73.悲しみの在り処①
ジェットがデートだなんて言うものだから急に意識をしてしまった。
着替えている間も『デート』という単語が脳内をぐるぐると巡っている。
しかし、ルディとは毎日同じベッドで眠っているし、森の中に行く時も街に行く時も手を繋いでいたりする。そう考えるとルディと二人で庭で遊ぶくらい何でもないことのはずである。レミやジェットよりもずっと二人の時間は多いし、接触も多いし、ルディ自身がルーナを気にしてくれているのは伝わってきている。
一方的に意識するのは逆に失礼なのでは、と思い直した。
ぺちぺちと頬を叩いて、『デート』という単語をもう一度頭から追い出す。
着替え終わったところで姿見の前に立ち、くるりと回ってみた。
淡いピンクのスカートにカーディガン、白のブラウスを着ている。真新しく、それでいて可愛らしい服に身を包む自分の姿にどうしても慣れないのだが、ゆるゆると首を振ってあまり考えないようにした。
「……髪、どうしようかな」
だらだらと伸ばし続けた前髪を一房摘まみ上げて、毛先を見つめる。
以前は櫛を通すこともなく、偶にか洗わなず酷い状態だったのに、今では櫛を通さずとも指の間をするりと落ちていく。これが自分の髪の毛だなんて信じられない。
今の状態であれば新しい服に袖を通しても汚れる心配だけはしなくてよかった。
心理的な抵抗感だけは未だにどうにもならないけれど。
「カチューシャかバレッタ……折角だし、全部ルディに選んでもらったものにしようかな……」
そう呟いてカチューシャを手に取った。
どういう風につけるのか良いのかわからないものの、とりあえず前髪をあげるようにしてつける。普段ジェットがやってくれているのとあまり雰囲気は変わらないはずだ。カチューシャ部分に編み込みがあるかどうか、リボンを使って結うかどうかの違いである。
一部乱れたところを直して、じーっと鏡とにらめっこをした。
「……これでいい、かな……? お店の人につけ方とか聞いてくればよかったかも」
ちょこちょこちょ髪の毛を弄ったり、カチューシャの位置を直したりしてみるが、良いのか悪いのかさっぱりだった。
やがて諦めて、「これでいい」という結論に達した。
よし。と、呟いて、部屋を出る。
いつの間にか使えるようになっていた正面の玄関に向かい、重い扉を押し開けて外へ出た。
「あ! ルーナ!」
「わ。ま、待った……?」
「ううん、別に待ってないからへーき」
玄関を開けてすぐにある階段にルディは座っていた。扉が開くのと同時に振り返り、嬉しそうに笑いながら立ち上がる。
別れる前と同じで人間の姿になっていて、階段を上がって近付いてきた。
ルーナのいる場所の一段下で立ち止まる。普段より目線が近かったので新鮮だった。それでもまだルディの方が背が高い。
「あ、カチューシャにしたんだね。可愛いよ~、よく似合ってる~!」
ルディの手が伸びてきて、カチューシャについた花にそっと触れた。
「……。……あの、ありがとう」
静かに見つめて、つい昨日言われたばかりの言葉を思い出して感謝を伝える。
ルディは一瞬面食らった顔をしてから、さっきよりも更に嬉しそうな表情になった。カチューシャに触れていた手を移動させ、髪の毛に触れる。指先に絡ませて、その手触りを楽しんでいるようだった。
無性に気恥ずかしくなり、硬直してしまった。
「ルーナの髪の毛、するするしてるね。触ってて気持ちがいい」
「そ、そう? ちゃんと洗って櫛を通してるからかな」
「手入れができてるってことだね。じゃあ、ちょっとふらふらしよ? 僕、実は庭をちゃんと見たことないんだよね」
髪に触れていた手を差し出され、その手とルディとを見比べる。
躊躇っているとルディが首を傾げた。
「ルーナ? どうかした?」
「な、んでもない、です……」
「あ、敬語」
「うっ!!」
ルディが笑う。
ジェットの言い放った『デート』をどうしても意識してしまって駄目だった。そのせいでついつい敬語が飛び出してしまうし、ちょっとしたことでも色々と考えてしまう。
まごついているルーナに痺れを切らしたのか、ルディがルーナの手を取った。
「もー。ルーナ、今日はどうしちゃったの? 手くらいいつも繋いでるじゃん? 意識してくれるのは嬉しいけど、それでギクシャクするのはイヤだよ~」
そう言って軽く手を引っ張られた。今のセリフに対して「?」を無数に散らしながら、手を引かれるままに階段をゆっくりと下りていく。
とは言え、確かにルディとギクシャクするのは嫌だ。
階段を下りながらゆっくりと深呼吸をした。
「ご、ごめんね。なんかいろいろ考えちゃって……」
「いろいろ? あ、どうせジェットが変なこと言ったんでしょ~。気にしちゃダメだよ、適当なことしか言わないもん。昨日は楽しかったけどちょっと大変なこともあったし……今日は二人でゆっくりしたいだけなんだよね」
階段を降り切ったところでそう言われ、黙ってこくこくと頷き返した。
ルディは満足げに笑い、繋いだ手を揺らす。
それから二人揃って庭園へと視線を向けた。
眼前に広がる庭園は、二百年放置されて荒れ果てていた時と比べればすっかり綺麗になっている。
芝生部分も整えられているし、花壇の雑草も抜かれて他の植物が植えられているし、噴水には水が張られ、原形が不明だったトピアリーも元の形を取り戻している。自動人形がやっているのを見たことがあるので、基本的に彼らが手入れをしているのだろう。
庭園の中にある石畳の道には枯葉が落ちており、これは季節柄、逆に風情があった。
「僕が来た時はあんなにボロボロだったのにな~。今はすっかり綺麗なのが不思議」
「……雑草とかすごかったよね」
「そうそう。二百年放置するとこうなるんだ~って感心しちゃった」
話をしながら、どちらともなく歩き出した。
お昼頃に毎日散歩をしているものの、誰かと見て回ることはなかったので新鮮である。
二人で手を繋いだままゆっくりと庭園を見て回った。ルディとルーナの視点が違うので、ルディが見つけるものは新鮮である。例えば庭園にある草花を食べられるかどうかで判定する視点はルーナにはなかったので、その点に関してはルーナよりもずっと博識だった。
兎の形のトピアリーを抜け、庭の隅にあるガゼボへ辿り着く。
ルディが「ちょっと休憩しよ」と言ったので、二人はガゼボに入っていった。ガゼボは六角形になっていて、入口以外のところには壁伝いにベンチが備え付けられていた。中も綺麗で、思わず見入ってしまう。これまで何となく気後れしてしまって入れなかったのだ。
並んでベンチに座ったところで、ルディが躊躇いがちに口を開いた。
「……ルーナにさー、聞いてみたいことがあって」
「なぁに?」
「嫌なら答えなくていいんだけど……」
ルディが控えめにルーナを見つめた。こんな態度も珍しかったので不思議に思う。
「ルーナはさ、お父さんとお母さんが死んじゃった時、やっぱり……かなしかった、よね?」
両親のことを言われるとは思わずに目を見開き、ルディを凝視してしまった。
「……そ、れは……も、もちろん。すごく悲しかったよ」
「……そうだよね」
「急にそんなことを聞くなんてどうかした? 何かあった?」
思い出すと辛い記憶であっても話すのが嫌なわけではない。
辛い気持ち、悲しい気持ち。当時は誰も聞いてくれなかったし、ひどく泣いて落ち込むルーナを祖父母は鬱陶しそうにしていた。ルディが祖父母や村の人間と違うのは分かりきったことなので、嫌な気持ちにすらならなかった。
「僕ね、お父さんとお母さんが死んだ時のことを思い出そうとすると、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃうんだ。それに、前にも思ったんだけど……『かなしい』って気持ちが、どうしてもよくわかんない」
「わ、わからない……?!」
素っ頓狂な声を出すと、ルディはバツが悪そうな顔をした。
わからないことに対して罪悪感や申し訳なさを感じているような──そんな表情だった。
聞いていいのかどうかを迷いながら、それでも聞かねば話が進まないとも思い、じっとルディを見つめる。迷いながら口を開いた。
「それは……なんていうか、魔獣にはもともとそういう感情がない、とか……?」
「あはは。そうじゃないよ~。吸血鬼もだけど、魔獣の感覚や感情って人間と結構近いし、喜怒哀楽はおんなじだと思う。ただ、怒るポイントが違うとか、そういうのはあるだろうけどね」
ルディの言葉を理解しようと、かなり必死になって言葉を聞いていた。
普段通りの明るい声と口調なのに、根底には全く別の感情が潜んでいるようで少し恐ろしい。
「驚かないでね?」
「う、うん」
「……多分、僕の『かなしい』って感情は、ジェットに取られちゃったんだ」
わけがわからなくて思考が停止した。
ルディが決して嘘を言っているわけではないのはわかったので、余計に。




