35.采配②
ルディはいつものような魔獣の姿で、サイズもルーナの腰あたりまでの大きさに戻っていた。
ジェットの姿は当然ながら変わらない。
日の差し込まない薄暗い部屋。
怪しげな雰囲気があるものの、レミがベッドからゆっくりと立ち上がったところでルーナが勝手に感じていた『怪しい雰囲気』が『神秘的な雰囲気』に変わるから不思議だ。
レミが腕組みをして、ジェットとルディの二人を値踏みするようにじいっと見つめた。
「……ルーナに言うことがあるだろう」
ジェットもルディも黙り込んだ。
言うこととやらの察しがつくが、ひたすらに居心地が悪い。別にわざわざ言ってもらわなくてもいいと思っているからだ。
「えらっそうに……」
ルディが不機嫌そうに言い、ぷいっと顔を背けてしまった。
「ルディ、お前が最初に面倒を見ると言ったんだぞ」
「は、はああああ?! なにそれなにそれ!! 面倒見るなんて──」
「あの時の言葉はそういう意味じゃないのか。死ぬまで面倒を見るんだろう? お前が言いだしたんだから、最後まで責任を持て」
ルディは口をあんぐり開けてレミを見つめている。
ルーナには『あの時の言葉』が何なのかわからない。知らないところで何かやり取りがあったらしいが、話を聞いている限り、どうにもレミがルディの言ったことを曲解しているようで、ルディはそれに驚いているようだった。
とは言え、どちらにしてもルーナに口を挟める問題ではない。大人しくしているしかなかった。
そして、レミの視線がジェットに向けられる。ジェットは居心地悪そうな顔をしていた。
「ジェットも中途半端に手を出すな」
「いや、中途半端ってさー……」
「構うならルールを作って構え」
「……おっ前なぁ……!」
(……なんか、私ってルディが拾ってきた犬か猫みたい……?)
三人のやり取りを聞いていてそんな感想を抱いた。
ルディが「絶対世話するから~!」と拾ってきて、渋々それを承知したレミ。気まぐれにルーナを構うジェット。
まるで三人兄弟みたいだった。レミが長男、ジェットが次男、ルディが三男。そんな関係性が頭の中に浮かび、それがやけにしっくりきた。ここで重要なのはそこにルーナの意思は介在しておらず、何も知らない犬のように「一緒にいられて嬉しい!」とただ尻尾を振っているだけの状態──今のポジションだ。
人間以外の種族のことを全く知らないのだが、魔物たちにしてみれば人間が犬猫を拾うようなものなのかもしれない。
レミがちらりとルーナを見る。その視線はどこか心配そうだったが、何故心配するのかがわからなかったのでヘラっと笑って首を傾げておいた。レミはルーナを見てため息を吐く。
レミはジェットに視線を戻し、何か訴えるようにじいっと見つめた。
やがて、根負けしたジェットが後ろ頭をガシガシと掻く。
「チッ。わかったよ、わかりました。……ルーナ、悪かったって」
決して心のこもった謝罪ではなかったし、そもそも謝罪と呼べるかも怪しかった。レミに言われたから口先だけで謝ったに過ぎない。それくらいはルーナにも分かった。
ジェットが鬱陶しそうにルーナを見る。
「……これでいいんだろ、もう二度と屋根の上には連れて行かねぇから安心して」
「えっ」
不貞腐れたセリフ思わず反応してしまった。
ジェットならずレミとルディの視線がルーナに向けられる。口を挟まないつもりだったのに三人分の視線が突き刺さってしまった。口を押さえて小さくなるしかない。
「なんだよ、その『えっ』て」
「ぁ、……えぇと、」
「はっきり言え」
言わないとまたジェットが不機嫌になってしまうと思いながら、口の前から手を下ろす。胸の前で手を動かしながら口を開いた。
「屋根の上からの景色が……すごく、綺麗だったので……もう見れないのかーって……」
全部がどうでも良くなるくらいに綺麗な景色だった。
確かに怖い思いをしたが、それとジェットに連れて行ってもらって見た屋根の上からの景色が素晴らしかったこととはまた別なのだ。
あの光景を二度と見られないのは残念である。ルーナだけでは屋根に上がれないのだから。
レミが緩く首を振って目を細めた。視線が合うのが気まずくて俯いてしまう。
「……死にかけたのに呑気だな、ルーナ」
「の、呑気と言うか……本当に、全部忘れるくらいに綺麗だったんです。最期にいいもの見れたなぁって思ってました……」
そう言うと今度は三人が顔を見合わせた。レミとジェットはほぼ同時に深いため息をつき、ルディが困った顔をして頭を揺らしてからゆっくりとルーナに近付いてくる。
ルーナの足元まで来ると、こちらを見上げてきた。
「ルーナ、ごめんね」
「え」
「怖い思いさせたね。……ジェットのせいだけど」
「元はと言えばお前のせいだよバカ」
ルディの一言に間髪入れずにツッコミを入れるジェット。ルディはそれを無視した。
ノリとしては屋根の上のやり取りとそう変わらない。けれど、雰囲気が違う。屋根の上でのやり取りは空気がヒリついていたし、ルーナの存在は完全に無視されていた。
ルーナはその場にしゃがみこみ、ルディの顔を正面から見つめる。
「……私も、変なことを言ってしまってごめんなさい。戻れないって言ったのは、決して村にって意味じゃなくて……その、ルディに抱きついて寝る気持ちよさを知ったら一人で眠れなくなっちゃうって意味でした。戻る場所がないのは本当なので、……ここを追い出されたら、多分私死んじゃいます」
えへへ。と、誤魔化すように笑って頬を人差し指で掻く。
ルディは驚いたように目を丸くしてから、朝そうしたようにルーナに顔を近付けて頬ずりしてきた。
「なーんだ、よかった~。もっかいごめんね、僕勘違いしちゃってた。ルーナがどっか行ったらヤだなーって」
「行く場所がないので安心して下さい」
「うん、安心した~。でもそっか、僕がいなくて寝れなくなったら困るね。じゃあ僕に抱きつくのは眠れない時だけにしようね」
「はいっ」
ルディが顔を離してにこりと笑う。ルーナは元気よく返事をした。
よかった、仲直りができたと思ったのも一瞬のこと。
レミとジェットが額を押さえて俯いている。「頭が痛い」という声が聞こえてきそうだ。
何が何だかわからず、顔を上げて二人を見比べてしまった。ルディも似たような反応で、二人揃って見つめ合い首を傾げるしかなかった。
やがて、レミが額を押さえたまま顔を上げた。
眉間に皺を寄せ、頭痛に耐えるかのような表情だった。体調が悪いのかと心配するが、その視線はジェットに向かう。
「──ジェット」
「……わかってるよ、うっせーな」
「何も言ってないだろう」
「視線がうるせーんだよ、お前は」
「ふん」
ルーナとルディにはよく理解できない会話は終わったらしい。レミがどさっとベッドに座り込み、そのまま横になってしまった。
「オレはもう寝る。……ルーナ、今日はもう何もしなくていい。よく考えたらここに来てから休んでないだろう。一日寝ていてもいいし、本を読んでいてもいい……あとでアインとトレーズには言っておく……」
言いながら、もぞもぞと布団を被るレミ。
何となくそれを眺めているとルディがルーナの服の裾を引っ張った。「行こう?」と言われ、こくこくと頷いて歩き出す。レミが寝ると言っているのだからこれ以上邪魔をしてはいけない。そもそもまだ朝で、吸血鬼であるレミはこれから眠るのだろうから。
ルディに連れられて歩いていくと、その後ろをジェットがついてくる。
三人で部屋を出て、静かに扉を締めた。
ふー。と、息を吐き出したところでジェットの手が前髪に触れた。
「っ……!」
「休んでいいってアイツは言ってたけど、髪どうする? 髪はそのままで今日は昼寝でもする?」
「え、あ、あの」
「ルーナ、どうせだから今日は僕と一緒に遊ぼうよ~」
急にそんなことを言われてもと二人の顔を見比べた。
ジェットもルディも、どうやらルーナが困るのを楽しんでいるように見える。そのことに気付いた瞬間、むっと口を尖らせてしまうのだった。