39.初めて
「ね、綺麗でしょ~。魚もいるよ」
こっちこっちとルディが手を引く。引っ張られるままに歩き、川辺に近づいた。
透き通った水の中に魚が泳いでいるのが見える。
「わぁ、本当。結構たくさんいますね」
「いつもこの川で魚を獲ってるんだ。今日は小さいのしかいないな~」
川を覗き込むと小さな魚が群れをなしている。ルディが普段獲ってきてくれるようなサイズの魚はいなかった。
腕の中にいるアインが「下ろして下さい」と言うので足元にそっと下ろす。アインはとことこと歩いてルーナたちと一緒になって川を覗き込んだ。
アインの上からジェットが覗き込み、何を思ったのかルディをジト目で見た。
「……ルディが食い尽くしたとかじゃねぇの?」
「僕そこまで食い意地はってないし、取り過ぎたら下流で魚獲ってる人間が困るのはわかってるから僕とルーナの分でせいぜい一日三、四匹くらいしか獲ってないよ、毎日じゃないし。あとは兎とか鳥とか果物。僕にしてはけっこー我慢してる方~」
ルディが口を尖らせてジェットを睨みつける。
獣の姿でいても人間の姿でいても、ルディの持つ雰囲気は変わらない。だからこそ朝とのギャップには戸惑ったが今隣にいるのは間違いなくルディだった。人間の姿に慣れないという点はあるが。
オレンジみの強い赤褐色の髪の毛も、綺麗なグリーンの瞳も、ルディのものだ。
横にいるルディをまじまじと見つめてしまう。
「? どうかした?」
「ルディはルディだなぁって思ってました……」
「え。なにそれ」
「……人間の姿なのでなかなか慣れないんですけど、喋ってるのを見ると安心するというか……」
そう言うとルディが不思議そうに首を傾げてから、ルーナと繋いでない方の手で自分の髪の毛を軽くつまむ。
「僕も人間の姿ってあんまりやんないから慣れないんだよね~。でもさ、たまには感覚を慣らすためにもなっておいた方がいいって言われるんだ、レミに。だから、これもその一環。ルーナにもこの姿に慣れてもらった方が良いしね」
「イェレミアス様に……」
レミはそんなことまで言うのか。と、感心する。
ジェットとルディがレミを気にかけるように、レミも二人のことを気にかけているのは伝わってくる。兄弟のようだと感じたが、その感じ方は案外間違ってないように思う。
「……イェレミアス」
「サマ……」
「「プッ!!!!」」
ジェットとルディがレミの名前を呟いたかと思えば、同時に吹き出していた。
驚いて二人を見ると肩を揺らして笑っている。ルディの手が震えているのが繋いだところから伝わってきた。
「もー! また! ジェットさま、ルディさま! どーしてそうやって笑うんですか!!」
アインが足元で喚き出した。腕をぶんぶんと振っているが、可愛いだけである。
「未だにあいつが様付けされてんの慣れねぇんだよな……っくく、」
「ぷぷぷ。何回か夜会についてったことあるけど、あの時と同じおかしさがあるよ~。余所行きの顔してるレミ見てると笑っちゃう」
ルーナにはさっぱりわからないが、二人にとっては面白いことであるらしい。とは言え、ルーナにとっては様付けをする相手なので二人が何度笑おうとも様付けを辞めるつもりはなかった。
「はー、おっかしー。ルーナ、川に入ってみる? それとももうちょっと歩く?」
笑いが収まったらしいルディが楽しそうに手を揺らす。
そう言えばずっと手を繋いだままだ。両親以外と手を繋いだことなんかなかったので、急に恥ずかしくなってきた。ルディと手とを見比べる。
手を離して欲しいとは言いづらく、かと言ってこのままでいるのも落ち着かない。
「どうかした~?」
「そろそろお前と手ぇ離したいってさ」
ルーナの背後にジェットがピタリとつき、ルディと繋いでいる方の手を持ち上げた。ルディの手は当たり前のように温かく、生き物の一部であることが伝わってくる。
しかし、ジェットの手は違った。
ジェットの手には温度がないのだ。温かくもなければ冷たくもない。ただ触れられている感覚があるだけ。触れられるたびに自分とは違う存在なのだと思い出す。
レミは魔獣と悪魔の常識は人間とは違うと言っていた。けれど、魔獣は生き物だ。食べ物を必要とし、毎晩眠る。
じゃあ、悪魔とは一体何なのか。
そんな疑問が湧くが今は考えないようにしようと首を振った。
ルーナの首振りは奇しくもジェットの言葉を否定する結果になったようで、横ではルディが得意げな顔をしている。
「ルーナはそんなこと思ってないってさ~」
「……何だよ、俺よりルディがいいって?」
「昔さー、嫉妬はみっともないって言ってなかった? あれ? ダサいだっけ?」
「余計なことばっかり覚えてるな、お前……」
ジェットが手を離してつまらなさそうに言う。後ろにいるジェットがどんな顔をしているかわからないが、ジェットの手が離れたことで少しだけ安堵した。
しかし、安堵したのも束の間。
ぐいっとルディに手を引っ張られ、むぎゅっと体が密着した。
「ねー、ルーナ。レミよりもジェットよりも僕がいいでしょ~? ご飯あげるし、一緒に寝てあげてるし?」
「感謝はしてます、よ?」
「えー? 僕が一番だよね?」
ルディに顔を覗き込まれ、言葉に詰まってしまった。
誰が一番だとかなんて、全く考えたことがないからだ。ちらりとジェットを見ると呆れた顔をしているし、足元を見ればアインが「イェレミアスさまが一番に決まっています!」と言わんばかりこちらを見上げている。
ひたすら困っていると、ジェットがルディの頭をノックでもするかのようにコンコンと叩いた。
「やめろ。困ってるだろ」
「え~? 『そうだよ、一番だよ♡』って軽く言っちゃえばいいのに。別にジェットだって気にしないでしょ」
「そういう器用なことができる人間なら生贄になんかされてねーんだよ」
遠回しに不器用だと言われている上にジェットの言葉はいちいち的を射ているので反論ができない。
ルディは「それもそうか」と言わんばかりの顔をしてルーナから少しだけ離れた。しかし、手は離してくれない。
さっきから手を意識しているせいで手汗がすごいことになっている気がした。ルディを見ても「なぁに?」と首を傾げるだけでルーナの意図は伝わらない。
これは勇気を出して言わないと思い、小さく深呼吸をした。
「……ルディ」
「うん?」
「あの……、て、手を……」
「手? ああ、繋いでるとルーナがどっか行っちゃわないし、すぐ近くにいるのがわかるから安心する~。これでレミに文句言われない! 外に出る時はずっと手を繋いでようね、ルーナ」
そう言ってルディは楽しそうに言って手をぶんぶん揺らす。
ルーナの意図がこれっぽっちも伝わっておらず、しかも手を繋ぐ行為自体をルディは嫌がってない。むしろ楽しそうなので離して欲しいとは言いづらくなってしまった。
二人の対比を見たジェットがおかしそうに笑っている。
ルディがルーナを見つめて目を細め、ぎゅっと手に力を込めた。
「僕ね~、こうやって誰かと手を繋いで歩くのって初めてなんだ~。なんか楽しいね。一緒にお出かけしてるって感じがする。まぁ魔獣は誰かと手を繋ぐことなんかないから当たり前と言えば当たり前だけどね」
その言葉に目を丸くしてしまう。
初めてと言われて驚くものの、確かに魔獣の姿だ繋ぎたくとも繋げない。人間になれるとは言え、魔獣とはそういうものなのだろうか。
機嫌良さそうなルディを見つめ返す。気がつくと口を開いていた。
「わ、たしも両親以外では、初めて、です……」
「そーなんだ? じゃあ、一緒だね。僕たち」
つい口をついて出た言葉。嬉しそうに笑うルディ。
その笑顔が眩しくて、それでいて気恥ずかしくて──思わず俯いてしまった。




