57.修復の課題
夕食と勉強の時間が加わり、ルーナの日々は忙しくも賑やかになった。
レミに一度「本当に夕食だけでいいのでしょうか」と聞いたところ、「さほど活動しないのだから一食だけで問題ない」という答えをもらった。ルーナだったら活動の有無に関わらず、一日一食だけでは足りないので不思議である。人間と吸血鬼ではかなり構造が違うのだろう。見た目はほぼ同じなのに。
使い魔や自動人形の修復は大変であっても見合うだけのやりがいがあったし、夕食も食べてくれる相手が喜んでくれるのが嬉しい。勉強も知らないことを知っていく過程が楽しかった。
まさかこんな日々が待ち受けているとは思わなくて戸惑いが大きい。その分、嬉しい気持ちも大きかった。
この日々がずっと続けばいいのに。
という気持ちに蓋をし、あまり先のことは考えないようにする。
そのうち、いつここから出ていくのか、というのを考えなければいけないけれど。
「……修復できそうな使い魔も自動人形も、少なくなってきましたね」
「そうですねぇ。ルーナの作業が思いのほか速いので、もうほとんど動けるようになっていますよ。ミミなどはよく穴を空けてしまうので、今後は日常的な修復がメインになるかもですね」
あれから十日。
修復は順調に進んでいた。力尽きた使い魔や自動人形で溢れ返っていた工房もかなり広々使えるようになっている。工房に入りきらない者たちは別室にいるということだったが、彼らが運び込まれる頻度も減ってきた。
終わりが見えてきているのだ。
「使い魔の大きな穴や、顔が欠けた自動人形は……本当に私じゃ修復できないの? あ、ご、ごめんなさい」
「あはは。ワタクシに敬語なんていらないんですよ、本来は」
アインがおかしそうに笑う。最近、時折口調が崩れてしまう。慌てて敬語に直すことが増えた。
「使い魔の場合は追加で布が要るんですが、布がなくて……しかも魔力が編み込まれた特殊な布じゃないとだめで……難しいんですよね。自動人形は魔法を使うか、専門の方じゃないと無理です」
「そっか。できることが少なくなってきて、ちょっと寂しい……」
使い魔の修復は針と糸を使うものだけだ。針と糸は様々用意されているが、確かに布はない。
自動人形は部品がたくさんあるおかげで何とかなっている。しかし、体が壊れてしまっている者は交換だけではどうにもならないのだ。
一抹の寂しさを感じながら、目の前の作業台で横になっている自動人形を見つめる。
外していた腕を再度付け直したところで一息ついた。
自動人形の修復は重労働だったが大分慣れてきた。おかげで筋力もついてきたように思う。
「彼はこれで良さそうですね。交換のかなり手際が良くなってきたので、早く終わるようになりました。すごいことですよ」
「えへへ、ありがとう。……でも、目を覚ましませんね……?」
自動人形を覗き込んでみる。彼の顔は精巧な人形のままで、血が通うような感覚が見られない。普段は交換が完了すると人形のものだった顔がまるで人間のもののように温かみを取り戻していくというのに。
アインが首を傾げて、彼の体に触れる。
「ひょっとしたら意識が混濁しているのかも。……ちょっと呼び掛けてみましょう。トム―、交換は終わりましたよ~。トムー?」
そう言ってアインが彼の体をゆっさゆっさと揺らした。しかし反応がない。
「トムさん、起きてください。トレーズたちも待ってますよ」
ルーナも一緒になって彼に呼び掛けた。
ぴくりと指先が動く。そして、いつも見るように見る見るうちに人間のような質感を取り戻していき、ゆっくりと起き上がる。不手際があったのではと不安だったので、心底安堵した。
「やばかった。本当に意識がどっか言ってた。……ルーナ、直してくれてありがとな!」
「いえ、こちらこそお役に立てて良かったです。動かしづらいところとか、ないですか……?」
「多分大丈夫! 不具合あったらまた交換お願いするかも! じゃーな!」
そう言ってトムは作業台から降り、工房を出ていってしまった。
修復が完了した後、こうして使い魔なり自動人形なりと軽く会話をしている。ほんの僅かな時間であってもその時間が楽しかった。これまでなら見知らぬ誰かと会話をするなんてできなかったのに、今では違う。修復が終わって相手が喋れるようになった時にコミュニケーションが発生するのが嬉しい。
大抵の第一声が「ありがとう」なのだ。その一言を聞くために頑張っていると言っても過言ではない。
これまで周囲から蔑ろにされ、お礼の一言さえ聞くことがなかった生活に比べれば本当に天国である。
「ありがとう」というたった一言に救われているのだ。
さっきトムに言われた「ありがとな!」をルーナが噛み締めている横で、アインが腕組みのようなポーズをして考え込んでいる。
「アイン……?」
「そろそろ本格的に残りの使い魔や自動人形のことをどうにかしなければと考えているんですが……今屋敷にいる方々の人数などを考えると、今の数で十分すぎるほどだと言えます。奉公の少年少女もいませんし、屋敷の掃除や維持をするだけなら……。……ただ、さっきのトムみたいに長く眠りすぎて意識が戻らなかったらと思うと、ちょっと……」
そこまで言ったところで、アインが作業台の上にぺたんと腰を下ろす。ぬいぐるみゆえに表情は変わらないにしても、纏う雰囲気が声音から感情は十分に伝わってくる。
屋敷の維持、という視点だけで考えればルーナの手で修復が必要な使い魔や自動人形以外は不要なのだ。
だが、アインが思い悩む理由はそれだけではない。
「……優しいね」
「え?」
「だって、みんなのことをちゃんと修復してあげたいって思ってるんでしょう? ……すごく優しくて仲間思いなんだね。羨ましいな、アインに大切に想ってもらえるのが……」
そう言うとアインが顔を上げてルーナを見つめた。黒いボタンの目がキラリと光る。
しばらく見つめ合った後、アインが再度俯いてしまった。
「……あの。信じてもらえないかも知れませんが、ワタクシは使い魔や自動人形全体を統括する役目を与えられました。だから、これが役目から発生する責任感なのか、ワタクシ個人のものなのか……よくわかりません。責任感だとしたら寂しいと思いますし、ワタクシ個人のものだとしたらそれはそれで問題だと思います。与えられた命令を遂行できてないのですから」
言葉に詰まった。アインの悩みにルーナはうまく寄り添えないからだ。
「──なんて。こんなことをルーナに言っても困らせるだけですね。スミマセン、変なことを言ってしまって……ひとまず、トレーズに相談を、」
「アイン!」
早口になって誤魔化そうとするアインの両手をルーナは咄嗟に握った。
布でできた小さな手。乾いた感触が伝わってくるのみだ。
それでも、繋いだ部分から気持ちが通じていると──祈らずにはいられない。
「一緒に、イェレミアス様に聞いてみましょう! アインの今のご主人様はイェレミアス様だよね? アインの気持ちを伝えて、それで相談してみよう。きっと、イェレミアス様はアインの気持ちをわかってくれるし、その上で必要な判断をしてくれるはずだよ。それに、私も……ちゃんと皆さんを直したいので……」
そう言ってアインを真っ直ぐに見つめる。
レミがアインの意思を無碍にするとは思わない。問題を考慮した上で判断してくれるはずだ。
「……そう、ですね。……ルーナの言う通りです。これまでと違って、ワタクシだけで判断する必要はないんでした。イェレミアスさまという素晴らしい主がいるのですから、全てはイェレミアスさまのご意向次第です。体調も回復されてきていますし、……話くらいは聞いていただけますよね」
「きっと大丈夫だよ。……です」
「だから敬語はいいんですってば」
アインがくすくすと笑う。
本当に──アインは倒れていく仲間たちをどんな気持ちで眺めていたのだろうか。どうにもできないことを歯がゆく思いながら、最低限のことをしてこの屋敷の維持をしていたに違いない。そして、トレーズも。
レミが帰ってきてどれだけ嬉しかっただろうか。
アインの気持ちに寄り添い、大切にしたい。
そんなことを思いながら、アインを抱き上げてぎゅうっと抱きしめるのだった。




