40.何かに落ちる瞬間
一緒、なんて言葉を向けられたのは久々である。その言葉自体もルーナの心をじんわりと暖かくした。
ルディがにこにこ笑ってルーナを見つめている。まともに見つめ返せず、心をいくらか落ち着けてからそーっと上目遣いに見上げてみると、ルディが「ん?」と首を傾げる。
一緒で嬉しいと言う気持ちが無邪気に伝わってきたので戸惑った。ポジティブな感情を受けることに慣れておらず、ひどくむず痒い。
「ルーナに合わせて色々するのって面倒だけど、楽しいこともあるね」
悪意のないセリフだった。
思わず目を丸くして顔を上げてしまう。にこにこと笑うルディを見たらむず痒い気持ちと朝の悩みが何故か吹っ飛ぶ。そして、ぷっと笑いが溢れた。
「えっ!? なんで笑うの?! 変なこと言った?!」
「ち、ちが、ちがう、んです……! ルディはすごく正直で、安心したんです」
「えー? なにそれ」
ルディが「わけがわからない」と言いたげに眉を寄せていた。それを見たら一層笑ってしまった。
「どうしてルディは自分に優しくしてくれるんだろう?」と疑問に思っていたのが馬鹿馬鹿しくなるくらいに正直なセリフだった。ルディは思ったことが全部口に出てしまう質なのだ。そういう性格だと薄々は感じていたが、今のではっきりわかった。
でなければ、本人を目の前に「面倒」などと言わないだろう。それを告げることを悪いことだとも思ってない。
逆に「面倒」だとはっきり言ってくれて気が楽になった。
面倒な部分に付き合いつつも、何かしらルディにとって「楽しいこと」があるからルーナに付き合っているのだ。
それがわかっただけでも良かった。完全に善意の方がどれだけ恐ろしかったか知れない。
「一緒だね」と言われた嬉しさとともに、心が軽くなる。
今度はルディを真っ直ぐに見つめることができた。
「ルディのそういうところに、私はすごく救われていると思います。……本当に、ありがとう。ルディ」
自然と笑みが浮かんだ。
どうせ自分とは全く違う存在なのだから考えてもしょうがない。そう思ったらルディの言葉を真っ直ぐに信じられるような気がしたのだ。少なくとも、今はそれで十分だった。
そして、ルーナは今自分が浮かべている笑みが明るく優しいものであるという自覚がない。
屋敷に来てから──いや、両親が亡くなってから、初めて浮かべた明るく晴れやかな笑みだった。
それを目の当たりにしたルディが目を丸くする。
同時に吸い寄せられたようにルーナの顔を見つめ、口をぽかんと開けていた。
「……ぇ。……あ、う、うん。そう、なんだ」
「はいっ!」
これまでよりもずっと元気に返事をするルーナ。逆にルディの方は何故か歯切れが悪くなっている。
「よ、よかった~。ルーナにそう言ってもらえて嬉しい……あ。手、繋ぎっぱなしだったね。ごめんね」
取り繕うように言うルディ。早口に言って、繋いでいた手をそっと離してしまう。さっきは離したくなさそうだったのに。
やがて、ルディが何かに耐えきれなくなったらしく、ふいっと顔を背けてしまった。
二人のやり取りを黙って観察していたジェットの表情に驚きが色濃く現れ、ルディのことを信じられないものを見るような目で見つめる。アインも二人の様子に見入っていた。
「私こそごめんなさい。ここまで手を繋いでいてくれてありがとうございます。お陰で転んだりせずにすみました」
お礼を言いつつ、ようやく手が離れてホッとする。ひょっとしたらずっと手を繋ぎっぱなしになるかと思ったからだ。
けれど、ルディの様子がどこかおかしい。じいっと見つめるが、ルディはルーナを見ようとしなかった。
「う、ううん。別にこれくらい、ぜんぜん……あ、あーっと。ルーナ、僕ちょっと日課の見回りに行ってくるね?」
「え。行っちゃう、んですか?」
「すぐ戻るよ~。近くに魔物とか野生の獣がいないか見てくるだけだから、ジェットとアインと一緒に遊んでて!」
そう言うとルディは何故かそそくさと離れていく。
不思議に思って首を傾げてしまうが、普段だったらルディはとっくに山に遊びに行っている時間だ。今日はルーナに付き合ってくれたものの、毎日のことなのでサボれないのだろうと納得しておく。
「わかりました。気をつけて下さい」
「あはは、大丈夫~! じゃあ、また後でね!」
ルディはそう言うと一瞬で魔獣の姿に戻り、走り去ってしまった。
それを見送ったところで残念な気持ちになる。折角純粋にルディと一緒にいることを楽しめそうだったのにと思ったからだ。けれど、ルディの日課を邪魔しようとは思えない。
小さくため息をついて振り返ると、ジェットとアインが何やらこそこそと話していた。
「おい、アイン……見た?」
「いやいや、ワタクシは何も見ておりませんです。なんにも!」
「その反応は見てたし気付いたんだろ? ちょっと予定と違うんだけどこれはこれで結果オーライ?」
「知りませんよぉ、そんなの! ワタクシはコメントする立場にございませんので!」
「あいつあんな感じになるんだーって思わねぇ?」
「何も聞かないで下さい!」
何の話をしているのか、ルーナにはさっぱりわからない。ジェットとアインを交互に見つめてから首を傾げる。
「……あ、あの。何の話、ですか?」
ルーナが控えめに話しかけると、二人ともはっとしてルーナを見た。
「別に」
「なんでもないです、ハイ」
何でもないという感じではないのだが、ジェットの様子からして教えてはくれなさそうだ。釈然としない気持ちでいると、ジェットが近付いてきてルーナの頭をぽんぽん撫でた。
何だかジェットがルーナの頭を触るのが癖になっているような気がする。
「ルディはそのへんぐるっと回ってくるだけだからすぐ戻るって。……ルディが気付いて手ぇ離してくれてよかったじゃん」
ジェットの言うことは最もである。
元々離して欲しいと思っていたので良かった。だが、不意に色々気になってさっきまでルディと繋いでいた手を持ち上げて、手のひらをまじまじと見つめる。
「? 手がどうかしたのかよ」
「……手汗に気付いたのかな、って……ほら、ルディの手って肉球があるし……しっとりしてたら気持ちが悪かったかも、って……誰かと手を繋ぐなんて久々すぎて緊張してましたし……だとしたら、言い出せなかったのが申し訳なくて……」
今もちょっと手がしっとりしているのだ。手汗のことを先に言えばよかったと軽く後悔する。
ルーナの言葉を聞いたジェットが手を止め、不意に「ぶっ!」と吹き出した。突然吹き出すジェットに驚いて、彼の顔を凝視する。
「な、なんで笑う、んですか……?!」
「……い、いや、的外れなこと気にしてんなぁって思って……まぁそんなもんだろうけど……」
ジェットはルーナの頭の上に手を置いたまま、横を向いて笑いを噛み殺している。笑っているせいで頭の上に置いてある手が震え、その震えがルーナに伝わってきた。彼はルーナの頭を丁度いい置き場所程度にしか思ってないのではないかと思ったら、またムッとしてしまった。
ルディは正直で素直である。
ジェットもある意味正直だとは思うが──たまに悪意が見え隠れするし、わざと分かりづらいことを言ったり煙に巻こうとしているのが伝わってくる。
二人を一緒にすることは到底できなかった。
さっきはルディの正直な部分に触れていい気分だったのにジェットのせいで台無しだ。口を尖らせてしまう。
「ジェット」
「あ?」
「手を、どけて下さいっ」
「お。珍しく怒るじゃん。なんだよ、怒るなって」
ジェットは軽く言い、ルーナの頭をぽんぽんと叩いた。わざと怒らせようとしているんじゃないかと思う手付きだ。手は退けてくれたがいまいちすっきりしない。
むっとしたり、怒ったり──ジェットといるとそういう感情ばかり刺激される。
自分が自分じゃないみたいだと思いながら、ふいっと顔を背けた。足元を見るとアインがルーナを見上げている。
「ルーナ、この辺には花が色々咲いてそうです。良かったらワタクシと一緒に散策して、花を探してみましょう」
「わぁ、楽しそう。アイン、よろしくお願いします!」
「俺は後ろからついてくから。川に落ちないようにしろよ」
アインを抱き上げてジェットを振り返る。楽しそうに笑っているジェットを見ると、どうしてだか対抗心のようなものが生まれた。




