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06.使い魔はぬいぐるみ

 予想外のことにルーナは硬直する。

 クマのぬいぐるみに対して「可愛い」という気持ちと、「ぬいぐるみが勝手に動いて喋っている」という恐怖がせめぎ合っていた。どちらかと言えば後者の気持ちの方が強く、言うなれば心霊現象に遭遇したような驚きと恐怖だ。

 ルーナは魔法が使えないし、村にも使える者はいなかった。

 魔法への知識や理解がそれなりにあれば、「あれは魔法で動いている」と想像がついただろう。しかし、これまでそんなものに遭遇してこなかったのでクマのぬいぐるみが動いて喋っているなんて心霊現象などと同等だった。

 身動きができないルーナを見て、クマのぬいぐるみは首を傾げる。


「あのう……昨日生贄でーすと言って、屋敷にいらっしゃった方ですよね……?」


 ルーナは咄嗟にこくこく頷いた。

 魔獣であるルディの方が世間的にはよほど恐ろしい存在だろうが、ルディにはそんなことを感じさせないくらいに明るく朗らかだった。ルディよりも今は目の前にいるクマのぬいぐるみの方が怖い。

 クマのぬいぐるみはそんなルーナの気持ちを察してか、扉の近くから動く様子はない。


「よかった。ワタクシはアインと言います。この屋敷の使い魔です。朝食と片づけを済まされたようですし、仕事をお願いしたいのですが……」

「ぁ、私はルーナです。っていうか、し、し、仕事……?」

「はい。他に何かやることがあればそちらを済ませてからでもいいですが」


 アインと名乗るクマのぬいぐるみはさも当然とばかりに言う。

 勝手に部屋を使って一晩眠った上に、厨房だって借りているのだ。ここで「嫌です」と言えるほどルーナの肝は太くない。タダで何かを使ったり借りるのはよくない。見合ったお返しをすべきである。


「し、ごと、というのは、一体どんな……?」

「大したことではありませんです。……詳細は移動しながら説明いたします」


 こちらへと。と、アインが扉を開け放ち、廊下に向かって手を向ける。

 何となく逆らえる雰囲気ではないし、アインが悪いものには見えない。ルーナは腹を括って、アインについていくことに決めた。

 早足にアインの元へ行くと、アインがルーナを見上げてから歩き出す。


「仕事というのは我々使い魔たちの修復や修理です」

「修復……? 修理……?」

「はい。アナタもこの屋敷の惨状は見ましたでしょう? 本来、屋敷に仕えている使い魔や自動人形ドールが掃除などを行い、常に綺麗な状態を維持するのですが……なにぶん二百年ほど放置されてまして……その間に、仲間たちは壊れて動かなくなってしまい、今ではワタクシともう一体の自動人形が稼働しているのみになりました」


 謎が少し解けた。

 一部の部屋が清掃されていたのも、厨房や井戸が使える状態だったのもアインともう一体の自動人形が清掃や手入れをし、管理をしていたからだろう。二体だけで屋敷全てを維持できないために限定的な管理をしていたのだ。

 トコトコと歩くアインの歩幅とルーナの歩幅は倍以上違うので、必然的にルーナの歩みはゆっくりになる。

 いつからかはわからないが、この大きな屋敷をたった二体で──。

 小さな背中が物悲し気に見えて、ぎゅっと胸が締め付けられた。

 アインを追いかけていくと地下に繋がる階段へと辿り着く。明かりはあるが薄暗く、少し怖い。


「この下です。足元にお気を付けください」

「……はい、ありがとうございます」

「つい半年前に、イェレミアスさまがお帰りになられた際に人間を入れるように進言したのですが……聞き入れてもらえませんでした。イェレミアスさまも調子を崩されているので無理も言えず……」

「い、いぇれみ、あす……?」


 聞き慣れない名前に首を傾げる。壁に手を添えて足元に注意しながら階段を下りて行った。

 アインは半分ほど下りたところで、不意にぴょんっと跳ねて階下まで一気に下りる。そして、ルーナを振り返った。


「イェレミアス・フォン・ブラッドヴァールさま。この屋敷の主です。

ジェットさまとルディさまは『レミ』などと気安く呼ばれているようですが、本来なら敬意を込めてお名前を正式に呼んだ上で『さま』をつけるべきなのです! 高貴なお方なのですから!」


 アインは小さな両手をぶんぶんと上下に振り、更に地団駄を踏んで悔し気に言う。「ぷんぷん!」と、怒りの音が聞こえてきそうだった。

 しかし、そうか。レミというのはあだ名に過ぎず、あの美しい吸血鬼の名前はイェレミアスと言うのか。ルーナは心の中で「イェレミアス」を何度も繰り返した。もし名前を呼ぶことがあれば、アインが言うように「イェレミアス様」と呼ばなければならない。

 とは言え高貴な身分のはずの吸血鬼がこの荒れた屋敷で暮らしているのは不可解である。ルーナにそれを聞く権利はなさそうだが。

 階段を下りてすぐ、木製の扉があった。

 アインはぴょんっと飛び跳ねてノブに両手をかけ、勢いをつけて扉を開ける。ルディと言い器用なものだ。

 ギィィと音を立てて開いた扉の奥には案外広いスペースが広がっていた。

 半地下の部屋ではあるものの、外に面した壁の半分は窓になっている。日当たりを意識しているのか、階段とは違い薄暗さは全くなかった。十分に日が差し込んでいる。

 作業台と思しきテーブル、椅子、クローゼット、棚などが配置されていた。

 そして、部屋のあちこちにアインと似たようなぬいぐるみが落ちて──いや、倒れている。まるで力尽きたかのように床に倒れこんでいた。

 ぬいぐるみだけではない。精巧に作られた人形、恐らく自動人形もいて、壁や椅子などを背に座り込んでいる。

 恐ろしさよりも悲しさが胸の内に広がる。この悲しさが何なのかわからない。

 アインの小さな背中を見つめた時以上に胸が締め付けられた。


「……ここに来れば、人間に直してもらえたのです。みんな、動かなくなる前にここに来ました。屋敷内で力尽きた者は、ワタクシかトレーズ……自動人形がここに運んできたのです」


 一人、また一人と倒れていく仲間たち。

 幼い頃の村を思い出した。流行り病でどんどん倒れていく村人、その中にいた両親。


「アインさん……」

「アインで結構ですよ。……昔は奉公でした。近隣の村から屋敷へ来て、数年住み込みで働いてもらい、本人には給金を、そして村に謝礼を渡すのです。それで上手くやれていたと思うのですが……二百年の間に、そんなやり方も忘れ去られてしまいました。ルーナさん、こちらへ」

「はい。ぁ、私のこともルーナで大丈夫です」


 アインに言われるがまま、閉じられたクローゼットの前に立つ。


「この中に道具箱と本があります。取り出してもらえますか? ……取っ手の下に鍵があるでしょう? それを外すと開きます」

「……あ、これですね」


 取っ手の下に小さなかんぬき錠がある。捻って動かすだけだ。

 かんぬき錠を外してから取っ手を手に取って引っ張る。軋んだりすることもなくあっさりと開き、中から不思議な空気が漏れだす。ルーナはよくわからないが、これが魔力と呼ばれるものだろうかと思うくらいには不思議な空気だった。


「そう、その箱と……隣に立てかけられている厚い本です。クローゼットの扉は鍵までちゃんとかけてくださいね。魔力が漏れちゃうので」


 やっぱりこれは魔力と呼ばれるものなのかと感心しつつ、指定された道具箱と本を取り出してからクローゼットの扉を元の通りに閉めた。

 アインが人が一人横になれそうなくらいに広い作業台に向かい、ルーナを振り返ると作業台の傍にある椅子の脚を叩く。それに従い、作業台の上に道具箱と本を置いてから、おずおずと椅子に腰かけた。

 アインは作業台の上に立ち、分厚い本を広げた。その本は使用感こそあれ、とても二百年放置されていたとは思えないほどに状態が良い。


「……き、綺麗ですね。この本」

「作った方が『この保護魔法は三百年くらい余裕!』と仰っていましたので……道具に対しては良いのですが、我々みたいに意思を持って動き回るものや、自然の影響を受ける屋敷に対しての保護魔法はなかなか難しいのですよね……」


 言いながら、アインは器用にページを捲る。

 とりあえず「余裕!」と言い放った相手はレミではないだろう。そんなことを言うタイプに見えなかったからだ。

 覗き込んでみるとぬいぐるみや自動人形などの絵とともに、説明が色々と書き込まれていた。どうやらアインの言っていた修理や修復のやり方らしい。

 適当なページを開いたアインは作業台の上にすくっと立ち上がり、室内をぐるっと見回した。目当てのものを見つけると作業台から降り、トコトコとそちらへ向かう。

 アインが近づいたのは黒いネコのぬいぐるみだった。そのぬいぐるみを作業台まで運びたいのだと気付き、慌てて立ち上がってアインとネコのぬいぐるみを一緒に抱きかかえる。


「わっ?!」

「私が運びます。これも仕事ですよね?」

「──はい、ありがとうございます」


 アインから驚きが伝わってくる。礼の言葉とともに目の位置についている黒いボタンが少しだけ光った。

 作業台の上にアインを下ろしてから、ネコのぬいぐるみをそっと横たえる。

 目の代わりであるボタンは取れかけ、しっぽも千切れそうになっている。耳もぼろぼろだし、あちこち穴が開き、中の綿が飛び出していた。


「まずは彼女を補修していただきたいので……道具箱を開けてください」

「は、はい……!」


 道具箱を作業台の上で開けてみる。

 中には針や糸、はさみなどの裁縫道具が入っていた。つまり、これでネコのぬいぐるみを直すということらしい。

 裁縫は祖母や村の人間に色々と押し付けられていたので問題なく出来る。


「使う糸や布、縫い方、目やしっぽのつけ方などが本に書かれています。多少間違えても大丈夫ですが、可能な限りこの本の通りにやってください。そうじゃないと動きが悪くなるので」

「は、はい……!」

「──彼女の場合はこの黒い糸と、こっちの細めの針で……目は割れてないのでこのボタンをこのままつけてもらって大丈夫です。まずは目から……」


 アインが本を見ながら教えてくれる。言われた通りの糸と針を用意し、針に糸を通した。

 ちゃんとやって直らなかったらどうしよう──。緊張してきてしまって、少しだけ手が震える。


「皆さん最初は緊張されるんですよね。でも大丈夫です。我々は人間がいないと動けないんですから、感謝こそすれ仕上がりに文句を言ったりしませんよ」


 作業台の上に座り込み、しみじみと言うアイン。ぬいぐるみだから表情なんてないのに笑っているように見えた。

 その様子はどこか懐かしそうだ。

 ルーナを通して、昔奉公に来ていた人間を思い出しているのかもしれない。

 緊張が完全に消えることはなかったが、それでも幾分か楽になった。ふー、と息を吐きだしてから、本を見ながら取れかけのボタンを目の位置に戻していく。

 丁寧に、本の通りに。

 かなり集中して作業を進めていき、お尻に空いていた穴を塞いだところで修復が完了する。針を作業台に置いてからネコのぬいぐるみを両手で持ち上げて、他に補修するところがないかどうか確認した。

 これで大丈夫だと思いながら作業台に置くと、アインがチェックするようにぬいぐるみをしげしげと眺める。

 すると、ぬいぐるみがぶるぶると震え出した。


「あ、よさそうですn」

「やったーーーーー!!! 直ったーーーーーー!!! お仕事してくるニャーーーー!!!!」


 アインが言い終わらぬうちにネコのぬいぐるみがぽーんとその場で飛び跳ね、恐るべきスピードで部屋を出て行ってしまった。びゅう、と風圧を感じるほどである。

 ぽかんと見送ると作業台の上でアインが去っていった彼女(?)に向かって手を伸ばした。


「あああ、お礼がまだ……!」


 そんな言葉に反応してか、遠くの方から「ありがとニャー!」と聞こえてきた。それを聞いたアインが「全くもう」と呟いたのが何だかおかしい。

 自分が修復したネコのぬいぐるみが再び動き出した。それがじわりと嬉しくて、頬が熱を持つ。

 アインがどこか気まずそうにルーナを見て、その場で頭を下げた。


「彼女に代わってお礼を言います。ありがとうございました」

「い、いえ、とんでもないです。……役に立てて良かったです」

「こんな感じの仕事です。大丈夫そうですか? とにかく今は数が欲しいので、直しやすい者たちを──」


「へえ? この屋敷、こんな仕組みだったのかよ。使い魔が全然いなくて変だと思ってたんだよな」


 背筋に氷水でも浴びせられたかのように、全身ぞわっと鳥肌が立つ。

 衝動的に立ち上がり、背後にいた人物と距離を取った。その勢いで椅子が音を立てて倒れてしまう。

 背後にいた人物は驚くでもなく、不機嫌になるわけでもなく、ただただ楽しそうにルーナを見つめていた。

 ──ジェット。本人曰く悪魔。

 底知れない笑みに鳥肌が止まらなかった。

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