69.四人の夜を月が見ていた②
「じゃあ、僕が抱っこして屋根まで連れてってあげるね! ルーナ、しっかり掴まってて~」
「ええっ!?」
言うが早いか、気がつくとルディに抱き上げられていた。
しかもルーナの了解も得ずにそのままぴょんっと飛び上がっていく。びゅうっと風が頬を撫で、不思議な浮遊感に包まれたところで思わずルディの首にぎゅっと抱きついてしまった。
ジェットに抱えられて空を飛んだ時とは違い、ルディは屋根の上をぴょんぴょんと跳ねるように渡っていく。
すたん、と一番上の屋根に降り立ったところで顔を覗き込まれた。
「大丈夫だった?」
「う、うん……」
驚いたが特に問題はない。ルディがそっと屋根の上に下ろしてくれ、足元を確認しながら恐る恐る屋根の上に立った。
以前ジェットに連れてきてもらった場所で人一人が歩いていけそうな幅がある。
「立ちっぱなしも危ないし、座ろっか」
言われて、二人並んで腰を下ろす。
ジェットに連れてこられた時は朝日が綺麗だったが、今は夜だ。二つの月は庭園で見るよりも近く大きく見えた。屋根の上から見る月は視界を邪魔するものがなくて、とても綺麗に見えた。
寒さも忘れてぼうっと見入ってしまう。
「俺にはいまいち月の良さとかわかんねぇんだけど……」
「それはお前の感性の問題だろう」
「うひゃっ?!」
気が付くと隣にジェットが座っていて、更にジェットの隣にはレミが立っている。必然的にルディとジェットに挟まれる形になっていた。
ルーナが驚いたことに二人が驚いている。そして二人同時に吹き出していた。
「わ、笑わなくても……」
「お前が驚きすぎるからだろ」
「だって、急にいるから……」
「それは慣れてもらわないと駄目だな」
ああ言えばこう言う。そんな風にジェットとレミに返されてしまい、それ以上何も言えなくなった。とは言え、ジェットが神出鬼没なのは今に始まったことじゃないし、レミだって似たようなもののようだ。
自分が慣れるしかない、と言い聞かせた。
そう思っている傍からルディがルーナにぎゅっと身を寄せてくる。ピッタリとくっついてしまい、二人の間には隙間がない。最近ルディがやけにくっつきたがるのは何故だろうと不思議に感じながら、この距離感にも慣れていかねばと戒めるのだった。
色々気にしすぎないようにしながら、改めて月を見上げる。
ほう。とため息が漏れるくらいに綺麗で神秘的だった。
「ルーナ、今何考えてんの?」
「月が綺麗に見えるのはなんでだろう。って考えて、る」
ジェットが顔を覗き込んできたので少々ドキッとしながら考えていたことをそのままに口に出した。
うっかり「考えてます」と言いそうになったのが彼には伝わっていたらしく、口の端を少しだけ持ち上げて笑っている。笑われていることに気付かないふりをしながら、月へと視線を戻した。
ジェットを振り返って口を開く。
「レミ。なんで?」
「自分が答えられないからってオレに振るんじゃない」
「僕も気になる~。せんせー、なんでですか~?」
ルディがふざけた口調で笑いながらジェットに続いた。レミは思いっきり空気を吸い込んで、それを思いっきり吐き出した。これまでで一番大きなため息だった。
「知識欲のない相手に教える気はない。……ルーナになら教える。ルーナ、あくまで個人的な見解で良ければ話すが」
「え。聞きたい、な」
レミの言葉はあくまでもルーナに向けられており、ジェットとルディには言葉通り教える気はないと言わんばかりだった。
また「聞きたいです」と言いそうになったのを慌てて直した。
レミがルーナを見つめてふっと笑ってから、月へと視線を戻した。
「……以前、レムス王国で月が『夜を見守る者』として広く信じられているという話をしたな。レムス王国内ではどんな田舎でもこの話が信じられていて、あの月は人間の味方だという前提がある。それ故に、王国内では絵画でも詩でも小説でも、月を賛美するものばかりだ。つまり、王国全体で『月は綺麗なものである』という共通の認識がある。……夢のない話に聞こえるかもしれないが、レムス王国で生まれ育てば、月が綺麗に見えるのはごくごく当たり前の感性──というのが個人的な見解だ」
「マジで夢がねぇな……それで俺の感性が死んでるって言われるのは腑に落ちねぇ」
ジェットが呆れて言う。しかし、ルーナはその解説に納得していた。
「……そっか。お父さんやお母さんと一緒に『月が綺麗だね』『今日も女神様が見守っててくれるね』って言って月を見てたから、綺麗に見えるんだ……」
「恐らくな。逆に月を気味が悪いと思っている国や宗教がある。仮にルーナがそこで生まれ育った場合でも『月が綺麗』だと思うのなら、それはルーナ個人の感性になるだろう。確認する術はないが」
「うーん、想像つかない……」
「だろうな。そういう『もしもの話』はし出したらキリがない」
月を見上げたままぼんやりと呟く。
忘れかけていた両親との記憶を思い出せてよかった。
何度も両親と手を繋いで月を見ながら家に帰ったのを思い出す。そのたびに「綺麗だね」「女神様が見守ってくれているね」と話しながら歩いていたのだ。そういう記憶がルーナにとって『月は綺麗で、善いもの』という認識を強くしているのだろう。
だが、両親との思い出以外にも月から連想できるものがある気がする。
昔よりももっと綺麗だと思う理由が──。
月、特に黄色い方をじーーーっと見つめる。何か身近に、と考えを巡らせたところで思い当たった。
身近にあるものに。
「あっ! イェレミアス様とジェット!」
「何だ、急に」
急に名前を呼ばれて怪訝そうなジェットと、驚いた顔をしているレミ。
隣にいるジェットを見つめると、彼が怪訝そうな顔のまま見つめ返している。
そこにある身近な黄色、いや、金色を見つけて笑みが深まった。
「ジェットの目」
「は?」
「月みたい」
すっきりした気持ちで笑うとジェットが面食らっていた。見たこともないような顔である。
それからレミを見上げれば、レミも不思議そうな顔をしていた。
「イェレミアス様の髪の毛も、月の色みたい」
それで親近感もあって更に綺麗に見えたのだと分かり、難しい謎が解けた時のようなすっきり感を味わっていた。
が、すっきりしたルーナとは裏腹にレミもジェットも口元を押さえてルーナから顔を背けている。何故そんな反応をするのかわからずに首を傾げていると、ルディがコートの裾を引っ張ってきた。ぐいぐいと。
「ねえ! ルーナ、僕は? 僕とおんなじ色は?」
「えっ?」
子供みたいな反応だ。何かをねだる子供。
いきなりそう聞かれてもすぐに答えられず、口ごもってしまった。
「レミとジェットばっかりずるいよ~。綺麗なものって言われてさ~!」
「そういうつもりじゃ……で、でも、ルディのおかげで毎日楽しいっていうか、気持ちが明るくなるっていうか……」
「本当?」
「本当。ルディがいなかったら、私は……どうなってたかわからないし」
「……そっか。じゃあ、いいや。ふふふ、よかった。でも思いついたら教えてね、僕とおんなじ色」
そう言ってルディが頬ずりをしてきた。今は魔獣の姿じゃないので緊張してしまう。
ルーナの体が硬直したことに気付いたのか、ルディが慌てて離れた。
「ごめん~、つい……」
「う、うん、大丈夫……」
ルディは魔獣の姿でも人間の姿でも行動パターンがあまり変わらないのだろう。わかってはいても、やはり姿というのはルーナに与えるインパクトが大きい。
ふと街にいた時、レミが誰の視線も集めなかったことを思い出した。何故だろうと思ったままにしており、今なら聞いても構わないだろうかとレミを見上げる。
「あの、イェレミアス様。聞きたいことが……」
「あ、ああ。なんだ?」
こほん。と咳払いをするレミ。何かを誤魔化すような雰囲気である。
「街を歩いていた時、行き交う人がイェレミアス様のことを全然認識してないようだったのが不思議で……」
「気付いていたのか。あれは存在感を薄くする魔法をかけていたんだ」
「そんな魔法があるんだ……」
なるほどと口の中で呟く。便利な魔法だ。村のいる時に使えていたら良かったのにと思う程度には。
ルーナの横でルディがレミとジェットをじっと見つめている。何かを疑うように。
「……なんか、レミもジェットも変じゃない?」
「「変じゃない」」
ほぼ同時に二人が言うものだから、それがおかしくてちょっと笑ってしまった。




