32.感謝の気持ち
「イ、イェレミアス様ッ!!」
慌ててレミがいるベッドに向かう。
レミが無理をしてルーナを助けたのは想像に難くない。落ちる時に見た蝙蝠はレミが使役している者だったのだろう。
ベッドに駆け寄ると、レミはぐったりとしていた。
その様子を見てさぁっと青褪める。
「ご、ご、ごめんなさい……わ、私のせいで……」
「……お前のせいじゃない。ジェットとルディに窮屈な生活をさせているせいだ……鬱憤が溜まってるんだろう……」
レミはぐったりとしたまま苦しげに言う。自分のせいじゃないと言われてもこの状況に罪悪感を抱かずにはいられなかった。
どうしたらいいのかとまごつくルーナの様子はレミには伝わらない。疲れたようにベッドの横たわっているため、そんな余裕すらないように見える。
「オレのせいであいつらには不自由を強いている……いい加減、あいつらは出て行かせた方が良いかもしれない……」
自嘲気味の、独白にも似た言葉。
どうやらレミはこの状況全てを自分のせいだと思っているらしい。
だが、ルーナには到底そう思えなかった。
何故なら、ジェットもルディもレミを心配している素振りを見せるからだ。悪魔、魔獣、そして吸血鬼の常識など知る由もないが、それでも三人の間に『絆』のようなものがあるのは伝わってきていた。仮にレミの言う『不自由』とやらをジェットとルディが感じていたとしても、それは本人たちが納得して受け入れているものだろう。そうでなければ、あの二人が大人しく屋敷に留まっているとは思えないからだ。
短時間の付き合いであっても、ジェットたルディがかなり自分本位で自由な気風なのは見て取れる。
それは互いへの信頼感が為せることではないだろうか。
だからこそ、ルーナは三人の関係がどこか羨ましかった。
「……あの、ジェットもルディも、望んでここにいると、思い、ます……」
「何故そう思う……?」
レミの肩が微かに震えたのを見過ごさなかった。
ベッドの端に両手をつき、うつ伏せになっているレミを上から覗き込む。
「イェレミアス様のことを、心配しているのが伝わってくるので……。……そうじゃなかったら、ジェットもルディも、きっと自分の行きたい場所に行ってそうなので……それよりも、イェレミアス様のことが心配で、せめて傍にいたかったんじゃないでしょうか……」
自分の感じたことを恐る恐る口に出す。確証は何もないが、これがルーナの感じたことである。
口ぶりからしてレミはきっと二人に屋敷に留まって欲しいとは言ってないはずだ。自分の都合に付き合わせるのを嫌がったのだろう。だが、現に二人はずっと留まっている。
静かに横たわるレミを見つめ、更に口を開いた。
「だから、イェレミアス様がそんなに気に病まれることはないと思います。……これまでのバランスを崩す原因になったのは間違いなく私なので……」
自分で言って自分でダメージ受けてしまった。村への影響はあっても、ルーナが来るまではさほど鬱憤もそう多くはなかったのではないだろうか。
「……仮にそうだとしても、それ含めてオレの判断ミスだ」
「ですが、」
「ルーナ、お前には十分な金をやるからもう屋敷を離れろ。使い魔も自動人形も、今くらいの数があれば何とかなる」
言いながら、レミがゆっくりと顔を上げて起き上がった。
疲労感の滲む顔でルーナを静かに見つめている。
まさかそんなことを言われるとは思ってもみず、頭の中が一瞬で真っ白になってしまった。
「滞在を許可すると言ったばかりだが、やはり人間であるお前にとってこの環境は良いとは言えない。……オレはともかく、悪魔や魔獣と上手くやっていくのは難しい。言っただろう? あいつらは人間とは違う常識で生きている、と」
レミの赤い瞳がルーナを見る。心配しているのが伝わってきた。
その目を馬鹿みたいに見つめ返してから、気まずくなって俯いてしまう。
「……どうして、イェレミアス様は『ともかく』、なの、ですか……?」
「元々吸血鬼と人間の距離は近い。生活における常識も似たところがある。……家門にもよるが、まだ吸血鬼と人間は隣人として付き合っていける。──だが、悪魔や魔獣は別だ。悪いが、オレ一人では何かあった時にあいつらからお前を守ってやれない。かと言って、オレはあいつらを切ることはできない。絶対にだ」
レミの自嘲気味の言葉に耳を傾け、ぎゅっとシーツを握り締める。
勝手にやってきた人間一人、そして付き合いの長いジェットとルディの二人。レミの中の天秤がどちらかに傾くのは明白だった。一ヶ月足らずの人間より、付き合いの長い二人を優先するのは当然だ。ルーナ自身、三人の絆に憧れを抱いているので、自分よりも二人を優先して欲しい気持ちがあった。
ならば、レミの提案通りにルーナが屋敷を出ていくのが最善だろう。
屋根の上で、二人に「どうでもいい」と言わんばかりの態度を取られたのは確かにショックだった。けれど、二人から受けた優しさや恩恵とは別である。
ジェットにも、ルディにも、間違いなく感謝している。
最期にいい思いができて良かった、と思うくらいには。
「……私、ジェットにもルディにも感謝してます」
「……ん?」
「二人が私のことをどう思ってるのかはさておき……最初の夜に林檎をくれて一緒に寝てくれたのはルディで、その後もずっと食べ物をくれました。ジェットも私が困ってるとさり気なく手を差し伸べてくれて、髪を結ってくれました。そのことには本当に感謝しているんです。……二人がいなかったら、私はとっくの昔に死んでいたはずです」
そこまで言ってから言葉を切った。
こんなに饒舌な自分は自分じゃないみたいだ。けれど、今言わないと後悔するんじゃないかという気持ちがルーナを突き動かしていた。
「両親が死んでから、良いことなんか何もなかったです。でも、ジェットとルディは私にちょっとだけ生きる希望をくれました。二人が人間を、私のことをどうでもいいって思ってたとしても……良いんです。悪魔と魔獣の常識が違うって、イェレミアス様は言いましたが……人間である私の受け取り方も違うんです。だから、心配してくれなくて……大丈夫です」
胸をそっと押さえて、噛みしめるように言葉を紡いだ。
「そして、私はイェレミアス様にも感謝しています。面白い本を教えてくれたこと、滞在を許可してくれたこと……そして、今、私の身を案じてくれたこと……最初の夜、私はあのまま屋敷を出て、獣に襲われて死んでたかも知れません。ルディに救われて、ジェットとイェレミアス様に生かしてもらった命なので……今後どうなろうとも私は後悔しないし、ましてや三人を恨むこともありません」
今この時ばかりは、自分の目的を完全に忘れていた。
三人への感謝だけが心の中にあった。
言い終わった後に自分の目的を思い出したが、すぐに頭の隅へと追いやる。今はそんなこと考えなくていいだろう、と。
レミは驚いたようにルーナを凝視していた。
「それから、私はアインとトレーズの力にもなりたいんです。二人が寂しくないように、もう少しだけ修復を頑張らせて下さい」
言い終わったところでルーナは静かに頭を下げた。
レミはルーナを凝視している。全く知らない生き物でも見るような視線だったが、ルーナはレミの顔を見てないので視線の意味などは伝わらなかった。
今、口にしたことは全て嘘偽りない真実であり、伝えたいことだったからだ。
「……ルーナ、お前はいい子だな」
「え?」
レミが目を細めて、ルーナの頭にそっと手を置いた。小さな子供にするようによしよしと優しく撫でられる。
何故かそれが無性に恥ずかしくて、頬がかーっと熱を持った。
俯いたままで顔を見られてないのが幸いである。
いい子だ、なんて言葉を向けられたのは両親以来で、それが一層ルーナの心を揺さぶった。




