41.無自覚
(なになになになにーーーーー!?!)
ルディは森の中を走っていた。まるで風のように。
無我夢中で走っている理由は生まれて初めて感じた気持ちに驚いているからだ。
あまりの勢いと剣幕に周辺にいた動物たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていく。少し森がざわめいた。本来ならルディはこのあたりにはいないタイプの魔獣であるため、動物たちが警戒するのは当然である。反面、周辺を縄張りにしていた魔獣はルディに挑んでは返り討ちに遭っていた。
屋敷に来てからずっとオドオドしていて、自分に自信のなさそうだったルーナ。
最近になって多少元気になってきたので安心していた。なかなか肉がつかないのが不満だったが、それでも屋敷に来た時よりは少しずつふっくらしてきたので良しとしている。
元々生贄として育てられてきたわけではなく、ただただ村の人間たちが吸血鬼の脅威から逃れたいためだけに押し付けただけの役割だ。
ルディは「ふーん、かわいそ~」「最後くらい優しくしてあげよ~」くらいの感想しかなかった。
ジェットに指摘された「ルーナ自身を見てない」というのは確かだ。せいぜいが『生贄を押し付けられた可哀想な少女』くらいのもので、健康になってそれなりに肉付きがよくなったら食べるつもりなので別にルーナがどう言う人間であっても構わなかったのだ。どうせ短い付き合いになのだから。
だが、ルーナが笑顔で「ありがとう」と、ルディをまっすぐ見つめた瞬間。
心の中に何かがぶわーっと広がっていったのだ。
ルディにとってはどうでもよくて、どうせすぐ食べてしまう人間のはずだったルーナの顔がはっきりと見えた。
人間の美醜なんてよくわからなかったけど、可愛く見えた。彼女が見せた陽だまりのような笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
(ルーナが『女の子』っていうのを思い出したっていうか……なんか変な感じだった。なんだったんだろう?)
スピードを緩めて、足を止める。無我夢中で走ってきたのだが、随分と遠くにまで来てしまった。とはいえ、音と匂いである程度のことは把握できるので問題ない。
ジェットとアインが変な会話をしていたが無視をする。
──人間の姿のままで人間と仲良くしちゃ駄目よ。
母親の言葉だ。生贄をもらう時なんかは特に人間の姿になるなと口を酸っぱくして言われた。
上下関係をわからせるため、人間側が勘違いしないためなどと理由は色々と言われたものの、あまり覚えていない。
だが、自分が人間の姿になっていたからか、ルーナがやけに身近に感じたのは確かだ。
こういうことなのかな? と思いながら、森の中でひとり首を傾げるのだった。
◇ ◇ ◇
ルディが自分のことで悩んでいるとはつゆ知らず、ルーナはジェットとアインと一緒に川沿いをゆっくりと歩いていった。
川辺には珍しい草花が生えていて、それらを見ているだけで楽しい。
案外アインは物知りで「この花の名前は~」と教えてくれたり、「こっちの草は煎じると薬になります」「これは棘があるので注意です」などと教えてくれて、それも含めて楽しかった。
「アインって色々知ってるんですね」
「我々使い魔は奉公に来てくれた子どもたちの遊び相手になることも多かったので、その影響かと。ワタクシ自身に読書の習慣はありませんが、必要に応じて調べ物はしていたんです」
「そうなんですね。……昔は、やっぱり奉公に来てる子どもってどのくらいいたんですか?」
今の屋敷の状態からは当時がどんな風だったのか想像もつかない。腕の中にいるアインを見下ろして聞いてみると、ルーナを見上げて手を揺らした。
「子どもは大体ニ十人に満たないくらいの人数がいました。使い魔や自動人形が分で工房に来て修復を依頼するような形だったので、今とはかなり違いますよ。……ほら、このあいだミミがルーナを尋ねたでしょう? あんな感じです」
今でこそ使い魔と自動人形全員が動けず、工房の中で倒れている状態だ。聞けば、工房に入り切らない使い魔や自動人形がいるそうで別室に寝かされていると言っていた。夜のうちに少しずつ工房に運び込んでいるらしい。道理で数が減らないわけである。
しかし、全員が動き回っていて自主的に修復に来るのであればさほど数も作業も今ほど多くはないだろう。
「……そうすると、修復に対して子どもが少し多いような……?」
「ええ。どちらかと言うと学校の側面が強かったかも知れませんね。……後は、ルーナに言うと刺激が強いかも知れないので黙ってたんですが……血のためです」
「……血」
ぼんやりと呟く。屋敷が吸血鬼のものならば、血を捧げるために来ていたのも納得である。ある意味、ルディに捧げられていた生贄のようではないだろうか。彼のところと違って死ぬことはなく、数年屋敷に留まってまた村に戻れるというシステムのようだが。
「なんだよ。結局金で血を買ってたんじゃん」
後ろを歩いていたジェットが呆れ声を発する。アインが腕の中でもがいて抜け出したかと思えば、ルーナの肩に両手を置いて後ろにいるジェットの方を向いていた。
また以前のようにジェットの不興を買ってしまうんじゃないかとハラハラして。はしっとアインの胴体を掴んだ。
「それで! 双方納得の上だったんです! 体調を崩したり死んだりすることは一切なかったですし、村にもブラッドヴァール家にも利がありました!」
「だとしても、子どもの血ばっかり飲んでたんだろ?」
「それは好みの問題で……吸血鬼の皆様は大なり小なり同じことをされてますよ。ただ、勘違いしないでいただきたいのは、ブラッドヴァール家の皆様は決して人間に危害は加えません。不可抗力であっても、それを望みません」
アインが力説する。思わず足を止めて、アインを抱え直してジェットを振り返った。これ以上言い合いになるのは良くないと感じたからだ。
そのあたりで止めて欲しいとお願いしようとしたところで、ジェットがどこか遠い目をした。
「──知ってるよ。あいつらが人間を大事にしてるのは。
フリーデリーケが二百年前の戦争に終止符を打ったんだからな。止めてもブラッドヴァールには大した得はなかったくせに、これ以上は見過ごせないって言って、首謀者の悪魔二人をとっ捕まえて……あいつだけは敵に回したくねぇわ」
フリーデリーケ。以前にもその名前をトレーズが口にしていた。
今の会話から想像するに、どうやらブラッドヴァール家の吸血鬼らしい。レミが言っていた悪魔が絡んだ二百年前の戦争、それに終止符を打ったのがフリーデリーケ。
すごい吸血鬼なのでは? と、固まってしまった。アインは「分かれば良いんです」と言いたげにしている。
しかもさっきまでのジェットとは違い、茶化したり馬鹿にしたりという雰囲気は一切ない。純粋にフリーデリーケに畏敬の念を持っている気がする。
誰に対しても人を食ったような態度を取るジェット。そんな彼が特別視する存在。
思わずジェットをじっと見つめてしまった。
「? 何だよその顔」
「えっ、あ。いえ……なんでも──」
「何でもないって感じじゃねぇけど?」
そうだ。ジェットは隠そうとすると不機嫌になるのだった。
腕の中のアインを抱き締め、ジェットの視線から逃れるようにあっちこっちに視線を揺らした。
「……ジェットにとって、フリーデリーケ様? って、特別な存在なんだなぁって……思──」
言って良いのだろうかと思いながら口にしたところで、何故か最後まで言い終わらぬうちにジェットが右手で顔を押さえて横を向いていた。珍しくどんよりと暗いオーラを背負っていたので少し焦った。
「ジ、ジェット……?」
「マジかよ、今のそう受け取る? 俺はあいつに対してムカつきっぱなしなんだけど? くっそ、思い出したらまたイライラしていた……」
ぶつぶつと独り言を言うジェットを目の当たりにし、アインと顔を見合わせてしまった。アインを見下ろしたまま小声で質問をしてみることにした。
「あの、アイン?」
「ハイ?」
「フリーデリーケ様って……?」
「ああ、イェレミアスさまのお祖母さまですよ」
「イェレミアス様のお祖母様?!」
驚いてアインの発した言葉をそのまま繰り返していた。
そう言えばレミも「お祖母様」という単語を口にしていた気がする。宝物庫の換金の話の時だ。つまりあの屋敷は元々二百年前の戦争に終止符を打ったという吸血鬼の持ち物だったのだ。
ただの『吸血鬼のお屋敷』から『すごい吸血鬼のお屋敷』へとレベルアップする。
レミの祖母を特別視するジェット。しかし本人は「ムカつく」と言っている。
年齢や関係性、人間であるルーナの想像を遥かに越えてしまい、フリーズしてしまった。




