38.散歩③
屋敷は山々の間に建っており、周囲は森になっている。
少なくとも二百年以上前からあるので外から見た石壁は苔や蔦が生え、雨風によって薄汚れている。ここに来た時もおどろおどろしい雰囲気に驚いたものだ。今となっては屋敷を守る強固な壁にしか見えないけれど。
ルディが進む道は獣道である。
ただ、不思議と道幅は余裕があり、人間が定期的に分け入ってできた道のようだった。
「……ルディ、これお前が作った道だろ」
「え? うん。僕の散歩コースだよ。半年通ってたらすっかり道になっちゃった」
ジェットが周囲を見ながら言えば、ルディがけろっとした口調で答える。
そうなのかと思いながら周囲を見てみる。何かが何度も通ったように地面が固くなっていて歩き辛さはなく、しかも道幅はルディと手を繋いで少し後ろを歩くような格好になっても問題なかった。たまに日の当たる場所にある低木の葉っぱが腕に当たる程度だ。
ジェットは二人の後ろを歩いている。たまにルーナのポニーテールを触るのが気になり、ちょこちょこジェットを振り返る。ジェットはただ笑うだけだった。
「最初の頃、いつもの姿で歩いてたらなーんか舐められてね~……ムカついたから大きくなって散歩してたんだ。たまに喧嘩売ってくるヤツもいたから結構喧嘩してたよ~。まぁ僕の全勝だけどね!」
「……ルディ、すごい。……とっても強いんですね」
「ルディさまのおかげで屋敷に獣や魔獣などが近づかなくなったのでとても感謝しておりますよ」
「ふふーん! もっと褒めてくれていいんだよ~!」
「格下しかいねぇんだから全勝で当然だろ。負けたら恥」
ルディの話にルーナとアインが褒めたり感謝するのを聞き、ジェットがぼそっと呆れ声を発する。当然気分よくしていたルディがむっとしてジェットを振り返った。
「ジェットってほんっと余計なこと言うよね。こっちはいい気分なのにさ~」
「お前を調子に乗らせると面倒なんだよ」
「まーたそうやって面倒って言う~」
ルディはルディでジェットの言い分に呆れている。
それを聞いていると、本当にこういうやり取りは二人の間ではなんてことない日常なんだなと感じた。
「ルーナ、見てみて。ほら、赤い葉っぱ。綺麗だね~」
ジェットとの会話に飽きたようにルディが言い、頭上を指さす。足を止めて見上げた先には赤く染まった葉がゆらゆらと揺れていた。日に煌めいていて綺麗だ。
「……綺麗」
「あっちは黄色、こっちはオレンジ。カラフルで綺麗だよね~」
思わずぼんやり見上げてしまった。
そういえば、村にいる間はこんな風に季節の移り変わりを気にしたことなんてなかった。
森の中の空気が澄んでいていっぱいに吸い込みたくなるのも、木漏れ日を追いかけて歩きたくなるのも、久々の気持ちだった。いや、ひょっとしたら初めて感じているかもしれない。
ぼけーっと風や日の光と遊ぶように揺れる赤や黄色の葉っぱを見つめてしまった。
「ルーナ、どうかした?」
ルディが不思議そうに首を傾げ、繋いだ手を揺らす。はっと我に返ってルディを見つめ返した。
「赤や黄色の葉が綺麗で……森の中の空気も美味しくて……なんか、そういうのをずっと忘れてたな、って思い出したんです。──ルディ、誘ってくれてありがとう。今、すごく感動してます」
素直にそう告げるとルディが目を丸くしていた。人間の姿をしているルディには相変わらず慣れないけれど、普段と変わらない声や屈託のない表情から自分の知っているルディなのだと安心できる。
ルディが繋いだ手を持ち上げた。少しだけ力を込められたのでドキッとする。
「朝のことのお詫びになってる?」
「はい、もう十分すぎるくらい……」
「良かった~。……そう言えば、ルーナってたまに敬語が崩れるよね。僕、敬語とか苦手だし、その方が安心するな~」
「うっ?! そ、それはクセというか……」
「あはは、別に直せって言ってるんじゃないよ。ちょこちょこ素が見えて可愛いなってだけ。もちろん、そのうち敬語を使わないでくれるようになると嬉しいけどね」
敬語は両親が亡くなってからの癖だ。祖父母に「敬意が足らない」と言われて、日常的に敬語を使うようになった。祖父母だけでなく、村人全員にそうしていた。小さな子供にも敬語を使うのでルーナの存在が軽んじられるのもある意味当然と言えた。
そして、それはそれとして、ルディの発した「可愛い」に過剰反応する自分がいる。
深い意味はない、ただ人間が犬猫に気軽に言うようなもの──。わかっていても、これまでそういった言葉を向けられて来なかったルーナにとっては嬉しい言葉に間違いない。
ルディと見つめ合う形になっていると、不意にジェットの手が頭の上に乗った。
「当たり前の光景に感動してばっかだな、お前」
「ルーナは純粋なのです。綺麗なもの、素晴らしいものに感動する心を持っているのですよ」
「お前の意見は求めてねー……」
背後を振り返るルーナの代わりにアインがどこか得意げにしていた。
ジェットは恐らくルーナの言葉を求めていただろうに、予想外の返答を食らってがっくりと肩を落とす。それを見たルディがいい気味だと言いたげに笑っていた。
純粋──。
吸血鬼を騙そうと画策している人間は、果たして純粋なのだろうか?
言えない。
絶対に言えることではない。
レミの、いや、彼らの役に立ちたいという気持ちは本物である。しかし、同時に騙したいという気持ちがあるのも本物だった。
ルーナは当初の目的に対する覚悟がブレているのを自覚している。レミが血を必要としていないと言った時はホッとしてしまったし、そのまま誰にも本心を気付かれないままでいることにもホッとしている。
どうせならこのまま期限を迎えて欲しいと願いつつ、本来の目的を頭の隅に追いやるのだった。
「……ジェット」
「うん?」
「私、これまで周りを気にする余裕がなかったんです。今、ようやくこうして自分の意志で立ち止まって周りを見て……季節の移ろいに気付けることが嬉しいんです。……あの、屋根からの光景、本当に綺麗でした……」
そう言うとジェットがどこか困ったような顔をする。感謝されてもな、という声が聞こえてきそうだ。
だが、紅葉に感動しているのも、屋根からの光景が綺麗だったのも真実だ。その感謝は忘れないうちに、そして伝えられるうちに伝えておきたい。
ルディが繋いだ手をぶんぶん揺らす。
「じゃあ、色んなところを見たいよね。もっと感動できるかも知れないし?」
「はい。……そうかもしれません。村からほとんど出たことがないので」
「手始めにこの先にある小川だよ~。人間が全然近付かないから水はすごーく綺麗だし、今は葉が色付いてて綺麗だし、周りに咲いてる花も綺麗だから」
「楽しみです!」
そう言って、ルーナは自分からルディの手を揺らした。お互いに「えへへ」と笑い合う。
自然と二人で歩き出していた。
既に森の中を歩いているだけで感動しているのに、更に感動できるかもしれない。そのことにワクワクしながらルディに引っ張られるままに歩いた。
ジェットは何も言わずについてくるし、腕の中のアインもルーナに釣られたのか楽しそうにしている。
昔、両親と行ったピクニックみたいだなぁと口元を緩ませたところで、レミがいないことに一抹の寂しさを覚えた。
「ルーナ、こっちこっち~」
「わっ!」
屋敷から三十分ほど歩いただろうか。ルディが急かすようにぐいっと手を引き、ちょっと小走りになる。
転ばないようにルディの後を追いかけた。
木々が少なくなり、視界がぱっと開ける。
川のせせらぎが聞こえ、目の前には小川があった。
淡く緑と青を混ぜ込んだ透明度の高い水のおかげで水底がよく見える。周囲を彩る木々の葉は赤に黄色、オレンジがあり、それらが水面にも揺らめいていた。そして川の周りに咲く花々がまたカラフルである。
ルーナは目を見開き、ただただその光景に圧倒されてしまう。
「……綺麗」
ジェットの言い放った「感動してばっかだな、お前」という言葉が木霊する。
しかし、心の中で「この光景に感動するなって言うのは無理だよ」と呟くのだった。




