42.恋バナ?①
「え、えっと、ごめんなさい。……ジェットはフリーデリーケ様のことが嫌い、なんですか?」
恐る恐る聞いてみた。ちなみにこういう時の謝罪は当然受け入れられる。
当然、ルーナはフリーデリーケのことなど知らない。レミの祖母という情報を得ても、全くイメージがつかない。
ジェットがルーナをちらりと見てからため息をついた。
「嫌いとまでは言わねぇけどさ……あんまり接触したくない相手だよ」
「そうなんですね……フリーデリーケ様は、今どちらにいらっしゃるんですか?」
「あー。……どこだっけ」
「ナイトハルトですよ。ほぼ夜の国だと聞いています」
「そうだったそうだった」
ナイトハルト。聞いたことがあるような気がするというレベルで、どこのどんな国なのかは全くわからない。聞いたところで自分が理解できる答えが返ってくるわけではない、というのを今更ながら実感した。
ジェットとアインが顔を見合わせて答え合わせをしたところで、ジェットの視線がルーナに向く。
「ここからかなり離れた国。一年中ほぼ夜で日が差さないんだ。夜の国とか吸血鬼の国とか言われてる。まぁ実際吸血鬼が治めてる国だしな。そのツテで身を寄せてんだよ。二百年経ったとは言え、まだブラッドヴァールを筋違いに恨んでる奴らもいるし」
「へえー……」
珍しくジェットが親切に教えてくれるが、次元が違いすぎて「へえ」以外の言葉が出てこない。
いまいちルーナの理解が追いついてないのはジェットにもわかっているらしく、軽く笑って額を人差し指で小突いてきた。
「今度レミに地理や歴史の本でも勧めてもらえよ」
遠回しに馬鹿にされた気がしてしまい、またムッとしてしまった。ジェットといるとどうしても感情を逆撫でされてしまう。村では怒りなんて感情は死んでしまったんじゃないかと思うくらいに、誰かに怒ったり苛立ったりすることはなかったのに。
この感情の揺れが普通なのかどうか、周囲に人間がいないので全くわからない。
ルーナが面白くない気持ちを抱えているのはジェットにはお見通しのようで、ただおかしそうに笑っていた。
「……もう。……じゃあ、ジェットはフリーデリーケ様に恋してるとかじゃ──」
今読んでいる本に恋愛要素が混ざってきており、本の影響でそんな発想になってしまった。主人公の少女がとある異性を特別視しており、それを第三者に「それって恋なんじゃないの?」と尋ねるシーンが浮かんだのだ。
しかし、口にしたのがまずかった。
ジェットが手を伸ばしてきたかと思いきや、その手でガッとルーナの頭を鷲掴みにしたのだ。以前のアインと似たような格好になってしまい、流石に怖くなった。体が硬直し、背中が冷える。
「やめろ、そういうこと考えるの。流石に気持ち悪い」
「ご、ごめんなさい……」
声が強張る。謝罪以外の言葉は許されてない雰囲気だった。
こういう時、村にいた時のことを思い出してしまう。ジェットはルーナの感情をかき回す反面、村でのことをどうしても思い出させるのだ。
「……ったく。戦争を終わらせたことは評価してるけど、フリーデリーケがレミを押し付けてきたんだからムカつく以外ねぇよ」
呆れたように言い、ジェットがぱっと手を離した。何もされなかったことにホッとする。
「イェレミアス様を、押し付けた……?」
「詳細は秘密」
「わ、かりました」
ジェットは言えないことや言いたくないことはほとんど「秘密」などと言ってそれ以上は話そうとしない。その物言いは実にあっさりしており、「じゃあしょうがないな」と簡単に諦めがついた。
上手く使えるかはさておき、言えないことは「秘密」と言い切ってしまっていいのかと学習した。
アインを腕の中で抱え直したところで、ジェットがゆっくりと歩きだす。慌ててそれを追いかけた。
「……ジェットはどうして今日ついてきてくれたんですか?」
「どういう意味?」
ジェットの斜め後ろを歩きながら聞いてみると、ジェットが肩越しにルーナを振り返る。ロングコートのポケットに手を入れて気怠そうに歩いているのを見ると一緒に外に出てきたのが不思議だった。
「ルディはお詫びって言ってたので……でも、ジェットにはそういう気はなさそうだし……」
「当たり。まぁ、ちょっと悪いことしたなとは思うけど、結局レミが助けたんだしいいじゃんって思ってる。あの時謝ったのはレミに言われたからだし」
ルーナは困った顔をして笑い、小さく頷いた。わかっていた、と伝えるつもりで。それを見たジェットが笑う。
「まぁ、どうしてついてきたかって言われても──」
「暇だったから?」
わざとらしく悩んで見せるジェットを見つめてから、その後に続くだろう言葉を口にしてみた。すると、ジェットは意表を突かれたと言わんばかりに目を見開き、ルーナをまじまじと見つめ返す。
どうやら当たっているようだ。
飄々として掴みどころのないジェットを少しだけ分かった気がして、気持ちがすく。
ジェットが不意に足を止めてポケットに入れていた手をこちらに伸ばしてきた。何をされるか想像がついたので、ルーナも足を止めてその手から逃れるべく一歩だけ後ろに下がる。彼の手は中途半端に止まったかと思えば、当の本人がにやりと笑った。
「甘い」
楽し気に言うと、くるりと振り返ってルーナが下がった分だけ距離を詰めてくる。驚いている間に、ピンっと額を人差し指で弾かれてしまった。
さして痛くはないが、面白くない気持ちにはなる。
デコピンを受けた部分を片手で押さえ、ジトーっとジェットを見つめた。
「ルーナ、最初と比べると明るくなったな」
「えっ?」
文句を言いたくて見つめていたのに、予想とは全く違う言葉を投げられて動揺する。額を押さえていた手を頬に持っていき、「そうかな?」と首を傾げる。
確かに村にいた時のような鬱々とした気分はほとんどない。
「そうですね。反射的に謝ることも少なくなりましたし、表情も明るくなって……ワタクシはホッとしていますよ」
「そ、そう、ですか……?」
「はい。笑うことも増えてきたので良いことだと思いますです。何より笑顔が可愛いですしね」
そんなことを言われたのは初めてでびっくりしてしまった。腕の中のアインを見下ろすと、アインは黒いボタンの目をルーナに向けている。目はボタンだから感情など見えないはずなのに、喜ばしく思っているのが伝わってきた。
気恥ずかしくなってしまい何と返したらいいか分からずにいると、ジェットの手が頭の上に乗っかった。髪が乱れない程度に優しく撫でられる。
「うん、可愛い」
ジェットの顔をまともに見れない。
頬が熱を持つのがわかって、無駄にドキドキしてしまう。憎まれ口しか叩かないジェットの口から出てくる誉め言葉は威力が違った。自分でもどうしてこんなに動揺するのかわからなくて更に混乱する。
さぁっと風が吹いていき、妙な沈黙が落ちる。
「……ジェットさま。ズルしてません?」
アインがジェットに視線を向けて、責めるように言う。一体何の話だろうか。
「ズルってなんだよ」
「ズルはズルです! 言わなくても伝わるはずですよね?! 困りますよ、そういうの!!」
「伝わってるけど、ズルしてるかどうかは秘密。てか、お前だってトレーズから聞いてるだろ?」
「聞いてるからこそ余計にモヤモヤするんですぅー!」
ばたばたとアインが腕の中で暴れる。ぬいぐるみなので何かダメージがあるわけではないが、落ちそうでちょっと慌てた。
ルーナは二人が何の話をしてるのかわからないし、二人もルーナに伝える気はなさそうだ。仲間外れにされているようでちょっとだけ寂しい気持ちにもなったが、以前のような深刻な言い合いでないことに安心した。
言い合いをしている間もジェットの手は頭に乗ったままだし、優しく撫でてくるので落ち着かない。
落ち着かないので手を離して欲しいと言おうかどうか悩んでいるうちに、ジェットがアインとの言い合いを放棄してルーナの顔を覗き込んできた。
「そういやルーナ、初恋いつ?」
「へっ?!」
金色の目がこちらを覗き込んでいる。弾かれたように一歩下がり、ようやくジェットの手から逃れることができた。
どうしてそんなことを──と思っていると、ジェットはルーナの反応が楽しいと言わんばかりに笑っていた。




