19.トレーズのアドバイスと、邂逅
「……お前たちが相手をしているなら、オレが敢えて声をかける必要はない」
ふいっと顔を背ける。
「帰れ」だの「貧相」だのという言葉を投げかけておいて、今更どんな顔をして「修復のために留まってくれて感謝する」などと言えようか。
レミ自身がルーナを歓迎しているわけではないし、邪魔にならないのであれば置いてやっても構わないくらいの感覚でしかない。わざわざ言いに行くような必要性を感じなかった。
単純に、あまり関わりたくないだけでもある。
それがルーナだからではなく、ただ人間だからだ。
トレーズは笑顔のまま、自身の胸元をそっと押さえた。
「所詮、アタクシは自動人形でアインは使い魔。ジェット様もルディ様も、イェレミアス様のお客様。いくらアタクシたちから声をかけても、屋敷の主であるアナタ様から許可を得られないまま屋敷にいるのがルーナにとっての気がかりなのは見ていればわかります」
最後の言葉とともに真っ直ぐ見つめられる。
ただの部品でしかない目が、意思を持ってこちらを見つめていた。
「なら、お前の口から伝えろ。感謝と、オレが滞在を許可した、と」
「んもうっ! そうじゃないってお分かりになるくせに! イェレミアス様だってフリーデリーケ様から直接言われるとの、執事を介して伝言として伝えられるのでは全然違うって仰ってたじゃありませんか!」
それまでトレーズが維持していた冷静さが途端に崩れる。両手を握りしめて、怒ったような顔をしていた。
しかも『フリーデリーケ』という名前を出されて、レミは内心(う゛っ)となる。
フリーデリーケ・フォン・ブラッドヴァール。
ブラッドヴァール家の前当主であり、レミの祖母だ。当主の座を退いたとは言え、未だにその影響力は絶大で、ブラッドヴァール家のみならず吸血鬼全体へ大きな影響力を持っている。
この屋敷の元々の持ち主でもある。当然ながらレミは彼女に頭が上がらない。
思わずトレーズから視線を逸らしてしまった。
「……事情が違うだろう」
「事情は全く違いますが、ルーナの気持ちは以前のイェレミアス様と同じだという話ですわ!」
トレーズが力いっぱい言ってくる。さっきまでの態度はどこに行ったのかと文句を言いたくなった。
「……そもそもオレはあの人間を信用できない」
あれこれと理由を重ねるのは逆効果だし、子供っぽい態度であるのはわかっている。
そうであっても人間とはあまり関わりたくなかった。──今はまだ。
しかし、トレーズはそんなレミの心情など知る由もない。半年前に屋敷に舞い戻り療養をしているのだが、その詳しい事情を話してないのだから当然である。トレーズは困った顔をして頬に手を当てた。
「全くもう。イェレミアス様は疑い過ぎです。であればこそ、ご自身の目で確かめることが必要ではありませんか? 少なくとも、アタクシやアインの目にはこれまで屋敷へ奉公に来ていた少女と同じ、ごくごく普通の人間にしか見えませんもの」
トレーズの口調はまるで小さな子供に言い聞かせるようなものだった。
流石にその言い方は止めろと文句を言おうとしたところで、トレーズは目を細めて怪しげに微笑んだ。
「イェレミアス様が気に入らないのであれば、修復が半分ほど終わったところで『処分』しますわ。……ご安心ください、少なくともアタクシはアナタ様の意にそぐわぬことは致しません。ただ、相手を見て判断いただきたいのです。アタクシはその判断に従います」
トレーズは「アタクシ」を強調した。アインとは違うと言いたいのだろう。
使い魔と自動人形、その差は明白だ。アインは命令を守りつつもどちらかと言えば人間寄りの考え方をするし、トレーズは『屋敷の主』の命令を絶対と考える。その差を作ったのもフリーデリーケの意思だった。
眉を潜めてトレーズを見る。トレーズは何も言わずににこりと笑い直した。
「とにかく! 時間が経てば経つほど言い辛くなります。すぐにルーナを訪ねてくださいませ」
言うが早いか、トレーズはレミの背後にささっと回ってその背中をぐいぐいと押す。
「いや、すぐって……」
「死ぬ間際ではないと声をおかけにならないつもりですか? 人間の一生なんてあっという間です。イェレミアス様が寝ている間にルーナが老いて死ぬかもしれませんわ。ほらほら、イェレミアス様!」
「お、おい」
トレーズはレミをぐいぐいと押し続け、そのまま扉まで押しやってしまった。どう考えても屋敷の主に対する態度ではないが、元々トレーズはこんな性格である。きちんと命令だと言われればそのように行動するが、とにかく我が強いのだ。
トレーズは扉を開けて、レミの背中を更に押す。
「この間、ようやく図書室の掃除と整理が終わったところですの。今の時間であればルーナがいます。本があんなにあるのが珍しいようで、飽きずに眺めていますわ。イェレミアス様のオススメなどを教えてあげれば喜びます! その間にアタクシは掃除をカンペキにしておきますので! どうぞごゆっくり!」
「トレ──!」
ぼたん! と、トレーズが扉を閉めてしまった。
本当に、主に対しての態度ではない。
しかし、前当主であるフリーデリーケに対してもトレーズはこんな感じだった。あれは変えようのない自動人形の『個性』なのだろう。無言で淡々と仕事をこなすだけの使い魔や自動人形ばかりだと退屈なのは確かだ。
レミは大きくため息をついて廊下を振り返り、ゆっくりと周囲を見回した。
「……綺麗になっているな」
ぽつりと呟く。
埃や蜘蛛の巣だらけだった廊下が綺麗になっている。廊下に点々と飾られているくすんだランプも昔と同じ輝きを保っているし、汚れていた調度品も磨き上げられていた。
レミの部屋の前にある廊下だから特に綺麗になっているとしても、以前とは大違いだった。
ゆっくりと歩き出す。
トレーズの言うことを聞いてルーナに会わないと文句を言われるだけだ。会わないでいるのも駄々をこねているようだし、延々とトレーズが同じことを言い続けかねない。
憂鬱な気分になりながら図書室へと向かった。
◇ ◇ ◇
「読まれないのも勿体ないのでぜひ見て下さい」とアインに言われて通い始めた図書館。
こんなにたくさんの本は見たことがなかったので無性にワクワクしてしまった。文字は読めるが難しい単語などはわからないので読める本は限られるものの、ここには子供向けの本もたくさんあった。きっと奉公に来ていた少年少女向けだろう。
童話一つとっても知らないものばかりで楽しい。
そーっと背表紙を撫でて、どれを借りていこうか楽しく悩んだ。
「……私、もっと前に生まれたかったな……」
奉公に来ていた少年少女たちがここで楽しく本を選ぶ様子を思い描いた。
自分もその中にいることが出来たらきっと幸せだっただろうとありえないことを考えてしまう。
「どれにしよう。楽しいお話がいいな……あ、これとか良さそう」
タイトルからして楽しそうな児童書を手に取り、その場で軽く捲ってみる。好奇心旺盛な犬の大冒険らしい。冒険ものも夢があって好きだし、王子様がお姫様を迎えに来るような話も好きだ。
冒頭をその場で読み始めたところで、カツン、と靴音が聞こえた。
自動人形の誰かだろうかと思って顔を上げる。足音の聞こえた通路の方へと視線を向けた。
「ルーナ」
声をかけられた瞬間、本を取り落としてしまった。床に当たってバサッと音がする。
──イェレミアス・フォン・ブラッドヴァール。
芸術品のような整った容姿。真っ白な衣服。淡い金髪。
真っ赤な瞳がこちらを見つめている。
「っす」
さぁっと青褪め、その場でガバっと頭を下げた。
「すみません、すみません、すみません!!! る、ルディや、アイン、トレーズの言葉に甘えて、私、ず、ずっと無断で……帰れって言われていたのに、か、勝手なことをしてしまって──本当に──……!」
頭を下げたまま言い募ると、レミの気配が近くなった。
怒られるだろう。勝手なことをした罰にと、折檻があってもおかしくない。
何が来ても大丈夫なようにぎゅうっと目を閉じ、手を握りしめて身を固くした。
「とりあえず顔を上げろ」
「……え?」
「聞こえなかったのか? 顔を上げろ」
「は、はい!!」
言われた通りに顔を上げるが、怖くてレミの顔が見れない。
今日まで勝手に屋敷に居座ったくせに、いざこうしてレミを前にすると怖くなる。怒られても仕方ないことをしたと自覚しているからだ。




