26.図書室での逢瀬①
トレーズに言われた通り、夜の図書室にやってきた。
普段より少し遅い時間に来るようにし、一時間ほど待ってみたのだが昨日と一昨日は空振りでレミは現れなかった。ルーナは毎日通っても飽きない場所であっても、ここはレミの屋敷なので流石に毎日は来ないのだろう。
彼を待つ間はどうしても手持ち無沙汰になってしまうので、一昨日トレーズから預かった本を持ってきた。既に読み進めており「珠玉の一冊」と言われた通り、確かに面白い。
図書室の中には読書スペースのようなテーブルと椅子が置いてあったが、作りが大変繊細かつ高価そうなので座るのを躊躇してしまった。
結局、窓際の壁に凭れ掛かって膝の上に本を開く、というスタイルをとっている。
貧乏性だと笑われるかもしれないが、幸い誰も見ていない。未だにちゃんとしたベッドで眠れるのが夢じゃないかと思うくらいだし、ルディが来るまでは「本当にいいんだよね?」と不安になることもあるくらいなのだ。
徐々に慣れているとは思うが、完全に慣れ切ってはいけないという思いもある。
いつか出ていくかもしれないからだ。
もちろん、出ていく前にもっと別のことがある可能性もある。
自分で決めたことでしょう、と言い聞かせて本の世界に没頭した。
本は最高の現実逃避だった。
自分じゃない誰かが、自分の知らない体験をする。それを我が事のように追いかけるのが楽しい。
次はどんな展開が待っているんだろうと思いながら没頭する。
没頭していたせいで、誰かが近付いて来ているなんて全く気付かなかった。
「……ルーナ、そんなところで何をしている?」
「えっ」
顔を上げると、不審そうな顔をしてレミがルーナを見下ろしていた。
ルーナは一瞬ぽかんとした後で、慌てて本を閉じて立ち上がり、レミにぺこぺこと頭を下げる。
「す、すみませ」
「オレは質問しただけだ。悪いことをしたわけじゃないのに謝るな」
「す──……」
更に「すみません」を重ねそうになってしまい、慌てて口を噤んだ。咄嗟に謝るクセがあり、なかなか直せない。
ルーナが黙り込むのを見たレミが小さくため息をついた。
「まぁいい。で、何をしていたんだ? 床に座り込んで……」
「本を読んでました。あの、これを……」
おずおずと手に持った本をレミに見せた。すると、ちょっと驚いた顔をする。
「……それ、読んでいるのか」
「は、はいっ! 一昨日トレーズから渡されて……その日から少しずつ読んでいます。イェレミアス様が選んでくださったと聞いたので、ぜひお礼が言いたくて……本当にありがとうございました」
レミが本に気付くと、嬉しくなってぱっと表情が明るくなる。言い終わると、深々と頭を下げた。
何かを押し付けられることはあっても、両親が死んでから「これいいよ」と誰かに勧めてもらった記憶はない。本当かどうかはさておき、レミが選んでくれたのが嬉しい。
「……暇だっただけだ」
どこか照れくさそうにふいっと顔を背けてしまうレミ。
悪びれもせずに「暇つぶし」とか「暇なだけ」と言うジェットのことを思い出してしまい、口元が緩んだ。別人なのだから当然なのだが、本人の性格や醸す雰囲気が全然違うのに同じことを言うのがおかしい。
少し笑いそうになったルーナを見て、レミが目を細めた。
「なんだ……?」
思ったことを正直に言うとレミは機嫌を損ねそうだ。この間もジェットに髪を結って貰っていると伝えたら変な反応をされてしまったし。
言い辛いので視線をすっと逸らしてしまう。
ただ、それはそれでレミは気になるらしい。
「そんな反応をされると逆に気になるんだが?」
「……お、怒らないでくださいますか……?」
「……善処しよう」
(善処……)
怒らないと言い切ってくれるわけではないらしい。あくまで善処するだけ。
そう言われてしまうと「言わない」という選択が最良に思えてくる。村の人間とは違うとわかっていても、やはり怒られるのは嫌だ。
善処しよう、と繕うことなく本音を言ってくれるだけマシだろうけれど、それでも怒る確率の方が高そうでやはり言い辛い。
沈黙が続くと、レミがまたため息をついた。
「気になる。……怒らないから言ってみろ」
「……えっと……ジェ、ジェットも、暇つぶしとか暇だからとか、そんなことを言っていたので……同じことを言うんだな、って思って、おかしくなっただけ、です……」
思い切って言ってみると、やはりというべきか、レミがすごく微妙な顔をした。
以前もジェットと一緒にされたくない、ジェット以下にはなりたくないと思わせるような言動をしていたので、今のルーナの発言は決して楽しいものではなかったのだろう。 わかってて言ってしまうのだから、ルーナ自身ジェットに毒されているのかも、と少しだけ思ってしまった。
レミは不機嫌そうにルーナを見る。思わず本を持ち上げて口元を隠した。
「オレとジェットが同類だと」
「ど、同類だとはさすがに……」
「じゃあ何を思ってそんなことを言ったんだ?」
失敗したと思っても後の祭りである。
ジェットと対面している時のような恐怖感はないが、両親に叱られた時のような居心地の悪さはある。
「付き合いが長いようだったので……暇だった、って……ジェットの口癖が移ったのかな、ってちょっと……思っちゃいました。す、すみません、私何言ってるんだろ……!」
喋れば喋るほどにボロが出る。もうこれ以上は喋るまいと口をぎゅっと噤んだ。
どうしてこんなにも変なことばかり口にしてしまうんだろうと心の中で嘆く一方、自分が浮かれていることに気付いた。ジェットの時にも気付いたが、きちんと『会話』が成立することに浮かれてしまっているのだ。
浮かれる自分が恥ずかしくて、本を顔の前に掲げてゆっくりと俯いてしまった。
「本当に、すみません……さっきから失礼なことばっかり──」
「だから、簡単に謝るなと言っているだろう。……確かに長い付き合いだからな、口癖が移ったのかもしれないというのは否定しきれない」
「…………やっぱり、友達なんですか?」
「ただの腐れ縁だ」
ツンと澄まして、言下に否定してくるのがちょっとおかしい。ルディもしっくり来てないようだったので、ルーナが思うような『友達』ではなさそうだ。
レミ曰く『腐れ縁』。とは言え、ルーナには友達もいなければ腐れ縁と呼べるような相手もいない。
三人がどんな関係なのかはさっぱりわからなかった。
「羨ましいです、そういうの」
「……は?」
ぽつりと呟くとレミが不思議そうな顔をする。
「私、友達と呼べる相手もいなくて……いえ、昔はいたんですけど、両親が亡くなってから……いなくなっちゃって……」
つらつらと話したところで、ハッとなって口を噤む。
さっきからどうしてこんなに自分のことを話してしまうのだろう。話してから我に返って恥ずかしくなり、というのを繰り返している。
本を額にくっつけて、これ以上余計なことを喋ってしまわないように深呼吸をした。
レミにお礼を言いたかっただけなのだと言い聞かせ、喋りたくなる自分を抑えつける。こんな自分がいるなんて知らなかった。
「……ルーナ。お前は自分のことを誰かに話して、聞いて貰いたいんじゃないのか」
「……え?」
「あるいはまともな会話に飢えているか」
レミの指摘に目を見開き、そっと顔を上げた。レミは呆れたようにルーナを見ている。
冷めた視線ではなく、「仕方がないな」と言うような──どこか優しい視線だった。
「そう、なんでしょうか……?」
「さぁな。オレの勝手な想像だ。……聞いてやってもいいが、オレは自己憐憫や自虐に付き合う趣味はない」
自己憐憫──。ルーナは、自分で自分を可哀想だと思っているのだろうか。
ようやく麻痺していた感情が正常になりつつあり、普通に会話できることに感動している。誰かと話すことが楽しいと感じている。妙な開放感と、これまで自分の中で凍りついていたものが溶けていく感覚があった。
それらを制御できなくなっているのは確かだ。
何も言えないままでいると、レミがくるりと背を向けた。
「本の感想くらいは聞いてやる。立ち話も疲れるからな……ルーナ、こちらへ」
レミがそう言ってルーナを振り返り、近づくのを躊躇っていたテーブルセットを示した。
ふらふらと誘われるようにレミの後をついて歩く。
この吸血鬼はどうしてここまでしてくれるんだろう。
理由が何かあるとしても、ジェットともルディとも違う気がした。




