28.レミとルディ
ルーナが図書室を立ち去るのを見届けた後、深くため息をついてしまった。
テーブルに肘をつき、額を押さえて俯く。
『生贄』なんて役割、どう考えても他の村人たちに押し付けられたものだろうに、どうして固執するのか。こちらが要らないと言っても食い下がってくるのがどうしても気にかかった。
吸血鬼に血を捧げることを嫌がらない人間はいるし、吸血鬼側がそう仕組むことはあるが──どうにもしっくりこない。
嫌な記憶が蘇り、それを否定するように首を振る。
どうしたものかと考えていると、廊下を走る足音が近付いてきた。
「レミ!!」
バァンと乱暴に扉を開け放って、室内に入ってきたのはルディだ。
牙を剥き、怒りを露わにしてレミの方へと近付いてくる。
「なんだ」
「もう! ルーナに暗示かけたでしょ! いつもなら寝る前にちょっとお話するのにすぐ寝ちゃうからびっくりしたんだよ!」
「戻って寝ろと言っただけだ」
しれっとした顔で言うが、当然ながらルディはそれが気に食わないらしい。怒った顔のままだ。
獣の姿で牙を剥いていると結構迫力があるのだが、レミから見たルディはルディにしか過ぎず、恐怖や畏怖を覚えるレベルではない。ルディが本気で怒ろうものならこんな風に呑気にはしていられないが。
ウウウとしばらく唸ってレミを威嚇していた。やがて、それは収まってしまう。
「都合が悪くなったからって簡単に暗示かけないでよね。魔力が減ってるんだから」
「……あれくらいの暗示なら大したことはない」
ルディの「都合が悪くなったから」という言葉に内心ぎくりとした。悟られないように淡々と返事をする。実際のところ、本当にあれくらいの暗示ならば魔力に影響はない。
それよりも、まるでやり取りを見透かされたように言われたことに驚いた。なんだかんだでルディは鋭い。
ルディはルーナが座っていた椅子に飛び乗って腰を下ろし、テーブルの上に顎を乗せた。
さっきまで怒っていたのが嘘のような寛ぎっぷりだ。
「強がっちゃってさ~」
「別に魔力は──」
「そーだけど。ルーナを前にして血を飲みたくならないの?」
「……またその話か」
はぁ。と大きくため息をついた。
幾度となく同じ話をされてしまい、冗談抜きで飽き飽きしている。
「僕もジェットも心配してるんだよ~。ジェットはどう思ってるのか知らないけど、少なくとも僕はレミに恩があるしね。吸血鬼の寿命分くらいは生きて欲しいと思ってるよ」
心配。恩。
魔獣は義理堅いものが多く、ルディも間違いなくそういう気質がある。育ってきた環境や両親の影響もあるだろう。
無邪気に真っ直ぐ言われてしまうと拒絶しづらいところはあった。
「あと、このまま魔力が低下して取り返しがつかなくなってレミが弱くなるとさー……一緒にいる僕の格が下がるじゃん?」
素直なのは良いことだし、レミもルディのそういう性格は嫌いじゃない。素直すぎるのもどうかと思うことがあった。
三人が一緒にいる理由はそれぞれの事情があるのに加えて、力がほぼ同格というのも大きかった。相手が人間ならば庇護しようという気にもなるが、弱い悪魔や魔獣を守ってやる義務はないし、かと言って自分より強い異種族の配下に回るつもりもない。ある時はジェットが弱っていて、ある時はルディが弱っていて、それをカバーするような形で三人一緒にいた。今はたまたまレミが弱っているだけなのだ。
三人でつるんでいると、同族もしくは他種族が手を出しづらくなるのもメリットだった。
そのため、ルディの言い分もよくわかる。単純にバランスが悪くなるし、一方的に守るつもりはないと言っているのだ。
そういう意味ではやはり『腐れ縁』という言い方がしっくりくる。
「取り返しがつかなくなることはない。その前にどうにかする……」
「ねー、吸血鬼が精神的なあれこれで血が飲めなくなるってよくあるの?」
「……。……なくはない」
「あはは。そういうところって人間みたいだね~」
ルディがけらけらと笑いながら言う。
実際、今精神的なもので人間の血が飲めなくなっているレミからすると笑い話ではないものの、否定はできなかった。
「──あ」
不意にルディが顔を上げた。何か思い出した顔である。
「人間で思い出した。……あのね、村で屋敷のことがちょっと噂になってるよ」
「村?」
「ルーナがいた村~」
ルーナに『生贄』の役割を押し付けた村だ。当然良い感情を覚えるはずがない。
「ルーナが使い魔や自動人形を修復するようになったでしょ? それで屋敷がちょっとずつ綺麗になってるから、村では吸血鬼が活発になったんじゃないかって噂になってるっぽい。レミは寝てばっかりで、活発になんてなってないのにね!」
使い魔や自動人形の活動が村に不安を与えているとは全く気付かなかった。
そもそも村と屋敷とは距離があるので、わざわざ見に来なければその変化はわからないはずだ。ただ、吸血鬼が住んでいる、というだけで刺激になっているようだし、外から見える部分の変化は好ましくないのだろう。
「……そうか」
「どうする? 何なら僕が直接脅してきて、近付かせないようにしてもいいけど」
「いや、変に刺激は与えない方が良いだろう」
「ふーん。じゃあ、普段通り他の魔獣の駆除だけしてるね」
「ああ、頼む」
ルディが毎日山に入るのは周辺の調査と警戒、そして本人が言うように魔獣の駆除をしているためだ。
これは縄張り意識のあるルディが言い出したことで今は屋敷付近を自身の縄張りとして見回りを行っている。本来なら使役している蝙蝠か自動人形にやらせるのだが、いかんせんそこまで力を割けないのが実情だった。情けないものの、仕方がない事情である。
「でもさー、生贄を捧げたら吸血鬼が大人しくなるってどういう発想なんだろうね?」
「よくある話だ。生贄を捧げる代わりに村は襲わないで欲しい、という意思表示だろう」
「へぇ~。僕のところとはぜんぜん違うね。僕のところは逆で、生贄を貰う代わりに村を守る、って約束だったもん」
ルディが懐かしそうに目を細める。レミもルディのいた村がそういう環境だったのかはよく知っている。
生贄にされる人間の心境はさておき、一人の犠牲で村全体が平和だったのである意味ではうまい話だとは思っていた。
「……まぁ、オレが生贄に対する答えを出してないから、定期的に見に来ているんだろうな」
ルーナは確かに『生贄』として屋敷に送り込まれた。
レミは一旦受け入れているが、それは労働力として受け入れただけで『生贄』として受け入れたわけではない。そもそも村に対して何もアクションを起してないのに、勝手に『生贄』を送ってきたのは村の方である。
「じゃあ出す? 答え」
「いい。面倒くさい。何もする気はないのだからいいだろう」
「……レミ、ジェットに似てきたね」
「は?!?」
心外だと言いたげに睨めば、ルディがふっと笑った。
「面倒ってジェットの口癖だもん」
ひく。と口の端が動く。まさかこんなことを言われるとは思わず、まともな反論が思い浮かばなかった。
無意識に不貞腐れた顔をして、テーブルに肘をついて視線を逸らした。
「……似たようなことを、ルーナにも言われた」
「ぶはっ! ルーナ、よく見てる~!」
ルディが楽しげにけらけらと笑う。
その笑いはなかなか収まらず、結局それ以上話をすることもなくレミは不機嫌になって図書室を後にするのだった。ルディが「待ってよ~」と追いかけてくるが、当然無視をした。