155.想いの伝え方②
言いたいことを言い終わり、「ほう」と息をつく。夜遅くまで悩んでた割に、言う時はあっさりしたものだった。
しかし、途端にドキドキした。
言って終わりではない、ということに気付いたのだ。
恐る恐る顔を上げてジェットの顔を見る。ジェットは驚いたような顔をして鏡の中のルーナを見つめている。それはルディもレミも同じで、三人とも一様に驚いた顔でルーナを凝視していた。
「……あ、あの……これが、私の伝えたかったこと、です」
急に我に返り、膝の上で手をぎゅっと握りって俯いた。
視線が集中していてどうにも恥ずかしく、顔を上げていられなくなったのだ。つい敬語になったので余計に恥ずかしさが増した。
「あー、もー……!」
不意にジェットがルーナの髪から手を離した。あとはリボンで留めるだけ、というところまで来ていたのにいきなり手を離してしまったので、編み込みがするりと解けていく。
そして右手で顔を覆い、左手を腰に当てて俯いた。
流石にこの反応は予想外で、ルーナは顔を上げてあたふたしてしまった。
「え、えっと、あの」
「絶対しばらく時間かかると思ったのに、今日の朝とか聞いてねぇよ」
そう言ってため息をつくジェット。
まずいことを言ってしまったのかと焦っていると、横からひょこっとルディが顔を覗き込んできた。にこーっと嬉しそうに笑っており、ジェットと違ってとても機嫌が良さそうだ。
「これからもずっと僕らと一緒にいてくれるってこと?」
控えめに見つめ返して、小さく頷いた。
だが、一緒にいるかどうか決めるのはルディじゃないだろうか。何かを決める権利などは全て自分にはないと思っている。だから、ルーナは自分の気持ちを伝えた上で、三人からの返事を待っている。
ルディの目は相変わらず綺麗なグリーンで、その目からはさっきクリスから感じたのと同種の熱を感じた。
「ル、ルディが嫌じゃなかったら……一緒にいたい、よ?」
「あはは、ルーナって変なこと言うよね~。
嫌なわけないし、『呪い』が解けたルーナがどっか行っちゃうかもしれなくて、僕ずっと怖かったのに……」
目を大きく見開いた。
優しい言葉とともに、ルディはルーナの両手を下からそっと掬い上げた。大切なものを触るみたいな手つきだったので無性にドキドキしてしまう。
「私には行くところなんてないよ……」
「自由になったらやりたいこととか行きたいところとかたくさん思いつくかもしれないじゃん? なんかそういうのがずっと不安だったんだよね~。でも、そうじゃなくて安心した。
あのね、僕もルーナのこと大好きだよ。だからさ、ずっと一緒にいよ?」
ね。と、ルディが笑いかけてくる。
その笑顔が明るく晴れやかで、じんわりと胸が温かくなっていく。それまで目に溜まっていた涙がほろりと零れ落ちた。
「わっ!? え、な、なに、どうして泣くの!?」
「な、なんかホッとしちゃって……嬉しくても涙が零れちゃうんだね。知らなかったよ」
「これ、嬉し涙なんだね。えへへ、びっくりしたけど僕も嬉しい~」
そう言ってルディが顔を近づけてきて、ぺろりと涙を舐め取っていった。流石に恥ずかしさが勝ってしまい、慌てて顔を離す。ルディはきょとんとしていたが、「やれやれ」と言わんばかりに肩を竦めて、握っていた手を離した。
ルディは様子を見守っていたレミとジェットに視線を送る。
「──で。レミとジェットもちゃんと言うこと言ってよね。じゃないと僕の一人勝ちだよ、これ」
ぎくり。と同時に肩を震わせるレミとジェット。
レミはさっきのことが尾を引いているのか黙ったまま、ジェットはどこか諦めたようにゆるゆると首を振っていた。
ジェットは小さく息をついたかと思いきや、ルーナの背後に戻ってくる。上から見下ろしてくるものだから、ドキドキしながら見上げた。
「……ルーナ」
「う、うん……?」
「悪かった。普通に暮らした方が良いなんて言って」
謝られるとは思わなくて目を丸くしてしまった。ジェットは気まずそうな表情で続ける。
「その方がお前にとって良いと思ったのは本当だけど、俺は嫌。お前の言う通り、あれは本心じゃなかった。
お前をどこか別のやつのところにはやりたくない。
お前のことが好きだから、どこにも行って欲しくない」
じわじわと顔の熱が上がっていく。まさかジェットにこんなことを言われるとは思わなかった。
こんな風にジェットと見つめ合っていることに耐えきれなくなり、慌てて正面を向き直した。鏡越しのジェットが変な顔をしてルーナを見つめている。どこを見ても視線から逃れられず、どんどん顔が赤くなっていった。
「……何だよ、その反応は」
「っだ、だって、ジェットがそんなこと言うなんて、思わなくて……!」
「言わないとどんな勘違いするかわかんねぇじゃん、お前は。ずっと一緒にいてって言ってるんだけど、理解してる?」
「し、してる! だ、だいじょうぶ!!」
「……ほんとかよ」
ルーナは両手で顔を追って、必死になってこくこくと頷いていた。珍しく素直というか全てがストレートなジェットに戸惑いを隠せない。
横ではルディが「なんか僕の時と反応が違う……」と口を尖らせ、ジェットが「お前は普段から距離が近すぎるんだよ」と笑っていた。
さっきから心臓の音がすごい。
心臓が破裂するんじゃないかと思うほどにどくんどくんと脈打っている。
胸を押さえてゆっくりと深呼吸をしていると、一度は手を離してしまったジェットがもう一度髪の毛に触れた。
「やり直すわ」
「あ、あり、がとう……」
「顔真っ赤」
湯気でも出るんじゃないかというくらいに顔は真っ赤だった。鏡で自分の顔を見てしまったので慌てて俯く。
好きと伝えて、伝えられて、平気でいられるほどルーナの肝は据わってない。
「そう言えばレミは」と思いながら、少しだけ顔を上げて鏡越しにレミの様子を見た。ジェットとルディもレミへと視線を向けており、二人も彼の言葉を待っているように見える。
催促するのも違う気がして、ルーナはもう一度俯いた。
「……坊っちゃんはどうなんだよ。恥ずかしくて言えねぇのか血のことが尾を引いてんのか」
「だから、坊っちゃんはやめろと言っているだろう!」
レミが怒った顔をして、ずかずかと近付いてきた。冷静で落ち着いた態度ばかりを見ていたのでこうして感情を露わにするのも珍しい。
まともに見上げるのが恥ずかしくて、ちらちらと視線を向けるのみになってしまう。
すぐ傍まで来たレミが何を思ったのかその場に跪き、ルーナの左手を手に取った。
「ルーナ」
「は、はいっ!」
真っ直ぐ、真剣な顔で見つめられ、声がひっくり返る。ドギマギしながら見つめ返した。
「好きだ。愛している。──この先ずっとオレと一緒にいて、叶うならその血をオレに与えて欲しい」
カコン。と、音を立ててジェットが持っていた櫛が落ちて床にぶつかった。
後頭部で手を組み、壁に背を預けていたルディがズルリとバランスを崩している。
ルーナの髪に触れていたジェットの手がわなわなと震え、跪いているレミを勢いよく睨んだ。
「お前さぁ! 誰がプロポーズしろって言ったよ!?
俺とルディがルーナに合わせてソフトな言い方したのに台無しじゃねぇか、ふざけんな!」
ジェットの怒りと苛立ち混じりの言い方にレミがむっとして立ち上がる。それまで触れていた手は静かに離してしまった。
「お前が言えと言ったんだろう! 大体中途半端なことを言ってどうするんだ!?」
「……ゆっくりやってく予定だったのに~」
ジェットとレミが言い合いをする横でルディががっくりと肩を落としている。
流石に、彼らのやり取りの意味がわからないわけでは、ない。
顔は真っ赤のまま固まってしまい、身動き一つ取れなかった。ジェットがまた手を離してしまったので髪の毛は中途半端に編まれたままだったが、それを気にする余裕など当然ない。
さっきから赤みが引くことを知らない頬を両手で押さえた。
その様子を見たルディが少し心配そうな顔をしてルーナの顔を覗き込んだ。
「いきなりごめんね。大丈夫?」
「……た、多分」
「……あの、さ。僕らはそういうことなんだけど、ルーナの方はどういう『好き』なのかな~? って……」
さっきは明るい言い方だったのに、今はルーナの様子を窺うような聞き方になっている。
ルーナはルディの顔を見ることができず、両手で顔を覆い隠してしまった。
「ごめんなさい」
「「「え」」」
咄嗟に出てきたのは謝罪だった。三人は突然の謝罪に目を見開いて視線を向けてくる。
「私、昨日の夜……嘘ついた。みんなが私じゃない女の人と一緒にいるの、平気じゃないよ。すごく、嫉妬しちゃう」
ずっと昨日のことが引っかかっていた。今朝、ジェットに「昨日俺らに嘘ついたお前がそれを言う?」と言われたこともずっと気にしていたのだ。
嘘など言うべきじゃなかった。本心を言うべきだった、と。
そのことを謝りたい気持ちがどうしても逸ってしまった。
「でも、……私にそんなことを言う権利はないって思ったのは本当なの。
私は可愛くも美人でもないし、何の特技もないし、ジェットの言う通り『普通の人間』だよ。
そんな私に、三人の決めたことに文句なんか言えな──」
「言って良いんだよ、ルーナは」
優しい声が届く。少しだけ手を下ろすとルディがすぐ足元にしゃがみ込み、上目遣いにルーナを見上げていた。その視線は温かくて優しくて、ルーナの悩みなど簡単に吹き飛ばしてしまいそうである。
ルディを見つめ返すと、彼は楽しげに笑みを深めた。
「だって僕はルーナが好きだから、ルーナが嫌がることはしたくないよ。だから、嫌なことは嫌って言って欲しい。逆にして欲しいことがあればたくさん言って欲しいよ。僕、ううん、僕たちもルーナが嬉しいなら、同じように嬉しいから」
にこーっと笑うルディを見て心が軽くなる。
三人は嘘をついたことを気にしている様子はなかった。「なんだ、そんなこと」という気軽さすらある。
「……まぁ、嘘をつかせたのは俺のせいだしな」
「ほんとにね」
「本当にな」
バツが悪そうなジェットに対して、ルディもレミも容赦なく同意をしていた。
「それにそこまで卑下しなくて良い。オレにとっては可愛くて大切な女性なのだから」
「ルーナがルーナだから好きになったんだよ。理由なんてあってないようなものだし」
再度両手で顔を覆ってしまった。
言われ慣れてない言葉ばかりが向けられて、ひたすら恥ずかしい。心臓の音がうるさい。こんな甘やかな言葉が自分に向けられているなんて信じられなかった。
そして、伝えなければいけないことはまだある。
ゆっくり、静かに深呼吸をしてから、顔を隠したまま唇を震わせた。
「……あのね。誰が一番嫌とかはなくて……同じくらい嫌なの。
レミも、ジェットも、ルディも、私じゃない女の人と一緒にいるところは想像したくない。
こんなのおかしいってわかってるのに……嫌で嫌でしょうがないの。
だって同じくらい大好きだから……!」
今度こそ呆れただろうか。顔を両手で隠したまま、耐えきれずに俯いてしまった。
おかしいと思う。我儘だと思う。
けれど、間違いなく本心だった。




