70.四人の夜を月が見ていた③
風は冷たいが、不思議と寒くはない。コートが温かいのと三人が一緒にいてくれるからだろう。
屋敷に来た時はこんな風に過ごすことになるなんて思いもしなかった。
お礼を言いたくなる。それこそ、何度でも。
「……あの」
月から視線を外し、少し俯いて声を出す。
小さな声は夜の風に攫われてしまいそうだったが、その声はちゃんと三人に届いている。
「三人とも、本当に──ありがとうございます」
この時ばかりは「ありがとう」という気軽な言葉で済ませられなかった。丁寧に感謝を伝えたい気持ちになったのだ。
手をモジモジさせながら左右にいるジェットとルディ、そしてレミを見上げる。
三人とも「何を急に?」と言いたげな顔をしていて、そこが少し可愛く見えた。
「今日のこともそうだけど、こんな風にゆっくり月を見れる日が来るなんて思わなかった……おかげでお父さんとお母さんと過ごした夜もはっきり思い出せたし、辛かったことも寂しかったことも、悲しかったことも……今日マチアスに会って怖かったことも、なくなったりしないけど、ちょっとずつ和らいでる気がする。……だ、だから、」
急に自分の発言が恥ずかしくなってきてしまい、膝を抱えてしまった。紛れもない本心なのに何を言っているんだろうという気分になってくる。
しかし、顔を見ないままなのも失礼なので、ゆっくりと深呼吸をしてから顔を上げた。
三人を順に眺める。
「ルディ、ジェット、イェレミアス様。本当に、心から感謝してます」
言い終わると後ろ頭をジェットに軽く叩かれた。大真面目だったのにどうして、と思っているとジェットがどこか不格好に笑っている。困ったような、驚いたような、変な笑い方だった。
その表情を前に何も言えなくなっていると、ジェットが普通の顔に戻る。
「急に何だよ、本当に」
「言いたくなっただけだよ。叩かなくてもいいのに」
「叩くのはルディにだけにしておけ」
「え~? ひどいなぁ。僕だって叩かれたら痛いんだよ。……えへへ、ルーナにお礼言われちゃった」
レミの言葉にルディが笑っている。結構なことを言われているのに、気にならないと言わんばかりだ。
その場の変な空気を壊すように、誰からともなく話しだした。
夜空を見ながらぽつぽつと話をする。
三人ともルーナのどんな話もちゃんと聞いてくれるし、何かしら反応をくれる。ルーナにとっては三人のどの話も新鮮で、聞いていて開きなかった。
こんな時間が永遠に続けばいいのに──と思っている間に、どんどん眠気が増していき、遂には瞼を閉じてしまった。
◆ ◆ ◆
ルーナが静かになり、やがて静かな寝息が聞こえてきた。見れば、ルディに凭れ掛かってすうすうと眠っている。
「寝ちゃった」
「こいつ、変なところで図太いよな。こんなとこで寝れるのかって感じ」
冷たい風が吹きつける屋根の上。
左右にジェットとルディがいるとは言え、決して安定した場所でもない。しかもここから落ちて死にかけたのも記憶に新しい。
そんな環境で眠れるなんて肝が据わっている証拠だ。
「……安心してるんじゃないのか」
「安心~?」
近付いて、上からルーナを覗き込んでみる。ルディにがっつり凭れ掛かっており、彼がそこからいなくなるなんて思ってないような様子だ。本人にその意識があるかどうかはさておき。
体重をかけられているルディだって不思議そうにレミを振り返るものの、ルーナの体がバランスを崩したり落ちたりしないように腰に手を回して支えている。
レミの言葉の意味を問うようなジェットの視線も向けられていた。
「前みたいに落ちたりしないし、落ちたとしても助けてくれる、という安心だ」
そう言うとジェットもルディも微妙な顔をする。流石に悪魔や魔獣とは言え、以前完全に不注意でルーナを転落死させかけたことに責任を感じているらしい。ルディは特にそう思うのか、ルーナの腰を抱く手に力を込めたように見えた。
「それに……今日のことでかなり信用を得たんだろう」
「今日のこと? 何かあったっけ?」
「マチアスという少年に声をかけられた時だ」
レミの答えにジェットとルディが顔を見合わせる。
「信用、得るほどか?」
ジェットの口ぶりはそんなに大したことはしてないだろうと言わんばかりだ。レミは黙って首を振ってから話を続ける。
「ルーナの口から事細かに聞いたわけじゃないから想像だが……村では誰かに助けてもらえる環境じゃなかったんだろう。これまでも、村の人間に見つかったらどうしよう、という不安があったはずだ。──吸血鬼のところに送り込んだから必ず死ぬと思っているのがいかにも田舎らしい考えだが──オレ達にしてみれば煩わしい羽虫を手で払ったくらいの認識でも、ルーナにとっては違っていたんだ」
「確かにルーナ一人だったらどうしようもなかったな、アレ」
ようやくジェットは納得した。
本当に自分たちにとってはなんてことない出来事だったのだが、ルーナにとっては違うのだ。人間とそれ以外の種族の違いというのは思いのほか大きく、両者を大きく隔ててしまう。
ジェットと話していると、ルディがルーナの顔をじーっと見つめていた。
「どうした?」
「話してたら起きちゃわないかなって思って……こんなところで寝てたら人間って弱って病気になっちゃうし、部屋に移動させてあげない?」
ルーナはこんな場所なのによく眠っている。会話も気に入らないようだ。
しかし、眠っているのだったらこんなところに置いたままにしておくわけにはいかない。
「それもそうか。では、オレが運ぼう」
言うが早いか、ルーナがジェットとルディの間から消え、レミの腕の中に納まる。ルーナは体勢が変わったにも関わらず起きる気配はない。が、念のため目を覚まさないように魔法をかけておいた。
ルディが驚いて立ち上がり、ジェットが心底呆れた顔をした。
「ちょっ……!」
「……お前さぁ」
「そう目くじらを立てなくても良いだろう。お前達の方がルーナと接してるんだから」
何故今ここで「ルーナを抱いて運ぶ」という権利を欲してしまったのかよくわからない。けれど、ジェットもルディも一回ずつ運んでいるのだから次は自分だろうという意識があった。
あまり考えないようにしつつ、二人からこれ以上文句を言われないうちにさっさと姿を消してしまった。




