71.運ぶだけ、のはずだった
転移魔法でルーナの部屋まで瞬間移動した。
ジェットはすぐについて来れるが、ルディは転移魔法を使えないのですぐには来ないだろう。
ルーナの体をそっとベッドに横たえ、布団をかけてやる。
寝顔はあどけなく、年齢より幼く見えた。その寝顔を見ながら少し考える。
「……部屋を変えるか」
元々奉公に来ていた少年少女のための部屋だ。一通りの家具は揃っているがレミの感覚だと狭く感じる。クロゼットも今のままではこの先入りきらなくなるだろう。
我ながら不思議だった。
どうしてルーナがずっとここにいると考えてしまうのか。今日だってその前提で買い物に出かけてしまったのだ。
首を傾げつつ、そっとルーナの髪を撫でる。
屋敷に来た時のぼさぼさの髪の毛が嘘のように綺麗になっており、手触りも柔らかく指通りも良かった。
魔法をかけたおかげでルーナはぐっすり眠っており、ちょっとやそっと触っても目は覚まさないだろう。
祖母であるフリーデリーケは人間の子供が好きで、それらに付き合わされていたこともあってレミも人間の子供は好きである。しかし、そういった小さな少年少女に感じる慈しみとは少々異なる感情を持て余していた。
小さく唸りながら、ルーナの顔の輪郭をなぞっていく。
目元、頬、そして唇。
目を細めて薄い唇をそっと撫でた。
「そんなことしてるからロリコン吸血鬼って言われるんだよ」
「お前だけだ、そんなことを言ってくるのは……。ルーナが十代半ばかそれ以下ならその言葉も甘んじて受け入れるが、ルーナは成人済みだ」
いつの間にか背後にいたジェット。振り返りもせずただため息をついた。
どうせそのうち追ってくるだろうなと思っていたのでジェットの出現は想定内だ。ルディがいないのは不思議だが。
「ルディは?」
「なんか屋根の上でずっと考え込んでるわ。……ロクなことじゃなさそうだけどな」
「好きにさせればいい」
そう言うとジェットがふっと息を吐きだした。
「……その言い方、お前のクソ親父と似てんだよな」
「──は?」
思わず振り返る。予想だにしなかった言葉に一瞬で頭が真っ白になった。
視線がかち合った瞬間、ジェットが含むような笑みを浮かべる。
「まぁ、言葉は同じであっても意味は真逆なんだろうけど」
「何が言いたい……?」
「ただの感想なんだから怒るなって」
肩を竦め、呆れ交じりに笑うジェット。
家族の話題、特に両親のことを持ち出されるのが嫌いだというのは承知のはずなのに、どうしてこんなことを言うのか理解不能である。
「ルディもルーナも両親が死んだせいで心に傷を負って、未来に希望が持てなくなったって過去は共通してる」
ジェットがゆっくりと歩きだし、眠るルーナに近付く。すぐには起きないはずなので彼の動きをただ見守った。
すうすうと気持ちよさそうに眠るルーナを眺め、レミがそうしていたように頭を撫でていた。
「そういう背景を考えれば二人は分かり合えるし、支え合えるんだろうな。辛い記憶が共通してるから。……傷の舐め合いって言うと身も蓋もねぇけど」
何を言わんとしているのかを推し量るようにジェットを見る目を細めるが、何も伝わってこない。
「でも、お前の両親は生きてるから二人からしたら贅沢な悩みだよな。どんだけ両親がクソでもフリーデリーケには可愛がられてるし、こうやって屋敷を丸々一つ与えられてるから住む場所に困ることはねぇし、ダミーの伯爵位も与えられてるし?」
「ジェット、何が言いたいんだ?」
苛立ちを込めて問うとジェットが笑って振り返った。
手はルーナに触れたままで、離すが惜しいと言わんばかりに。
「だから、怒るなって。ただの感想なんだから」
「悪意しか感じない上に、意図がわからない。はっきり言ってくれ」
「俺にはそういうのわかんねぇな、ってだけ」
意表を突かれて、目を見開いた。
悪魔であるジェットを産み落とした存在と言うのものはあっても、レミたちのように濃い関係ではない。家族と言うものに固執しないのだ。産み落とした関係性や能力の系統などで括られて一族という見方をされるくらいである。
しばし沈黙が落ちた。
レミは困ったように眉を下げて僅かに首を傾いだ。
「……。……羨ましいのか?」
半分冗談、半分本気のつもりで聞いてみる。
すると、ジェットはあからさまに不愉快そうな顔をした。すっとルーナから手を離して、やれやれと言わんばかりに首を振る。
「なんでそうなるんだよ。違うっつーの」
「じゃあ、どうしてそんなことを言い出すんだ。……別にお前が何かを羨ましがったり憧れたりしてもおかしいとは思わない。まぁ、悪魔の中であれば馬鹿にされるんだろうが」
ジェットは黙り込んでしまった。
意図の読めないジェットの言葉の数々。吸血鬼と悪魔とで常識や倫理観が全く違うため、これまでだってわからないことが多かったが、その中でも今回は特にわからない部類に入る。
ただ、薄々感じていることはあった。
レミが両親や一族のことが鬱陶しく重荷であるように、ジェットにとって悪魔の常識や倫理観が足枷になっているのではないか、と。
これまでの付き合いの中で感じたこと、そして単なる想像だ。
「ジェット。オレにとって悪魔の常識や考えはどうでもいいし、こうして一緒にいる分にはそういうのを持ち出してくれない方が楽だ。……今はルーナのこともあるからな。ルーナだって急に悪魔の常識や倫理観でもって接せられたら困惑するだろう」
そこまで言ってはっと気付く。ジェットをじっと見つめ、安堵のため息をついた。
「……。今気付いたが、お前が色欲の系譜じゃなくて本当に良かったと思う」
「今更かよ、うるせぇな」
乱暴かつ呆れた声に少し笑ってしまった。
ジェットが色欲の系譜だったらルーナが今頃どうなっていたのかなんて想像したくない。考えないようにとゆるゆると首を振る。
「……二人ともルーナの部屋で何してるの? ルーナが起きちゃうからさっさと出てってよ、僕ももう寝るし~」
屋根で何か考えていたというルディが戻ってきた。しかももう魔獣の姿になっている。
二人をジロジロと見ながら部屋の中を我が物顔で歩いていき、ルーナが眠っているベッドにぴょんっと飛び乗った。ルーナは魔法をかけられていることもあって起きる気配はない。
「お喋りなら外でしてよね~」
「……ルディ、考えはまとまったのか?」
「なんのこと? まとまったっていうか……昔、ジェットに取られたものを思い出そうとしてただけだよ」
質問に対して、ルディは感情なく答える。
ギクリとしたのはレミだけなく、ジェットも同じのはずだ。何も言えずに、ただルディの行動を見つめた。
ベッドの上で、ルディがジェットをじっと見つめる。
「結局思い出せなかったけどね。だから、そろそろ返してもらおうと思ってる」
「……嫌だって言ったら?」
「え~。困るよ、そんなの。今のままだと多分ルーナの気持ちがわかんないもん。……安心してよ。思い出せなかったけど、だいたい検討はついたから」
ジェットが何とも言えない顔をして返せば、ルディは迷いなく答えた。そして、ルーナに優しく頬ずりをする。
獣にしては器用に前足を使って布団をめくり、もぞもぞとルーナの横に収まってしまう。
二つある枕のうち空いている方に顎を乗せて目を閉じるルディ。
「おやすみ~。また明日~」
出てけと言わんばかりの「おやすみ」にレミとジェットは顔を見合わせた。
ルーナが眠っていることもあり、二人は何も言わずに部屋を出る。
──二百年前。
西の大国ガリダと東の大国ウル・エイルの間で大きな戦争があり、無関係な国々が巻き込まれた。
ルディたちが暮らしていた小さな島も例外ではない。ガリダが中継地として利用しようとして島に乗り込んできて、島の『守り神』であるルディの両親が島と人間たちを守るために戦ったのだ。島民を避難させる時間を稼いだが、ルディの両親はその戦いで命を落とした。
両親の死をきっかけに暴走したルディを止めるためにジェットが『あるもの』を奪い、被害が拡大するのを防いだ。
今考えてもあの時の判断は正しかったと思う。そうしなければ、地図から島が一つなくなっていたに違いないのだから。
ルディがそれを返せという。
そうしろと言ったのはレミで、了承したのはジェットだ。
いずれ返さなければいけないとわかっていても、当時の惨状を思い出すと憂鬱でしかなかった。




