76.それは大切なものだから①
「なんで僕の『かなしい』って気持ちを勝手に取ってった上に変な暗示かけたの?!?!」
ルディは怒っている。わかりやすく怒っている。
しかし、その怒り方はどこか幼く、怖いとは感じなかった。以前のようなことにならなさそうで内心ほっとする。
ジェットもそう感じているのか、怒ったルディを特に気にしている様子はない。
「必要があってそうしたんだよ。実際、この二百年お前はそれを思い出さない方が気楽だったろ? 両親が死んだ時のことなんか思い出さなかったから外の世界を楽しめたと思わねぇ?」
ルディが奥歯を噛み締めて、悔しそうにジェットを睨む。睨まれたジェットはどこ吹く風といった様子である。
ジェットは自分の言い分がさも正しいと言わんばかりの上、非常に堂々としているため、こちらが責められていると錯覚してしまいそうだった。
二人の間の出来事であり、しかも二百年前から続いていることだ。
ルーナに口出しをする権利はないとわかってはいる。
しかし、どうしても我慢ができなかった。
「なんか、って……ジェットはどうしてそんな酷い言い方するの……!?」
勇気を振り絞って言うが、声が変に震えてしまった。
まさかルーナからそんなことを言われるとは思ってなかったのか、ルディもジェットも驚いてルーナを振り返る。
二人の視線が思いのほか強く、びくっと肩が震えてしまった。
「酷いか?」
「ひ、ひどいと思うよ……」
「なんで?」
「だって……それってルディがそうして、って言ったわけじゃないんでしょ? なのに、勝手に思い出せなくするなんて……」
「確かに勝手にやったけど、そうしないとルディがずっと辛い思いをするだけだったんだぜ?」
何が悪いのかと悪びれもなく聞いてくるジェットを前に言葉が詰まる。ジェットは真っ直ぐにルーナを見つめていて、その金色の瞳から伝わってくるのは純粋な疑問のみ。突っかかっているルーナの方が間違っていると言われているようで戸惑った。
確かにジェットにも事情があったのかも──と思いかけたところで、ふるふると首を振る。
前までジェットのことを怖いと思っていたのに、こんな風に言えるようになるなんて思ってもみなかった。でも、同じことが自分に起きたらと思うとゾッとしてしまったのだ。
「辛い思いを、ずっとするかどうかはわからないよ……」
悔しさを滲ませながら言い、少し俯いてしまった。
例えば今。ルーナが三人に救われているように、忘れてなければ二百年の間にルディが救われるような瞬間があったかもしれない。
なのに、思い出せないがゆえにその機会を潰されている。両親の死も、悲しかったことも何も思い出さないまま、二百年を生きたなんて信じられなかった。人間であるルーナには二百年という歳月は長すぎる。
ジェットが小さくため息をついて肩を竦める。
「そうだな。わからないから、一旦そうしたんだよ。その時は必要だと思ったから」
「そんなの──!」
ぎゅっと握りこぶしを作って、すっと息を吸い込む。どうしても納得できず、更に食ってかかろうとした。
しかし、そんなルーナをルディが後ろから抱きしめる。不意のことに驚いてしまい、ジェットに言おうとしたことが消えてしまった。
「ルーナ、ごめん。それから、ありがとね。……ルーナが怒ることじゃないから、もういいよ」
「で、でも、」
肩越しに振り返るとルディの顔が近くにあった。その表情は困惑と照れが入り混じっており、何を思っているのかがよく読み取れない。言葉を飲み込み、ルディの顔を見つめた。
「……忘れたいとは思ってなかったけど、あんまり思い出したくなかったのは確かなんだ。ジェットに対して文句を言いたい気持ちはあるし、どっかのタイミングで言って欲しかったよ。でもさ、そういうの、僕も多分気付いてたのに聞こうとしなくて、ずっと見ないようにしてたんだ」
そう言ってルディは悲しげに視線を伏せた。
ルディ本人が言うならば、もう黙るしかない。釈然としない気持ちでいると腕が離れてルーナは開放された。
ジェットは薄く笑みを湛えたまま二人のことを見つめている。
「ジェット。僕の暗示を解いて、感情を返してって言ったら返してくれる?」
ルーナの横をすり抜け、まっすぐジェットのもとに向かうルディ。
さっきよりもいくらか落ち着いた様子に見えた。ハラハラしながらその様子を見守り、ルディの背中とジェットとを見比べる。
「簡単に返すと思う?」
「思わない、けど……返してもらわないと困るよ」
「なんで?」
また間髪入れずに悪気なく「なんで?」と聞くジェット。意地悪だと思い、自分のことじゃないのムッとしてしまった。
「なんで、って……」
ルディは言葉に詰まり、ちらりとルーナを振り返る。視線がかち合うものの、何故こちらを気にするのかがわからずに首を傾げてしまった。その様子を見たジェットは愉快そうにしている。
ルディはゆっくりと深呼吸をし、再度ジェットを睨むように見つめた。
「さっきもルーナに言ったけど、ルーナの気持ちがわからないままが嫌なの。あと、単純にかっこ悪いでしょ。辛いことや苦しいこと、『かなしいこと』を忘れたまま能天気に生きるなんてさ……ルーナは辛くても頑張ってたのに、僕は──」
そう言ってルディは俯いてしまった。
何だか一人にしておけなかったので慌てて近付いて、そっと背中に手を添えた。
「ル、ルディ……大丈夫?」
「……ごめん。僕、さっきから本当にかっこ悪いし、情けないね」
申し訳無さそうな顔をするのを見て、ぎゅっと胸が締め付けられてしまう。
「そんなこと、一度だって思ったことないよ」
可愛くて元気で無邪気なルディ。負の感情や要素とは結びつかない存在だった。
だからこそ、今こんな風に思い悩んでいるのが意外で、それでいて放って置けない。何ができるかわからないが、とにかく何かしたかった。何もできなくてもせめて傍にいたかった。
「はいはい、ご馳走様」
ジェットの投げやりな言葉が飛んでくる。雑な言い方と適当なセリフに、キッと睨みつけてしまう。
「とにかく簡単には返さない。ってか、返せない。……二百年前、お前に暗示をかけたのも感情と記憶の一部を奪ったのも、俺の独断じゃねぇからな。──レミの許可がねぇと俺も返せねぇの」
「な、なんでそんな面倒なことになってるの……?」
ルディの頭上に「?」が揺れているのが見えるようだった。ルディが初耳なら、ルーナにだってそうだ。
今までの話の流れからしてジェットが勝手にやったのだとばかり思っていたのに、まさかレミの介入があったとは思わなかった。つまり、三人の縁は二百年前から、ということでいいのだろうか。
混乱しているルーナを置いて、ジェットが軽く肩を落とした。
「俺が面白がって勝手に暗示を解いたり、感情を摘み食いするかもってレミが疑ったんだよ。……余計なお世話だって言ったんだけどな。
まぁ、感情と記憶はともかく、暗示の方は気付いたんなら解けてるぜ」
ネタバレをされたルディは「ああ……」とどこか諦めたような表情になった。レミが疑った行動はルディにとっても納得できるものだったらしい。ルーナにはいまいち共感ができなかった。
ルディに寄り添ったまま、ルーナは口を開く。
「……じゃ、じゃあ、イェレミアス様が駄目って言ったら……?」
「まぁ、返せないな。上手く説得しろよ」
「ええっ?! 説得って……僕がやるの?!」
「当たり前だろ、自分のことなんだから。……勝手にやったのは俺らだけど、相応の理由があったんだからな」
しれっと言うジェット。ルディががくっと肩を落としていた。
恐らく、ジェットよりもレミの説得の方が骨が折れると感じているからだろう。確かにルディがレミを説得し切る光景がうまく想像できなかった。
「まぁ、ルーナと相談しろ。二人で説得すればあいつも考えるだろ。──夜までに考えとけよ」
つまり、夜になったらレミを訪ねろということだ。
困惑したままルーナとルディは顔を見合わせる。そして、もう一度正面に視線を戻した時にはジェットは姿を消していた。




