33.飢え
「……ルーナの言い分はわかった」
レミがそう言って手を離す。そっと顔を上げて彼の顔を見るとしょうがないなと言いたげな表情をしていた。
「だが、今のオレはそう何度もお前を助けてやれない」
「だ、大丈夫です。私はいつ死んでも後悔しないので……!」
わたわたと焦りながら、両手をひらひらと振って大丈夫だとアピールする。が、レミは何か言いたげにルーナを凝視した。責めるような視線は居心地が悪く、思わず顔を背けてしまった。自分の言葉の弁明をするようにもごもごと口を動かす。
「村を追い出された時から死んだものと思っているというか……今生きてるのはラッキーだと思ってるというか……」
「悲観的なのか楽観的なのかわからないな。そう思わないとやってられないのは、まぁ、理解するが……」
「あの! なんていうか、私のことは心配しなくていいというのを伝えたかっただけなんですっ……! こうやって気にかけていただけるだけで十分ですので……!」
レミが眉間に皺を寄せるのを見て言い募る。自分のせいで悩ませるのはあまり良い気がしないからだ。
以前、レミが綺麗すぎてびっくりしたのを今更ながらに思い出す。あの時は自暴自棄になっていたこともあって意識しなかったが、こうして面と向かって話しているのが嘘みたいだ。図書室でも突然の出現に驚いたものの、なんだかんだで優しい相手なのだと感じた。
昔話として聞かされた吸血鬼とは大違いだ。
綺麗で優しい存在。
そんな相手を騙そうとしていることに気が引ける。
本当にここに居続けていいのか、今更すぎる疑問が湧いた。
「……そうか。……っ」
レミが静かにそう頷いたかと思いきや、額を押さえて俯いてしまう。
倒れそうになるのを見て、慌ててその体を抱きとめた。思いのほか細い体だった。
「イ、イェレミアス様、大丈夫ですか……!?」
レミは答えない。
その顔を覗き込むとさっきまで見せていた顔とは全く違う顔をしていた。
冷たい視線に冷たい表情。
赤い目が飢えを訴えている。
恐怖が全身を駆け巡り、鳥肌が立った。
レミの体を突き飛ばしたい衝動に駆られたが、魅入られたようにその目から視線が逸らせず体も動かせない。
何もできずにただただ見つめ返していると、レミの手が伸びてきて肩を掴まれた。抵抗する隙もなく、乱暴に引き寄せられてしまう。
驚くルーナをよそにレミが首筋に顔を寄せ、肩口に息がかかった。
「──?!」
咄嗟に固く目を瞑る。突然のことに何も考えられなかった。
しかし、ルーナの予想に反してレミは噛んだりしなかった。何かを躊躇って口を閉じ、肩口に額を乗せるだけだった。
血を飲まれるかもしれない恐怖を肌で感じ、実際にそうならなかったことに安堵する。
レミの手が背中に回り、何故か抱き締められていた。まるで縋るように。
「……あ、の……飲まない、んですか……?」
恐る恐る聞いてみる。
今のは間違いなく吸血行為だったはずだ。なのに、既のところでやめてしまったレミ。血を飲んで欲しくてここまで来たのに、飲まれなくてよかったと思う気持ちもある。
レミに抱き締められたまま、どうにでもなれと投げやりになっていた。
「……飲めない」
「どうして……?」
レミの答えはない。答えがもらえると思って出た言葉ではなかったので別に気にならなかった。
「とにかく、今は人間の血は飲めない。そういう意味でお前を、人間を必要としていないんだ。……おかげで魔力が回復しないままなのはお笑い草だな」
なるほどとルーナは勝手に納得していた。
何らかの事情でレミは人間の血を飲めないために体調を崩している。そのためにこうして屋敷で療養しているのだろう。
しかし、それはそれとして疑問が湧いた。
「イェレミアス様は……お食事はどうなさってるんですか?」
「……食事? してない」
「え゛ッ……い、いつから……」
「さぁ……?」
血を飲まないなら食事が必要では、と思ったのだが──まさか本人が自覚してないレベルで食事をしてないとは思わなかった。
ルディは山で動物や果物を取って食べているし、ルーナはそのおこぼれに預かりつつトレーズが買ってきてくれたものを食べている。悪魔であるジェットが食事をするかどうかはわからないが、きっと本人がどうにかしているだろうという妙な確信があった。
血以前に食事をしてないことがそもそもの問題ではないだろうか。
「えぇと、私が知らないだけかもですが……吸血鬼は食事を必要としないのですか?」
「そういうわけじゃないが、血さえ摂取できればどちらでもいいというのが実情だろうな。好んで人間と同じように食事をする吸血鬼もいるが……オレにはそういう拘りがない。出されれば食べるが、なければわざわざ要求しない」
この吸血鬼の生活、どうなってるんだろう──。
そんな心配が湧き出るレベルで、レミのこれまでの生活が気になってしまった。
ルーナは村にいた時であっても少ないながらに食事は与えられたし、睡眠時間もあった。なのに、レミは睡眠しかしてないように見える。トレーズだって「料理は専門外!」と言っていたし、そもそもこの部屋で食事をしているような形跡はない。
部外者である自分がこんなことを言い出すのもどうかと思ったが、放って置けない。
「血が飲めないなら、食事をとられた方が良いのでは……」
「……料理をする者がいない」
これまで直した自動人形が料理をしている様子はなかった。そもそもこの屋敷の料理事情がどうだったのかわからないのだが、ここから導き出される答えは──。
「わ、私がします、よ!」
そう言ってレミの体をぎゅっと抱き締めた。
ルーナがレミの体を抱き締めたことで、彼は今ルーナを抱き締めているということにようやく気付いたようだった。がばっと顔を上げて、慌ててルーナの体を引き剥がす。
気まずそうにしているのが、なんだか可愛い。
そして、その反応を見てしまったことで自分自身が先ほどまで抱き締められていた事実を思い出し、かーっと赤くなってしまった。
「……そ、そんなに料理は上手じゃなくて……肉や魚を切ったり焼いたり、煮込んだりするくらしいかできませんが……!」
レミの顔がまともに見れなかったので、視線を逸らしてあたふたと言い繕った。
そもそも貴族然としたレミの口に合うような食事を作れるのかという疑問は大いにあったが、何も食べないでいるよりはマシであると思いたい。
「料理は、肉や魚を切って、焼いたり煮込んだりするものだろう……」
レミはレミで顔を背けてぼそっと呟いていた。
「っそ、それはそう、なんですけど……! イェレミアス様の口に合うものは作れないという意味で……!」
「干し肉で凌いでいたこともあるから大丈夫だ」
「干し肉……!?」
流石に干し肉を食べるような相手には見えなかったのでひどく驚いてしまう。しかし、どうやらルーナが料理をして食事をするという方向で話がまとまりそうだ。
レミには何かしてもらってるばかりという気持ちが大きいので、具体的にお返しができそうなことに安堵する。
「で、では、私がイェレミアス様のお食事を作るということで……」
「……そうだな。今のところそれしかないな……」
「はい、がんばります!」
ぐっと握りこぶしを作って気合をアピールする。レミは気まずそうなままだったが、ルーナはあまり気にならなかった。
が、不意にレミが顔を顰める。
「…………ん?」
何かに気付いた、という表情だ。
何をするのかと思えば扉の方へを視線を向け、ゆっくりと口を開いた。
「アイン、トレーズ。手が空いたらすぐ部屋に来い」
その声は妙に大きく聞こえる。不思議な響きを持っており、どこまでも遠くに響きそうな声だった。
そして、レミの呼びかけから数秒も経たないうちに部屋の扉がバァン! と勢いよく開かれる。
トレーズが意気揚々と立っていた。
「はぁい! お呼びでしょうか!? あらルーナ、ここにいましたのね。ごきげんよう! アインは今ミミを叱ってる最中ですので少々お待ちを!」
「またミミか……」
「フフフ。ミミがはしゃぐのは今に始まったことではありませんので……元気に楽しくお仕事できているのはいいことですわ」
トレーズの視線を受けてぺこりと頭を下げる。
ミミと言えばルーナが一番最初に直した黒ネコのぬいぐるみだ。以前もアインに怒られているのを見たことがあるが、どうやら日常茶飯事らしい。
レミは呆れてため息をつきつつ、それを深く追求することはなかった。視線をトレーズに向ける。
「トレーズ、聞きたいことがある」
「はい、何なりと!」
「お前、金はどうしている?」
レミの問いかけにトレーズが分かりやすくギクリと身を震わせた。
表情が面白いくらいに凍りついている。
どうやら聞かれたくないことだったらしい。




