75.悲しみの在り処③
「……ルーナ」
どれくらいそうしていのか。
ルディが掠れた声で呼ぶので、背中を撫でながら視線をつむじを見る。
「何?」
「……お父さんとお母さんが死んじゃった時、ルーナはどんな感じだった?」
思いもよらぬ質問に目を見開き、ルディの頭を見つめる。ルディはルーナの肩口に顔をくっつけたままで動く気配がない。
どう答えたら良いかわからずに考え込んだ。
ルディの頭に顎を乗せて目を細める。
「悲しかったよ、すごく。病気のせいで村にいる大人が何人も亡くなって、私と同じような子が結構いて……泣いたけど、なんか、泣いてる暇なんかないって感じで……行く場所がなかったからおじいちゃんとおばあちゃんに引き取られてからは……悲しむ暇も休む暇もなくて、どんどん二人のことを忘れちゃうみたいで怖かったな……」
「うん」とくぐもった声が聞こえてくる。面白い話でもないのに、ルディは静かに聞いていた。
その時流行った病気は大人しかかからず、老人や子供は無事だった。父親か母親、もしくはその両方を亡くした子供がいて、あちこちから泣き声が聞こえてきた。ルーナも泣いていたが、すぐに祖父母が「いつまでも泣くな! 働き手がいなくなって大変なんだ!」とルーナを無理やり働かせた。おかげで満足に悲しむことも、休むこともできずに、悲しみも辛さも薄れていってしまった。
改めて両親が死んだ時のことを思い出して、鼻の奥がツンとなる。
これまで抑えていた悲しさや涙がこみ上げてきてしまい、顔を上げて上を向いた。
ぐすん。と、鼻を啜ってやり過ごす。
「……泣いてる?」
ルディが心配そうに聞いてきた。ちょっと笑いながら、ルディの体をもう一度抱きしめる。
「ちょっとだけ。……あの時、もしルディが傍にいたら、私はきっとルディに抱きついてわんわん泣いてたと思う。でも、その時は泣きつける相手がいなくて、そのこともすごく辛かったなって思い出した……」
当時、ルーナは孤独だった。
周囲の子供は誰かと一緒に泣いていたのに、ルーナにはそんな相手がいなかった。友達やその親が慰めてくれようとしたが、祖父母が怒鳴り散らして追い払ってしまったのだ。祖父母の存在を嫌がった友達とその親とは疎遠になり、時折気の毒そうな視線を向けられるだけとなった。
ルディがあの時傍にいてくれたら、きっと今とは逆でルーナがルディに抱きついていただろう。
八年前のルディはきっと今と姿は変わらないのだろうけど、頭の中で幼いルーナが幼いルディに抱きついて泣いて、慰められている光景が浮かんだ。都合のいい妄想であっても、そんな光景を想像できるだけマシで、僅かに癒された。
そこまで考えて、ふとある可能性に思い当たる。
「……ルディは、……泣いた?」
「思い出せない……お父さんとお母さんが死んだことは覚えてるんだけど、その時のことがうまく思い出せないんだよ……だから、泣いたかどうかわからないんだ。それに、『かなしい』って気持ちがわからないから、それで泣くのがどういうことなのかもわからない……」
苦しそうな声を聞きながら必死に考えを巡らせていた。
さっきからずっと抱きしめているルディの体は負担よりもずっと細く小さく感じられて放っておけない。ルディに「僕の気持ちをわかって欲しい」と言われたのでずっと考えているが、なかなか『悲しい』という気持ちを欠いたルディの気持ちがわからないでいる。
ルディがずっと明るく無邪気だったのは『悲しみ』がないせいだったのかと思うと、切なくなってしまうのだ。
悲しみを感じない自分。
それゆえに涙が流せない自分。
そんな自分が想像できない。ずっとルーナは悲嘆に暮れていたし、『悲しみ』が絶えず在ったからだ。
(……私、ルディのために何もできないのかも……)
やるせなさを感じたところで、思わずルディを抱きしめる手に力が入ってしまった。
「私、ルディのために何ができるかな……?」
「今こうして僕の傍にいてくれるでしょ?」
「でも──」
「今はこれで十分だよ。……なんか、ごめんね。ルーナの気持ちをわかりたいはずなのに、僕の方が慰めてもらっちゃった」
そう言ってルディがぱっと顔を上げる。いつも通りの明るい笑顔だった。
けれど、どこか無理をしているようにも感じる。
その表情を見ているとチクチクと心が痛み、ルーナの焦燥感が煽られた。
「頭痛いのも治ったし、大丈夫だよ。ありがとう、ルーナ」
にこにこと笑うルディは普段通りに見えるのに、やっぱりどこかおかしかった。
ルディの顔をじっと見つめてから、両腕をがしっと掴んだ。
「ルディ、ジェットに返してってちゃんと言った方が──!」
「言ったよ~。でも、返すとは言ってもらえなくて……力付くでも返してもらおうかと思ったんだけど、そうやって返してもらってもなんか違うし……どうしてジェットがそんなことをしたのか、あの時何があったのか──僕って実は忘れたままの方がいいのかなって、ちょっと思っちゃってる。ジェットにも事情があったはずだし」
ついさっきまでは思い出したいと言っていたのに、急に気弱になっているように見えた。思考が無理やり捻じ曲げられているような、そんな雰囲気を感じる。
その変化に戸惑いを隠せない。かと言って、それを指摘した方が良いのかもわからずにルディを見つめるだけになってしまった。
「……でも、それだとルーナの気持ちがわからない。それは……なんかやだ。モヤモヤする……」
ルディ自身、自分の心情に違和感を覚えているようだった。胸のあたりを押さえて首を傾げている。
「今って、ルディの中に、二つ感情があって……それが喧嘩してる、んだよね……?」
「うん? えっと、多分そう、かな……」
「それは、二つともルディの本心だから、モヤモヤする、の?」
そう尋ねるとルディが不思議そうに瞬きをした。数秒後、眉間に皺を寄せて考え込む。
何かを、いや、自分自身を疑っているようだった。
何故こんなことを聞いたのか、自分でもわからない。だが、とにかく違和感を覚えたのだ。
──急に「ジェットにも事情があったはず」などと、ジェットを気遣い出したのが。
ルーナの見ている範囲では三人の間に遠慮などはなく、レミの体調を心配する一面は持ち合わせていてもある意味で容赦のないやり取りばかりが目についていた。
しかし、こればかりはルーナには判断がつかない。ルディ自身が自分の感情を探ってもらうしかないのが歯痒かった。
「……どっちも僕の気持ち……?」
ルディが訝しみ、首を傾げている。
しばらく悩んだ末にルディがルーナを見つめ返した。
「片方が偽物の気持ちって……ある、と思う?」
「わ、からないけど、ないとは言い切れない、んじゃないかな……? この間、ジェットがマチアスに向かって『帰れ』って言った途端、すぐ帰ったのを思い出して……」
あの時のジェットの声は不思議な響きがあり、それはマチアスに対する『命令』に聞こえたのだ。
そして、それを聞いたルディが目をまん丸にした。さっきから腕を掴みっぱなしだったルーナの手を解いてしまう。
「ルーナ、ちょっとごめんね……?」
「う、うん?」
ルーナ一言断ってから、ルディはガゼボの中から外を振り返る。ぐるりと周囲を見回し、らしくなく小さく舌打ちをすると、思いっきり息を吸い込んだ。
「ジェットーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」
山にまで響かんばかりの大声で、空気がビリビリと震える。ガゼボの周り、石壁の上にいた鳥たちは驚いて飛び去ってしまう。「ジェットー」と山彦が聞こえてきた。
突然の行動に驚いていると、ふっとガゼボの入口に人影が現れる。
無論、ジェットだ。
飄々とした様子でガゼボの壁に背を預け、楽しそうにこちらを見つめていた。
「ようやく気付いたのか。気付くまで二百年もかかったな?」
楽しそうなジェット。不機嫌さと苛々と悔しさを滲ませているルディ。
屋根の上で起きたことを思い出し、身が竦んでしまった。




