理であるため、彼らが人間たちを説得して急かして避難させるしかない。
「……戦争が始まるまで、オレたちはこの島を拠点にするつもりだ。心配しなくても人間たちの前には姿を現さないし危害も加えない。あなたたちのやることを邪魔もしない。気が変わって家族だけで避難するか、他に何か案が思い浮かぶか、ジェットが納得する対価を用意できそうになったら呼んでくれ。あと、これは周辺の地図だ。役立てて欲しい」
そう言ってレミは二人に向かって地図を放り投げた。避難先の選定のためである。
他国の領地に逃げるのは色々と問題が発生するが、周辺には小さな島が点在している。このあたり一帯は今のところ度の国の領地でもなく放置されていた。人間たちがいくつかの島にバラけて避難すれば何とかなるはずだが、今の生活を捨てられるかは謎だ。
シュンと音を立ててラケルが魔獣の姿から人間の女性の姿になる。スレンダーな女性だった。地図を拾い上げて覗き込む。
それを横目で見ながらフィロが口を開いた。
「んー、キミがその悪魔を連れてきたのは僕らの選択肢を広げるため?」
「それもあるが……」
レミを見つめてフィロが首を傾げる。動作はどこか小動物のようで大きさを除けば可愛らしくも見えた。
答えに困ったところで、横にいるジェットがため息をつく。
「残念ながらコイツと一緒にいるのも契約の一環なんだよ。好きでついてきたわけじゃない」
「──なるほど。キミもフリーデリーケに上手く使われてるわけだ」
フィロが一瞬目を細めた後、にこりと笑う。いや、せせら笑った。
さっきルディを対価にしてもいいと言い放ったジェットへの意趣返しだろう。現にジェットの苛立ちが伝わってきた。
レミとの契約ではなく、フリーデリーケとの契約だということにフィロが気付いたことに素直に感心した。しかも本人が望まぬ形で契約させられたのだとも見抜いている。自業自得と呆れながらフィロとラケルを順に見つめた。
「騒がせて申し訳なかった。……お祖母様の名代ではあるが、あなたたちのことを案じている。できれば生き延びる選択肢を選んで欲しい。では」
そう言ってジェットを無理やり引っ張って彼らの住処を後にする。
洞窟を出て森に入ったところで、ルディが尻尾を振りながら追いかけてきた。「どこから来たの? 吸血鬼? 悪魔? どうしてここに来たの? お父さんとお母さんと何を話したの?」と、とにかく二人が珍しいようで無邪気に絡まれてしまった。
結果だけを言えば、彼らはレミやジェットを頼ることはなかった。
それどころか「手出しは一切無用」とまで言われてしまい、レミとジェットはただの傍観者に成り下がる。
フィロとラケルが人間たちに近くの島々に逃げるように伝えたものの、人間たちのうち半数程度が島に残ってしまった。
この島はあまりにも平和過ぎたのだ。
突然、海を渡って知らない国の軍隊に襲われると言われてもピンと来なかった。人間たちが畏怖する『守り神』の言葉であっても、半数は島を捨てるという決断ができなかった。
ここで死ぬと覚悟を決める者、『守り神』の言葉に懐疑的で軍隊が攻め込むとは思わない者、ただの面倒くさがり、様々だ。
人間たちを見捨てられない彼らは島に残ることになった。
そして、戦火の幕が上がる。




