62.優しさとドーナツ
「ルーナっ」
レミとジェットが不穏な空気を纏った直後、ルディがひょこっとルーナの後ろから顔を出した。
手にはドーナツを持っている。しかもかなり大きい。大人の手のひらくらいの大きさがあった。包み紙が小さく見えるくらいである。
「さっきは災難だったね~。これ食べて元気出して?」
そう言ってルディは手に持ったドーナツをルーナに差し出した。目を白黒させて、ルディとドーナツを見比べる。
「もらっとけば?」
「そうだな、少し歩くし……食べながら向かえば良い」
ジェットがぽんっとルーナの頭に手を乗せたところでレミが頷く。レミは行儀が悪いなどと言って反対するかと思ったが、仕方ないなと言いたげな同意であった。
折角わざわざ買ってきてくれて、二人も同意していたので、ドーナツを受け取った。大きさの割に軽くて、ふんわりしている。
「ありがとうございます。いただきます……」
「食べきれなかったら僕がもらうから遠慮なく言ってね」
笑うルディを見上げてこくこくと頷く。
三人ともさっきよりもゆっくりとした歩調で歩き、ルーナも落ち着いて歩くことができた。
食べ歩きも両親と来た時のことを思い出した。ぱくりとドーナツを頬張ると、口いっぱいに甘さが広がる。粉砂糖がたくさんかかっているだけではなく、生地も甘みが強かった。ふわふわの食感にもほっとする。
さっきの恐怖が更に薄らいでいき、ようやく落ち着くことができた。
「おいしい……ルディ、ありがとう。すごくおいしい……」
「ほんと? よかった~! 一口もらってもいい?」
「もちろん。どうぞ」
ルディに向かってドーナツを差し出すと嬉しそうに食べて、「おいしいね!」と笑った。その笑顔にもほっとする。
見れば、他にも楽しそうに食べ歩きをしている人がいるのに気付いた。時間的に串ものだったりサンドイッチのようなものを食べている人が多いようだ。もちろん、デザート的なものを食べてる人もいる。
それらを眺めながら食べ歩いていると、自分が街の中に溶け込んでいるようで嬉しかった。
「俺もちょっと頂戴」
「え? あっ!」
返事をする暇もなく、ジェットがドーナツに被りついていた。
悪魔は人間と同じ食事なんていらないという話だったのに、一体何なのだろうか。
驚いている間にジェットは離れた。
「……ジェット、行儀が悪いぞ。せめてルーナの許可を得ろ」
「そーだよ! 僕が買ったやつだけど、今はルーナのなんだから!」
二人の苦言に対し、ジェットはどこ吹く風だ。
「ルーナは嫌とは言わねぇだろ」
「そういう問題じゃない。……わかってるくせに面倒くさがるな」
「はいはい。お前ももらったら?」
「オレはいい」
途中でジェットが話を切り上げて話題を変えてしまった。レミもルディも無駄だと思っているのか、それ以上ジェットに何か言うことはなかった。
レミがドーナツをちらりと見てから首を振る。
ひょっとしたら誰かが口をつけたから嫌なのかなと思い、包み紙の中でドーナツをくるくると回した。誰も口をつけてない部分を上に出してレミに差し出した。
「あの、こっちはまだ誰も食べてないので……よかったら、どうぞ」
そう言うとレミが面食らった顔をする。ちょっと狼狽えたようにも見えた。
「いや、……そういう意味じゃないから気を遣わなくていい」
「甘いものがお嫌いなんですか?」
「そういうわけじゃない」
そっけない返事である。余計なお世話だったのかなとちょっと凹み、ドーナツを下ろした。
そういえば適当な料理なども好きじゃないと言っていた。ルーナから見れば美味しそうなドーナツであっても、レミの目にはそう映らないのかもしれないと思い、凹むのとは別に反省する。
が、ルーナとレミのやり取りを見ていたジェットとルディが声を殺して笑っていた。
レミがそれに気付き、二人を睨む。
「何を笑ってるんだ」
「別に。気取ってないで一口もらっとけばいいのにって思っただけ」
「そうそう、折角ルーナがくれるって言うんだからもらえばいいのに~。どう見てもルーナ一人には大きいしね」
ジェットもルディも楽しそうに笑っている。レミは不機嫌そうだ。
「そういうわけじゃない。ルーナのものなんだからルーナが食べるべきだと思っているだけだ」
「え~? そのルーナがくれるって言ってるんじゃん~」
ルディの言葉にレミが深々とため息をついた。
二人はやけに楽しそうなのに、レミの呆れたような顔が気にかかる。やはり余計なことだったのかもと思っていると、不意にレミがルーナへと視線を向けた。
「ルーナ、やっぱり一口くれないか」
「えっ? あ、は、はい! もちろん! ど、どうぞ!」
言うが早いか、レミはルーナの手を取ってドーナツを持ち上げさせる。
目を白黒させている間にレミはドーナツを控えめに一口食べてから、そっと手を離した。
「……甘いな」
「さ、砂糖がたくさんかかってるので……だ、大丈夫ですか? 甘すぎて気持ち悪くなったりとか……」
「問題ない」
しれっと言い、何事もなかったかのように前を向いて歩きだすレミ。その様子にドギマギしつつ、本当に大丈夫だったのかと心配になった。
相変わらずジェットとルディは楽しそうにくすくすと笑っているのも気になる。一体何が楽しいのだろうか。
そうこうしているうちに目的の店に到着してしまった。
ゆっくり食べ過ぎていたせいで、ドーナツはまだ三分の一くらい残っている。最初、レミが店に入る前に食べきるようにとルディに言っていたのを思い出し、慌ててドーナツに被りついた。しかし、すぐに食べきれる量ではない。
「ドーナツ食べきれそう? ダメそうなら僕が食べてあげるよ?」
「……ぁ、じゃあ……お願いします」
「じゃあ、もらうね~」
ルディはルーナの手からドーナツを持っていく。美味しそうに食べ始め、結構量があるのにたった三口で食べきってしまった。
「ルディ、ドーナツ美味しかったです。本当にありがとう……」
「んーん、気にしないで。ルーナが元気になってよかった」
確かに気持ちは上向いている。三人が気遣ってくれたおかげだ。
思い出すと恐怖に竦みそうになるが、ゆっくりと深呼吸をしてあまり思い出さないようにと自分に言い聞かせた。
ルディが食べ終わったところで改めて店に向き合う。
村にある衣料品店とは違ってとても豪華で、きらびやかな服がショーウィンドウに飾られていた。今からここに入るのかと気後れしてしまう。
不安になっているところでジェットがぽんぽんとルーナの頭を叩いた。
「ルーナ、店内ではレミのことを『オニーサマ』って呼べよ」
「えっ? な、なん」
「妹なんだから当たり前だろ? 外にいる間は誰もお前らの関係なんてそこまで気にしてねぇけど、店内に入ったら貴族ってこともあって観察される。ボロ出すなって話。難しいならレミのことは呼ぶな。『ねえ』とかで誤魔化せ。あと俺らに敬語使うな、店員にぺこぺこすんな。いいな?」
なかなかハードルの高い注意をされてしまい、控えめに頷くことしかできなかった。
今度はレミとルディが楽しげに笑っている。
代わる代わる状況を楽しんでいるようだ。ルーナはとてもそんな気分に離れなかった。
「まぁ、あまり気負わなくていい。ジェットの言うようにボロが出そうなら頷いたり、首を振ったりして意思表示をしてくれ」
「は、はい……が、がんばります」
「よろしい。では、入ろう」
レミが満足げに頷き、ルーナの肩を抱いて店内に入っていく。
肩を抱かれるということに慣れないまま、レミととともに少女向けの衣類を売っている店へと足を踏み入れたのだった。
◆ ◆ ◆
「ルディ」
二人に引き続いて店内に入ろうとしたところで軽く名前を呼んで呼び止めた。
ルディは店に入る前にジェットを振り返り、不思議そうな顔をした。
「お前よく我慢したな」
「え? なんのこと???」
「さっきのガキを喰い殺すかと思ったんだよ」
そう言うとルディが呆れとも嘲笑とも諦めともつかぬ感情を乗せてふっと笑った。普段の無邪気なルディからは想像ができない笑い方だ。
だが、ルディがただ無邪気ではないことはよく知っている。
「……こんな街中でそんなことするはずないじゃん。かなりムカついたから、違う場所だったら不幸な事故が起きてたかもしれないけどね~」
目を細め、意味ありげに口の端を持ち上げるルディ。そのままジェットの反応も待たずにレミたちを追って店内に入っていってしまった。
ジェットはやれやれと肩を竦める。
(簡単な暗示しかかけてねぇし……ガキが村に戻ったら、なんか言いそうなんだよな。あの口ぶりだと村の他の連中と違ってルーナを完全に見下してたってわけじゃなさそうだし……)
ルディがムカついたのもあの少年がルーナを特別視していたのが理由だろう。
ルーナが生贄にされるまで何もしなかっただろうに、どの口が──。
妙な苛立ちを覚える。
その苛立ちについて深く考えることを放棄し、感情を置き去りにするように、店内に入った。




