150.『呪い』よりも大問題①
「お早いお帰りで」
フェイは後頭部で手を組み、悪びれもなく四人の顔を眺めた。
ゆっくりと起き上がろうとすると誰かにぐいっと強く手を引かれる。驚いて手を引いた相手を見ると、それはクリスだった。魔法陣の中に魔物は入れないので当然と言えば当然かも知れない。クリスはルーナを魔法陣の外に引っ張り出すと、そのままレミの方へに預けるように押しやった。
レミがルーナを抱き寄せて肩を抱く。
何が起きているのか理解できず、周囲を見回してしまった。
「てめぇ、ルーナには何もしないって言ったよな?」
ジェットが低い声を出す。これまで聞いたことがないくらいに怖い声で肩が震えてしまった。
しかし、そんなジェットの怒りなどどこ吹く風と言わんばかりのフェイは目を細めて笑う。
「嫌やなぁ。言うたやろ? 君らが帰って、く・る・ま・で・は、って。村から帰ってくるタイミングやったんやからちゃんと約束は守ってるで?」
「詭弁じゃねぇか」
「大体何もしとらんやん。ちょっと押し倒して手ぇ繋いだだけ」
「それは何もしてないとは言わなくない?!」
ジェットとルディがフェイに食って掛かる。が、フェイは相変わらずけろっとしていた。本人的には「何もしてない」ということらしい。
ルーナ自身、「何もされてない」とは思えなかった。流石に驚いたし、妙に身の危険を感じた。
さっきのことを思い出して身震いしたところでレミの手の力が強くなる。その手に少し安心していると、不意にクリスに顔を覗き込まれた。
「……ルーナさん、フェイがすみません。大丈夫でしたか?」
「クリスさん……え、えぇと、結果的には……?」
「他に何かされませんでしたか?」
「い、いえ……普通に話してただけ、です」
「そうですか……」
クリスは目を伏せて思案し始めてしまった。
そう、途中までは普通に話をしていただけだったのだ。「嫌なら嫌と言え」、「三人をどう思っているのかちゃんと伝えろ」と、正直無駄な話だったとは思えない。フェイの言うことには妙な説得力があり、納得できてしまったのだ。
見れば、フェイは宙にふわふわと浮いてジェットとルディを見下ろしている。
双方の間にはピリついた空気があり、一触即発だ。
「それ以外は話をしとっただけやで? それに、君らは自分に感謝すると思うわ」
にっこりと笑うフェイ。この部屋に味方なんて一人もいないのにかなり勝ち気かつ余裕綽々な態度だった。
「感謝? そんなものするとは思えないが」
「いやいやいや。するで、きっと。──ルーナちゃん、さっき自分が言ったこと忘れんでな」
フェイは笑ってウィンクを寄越してきた。自分の言ったことに間違いはないと言わんばかりだ。
反応に困ってしまったが、控えめに頷いておく。
すると、レミ、ジェット、ルディの三人が信じられないものを見る目をルーナに向けてきた。その視線に耐えられずに俯くしかなかった。
「──フェイ。私に説教をしておいて自分はこれですか? 流石に目に余りますよ」
「それはそれ、これはこれ。ていうか、自分は君みたいに自分のためだけに動いてへんもん。
今のルーナちゃんの反応見たやろ? 自分なりにルーナちゃんにアドバイスしただけやで。……まぁ、ルーナちゃんが可愛くてちょっと我慢ができんかったのは悪かったわ」
フェイは何を言われても態度を変えなさそうだ。
くるりと空中で一回転してからゆっくりと着地する。
「ルーナちゃん。今回は不可抗力やけど、そいつらの傍離れたらあかんで。
邪な下心を持った相手が君に近付くかもしれへんし、君はそいつらの弱点になっとるからな。
ま。てなわけで、一旦退散するわ。ルーナちゃんが悪いわけやないから、怒ったりするんやないで」
言い終わるや否や、その場でくるっと回ったフェイの姿が消えてしまった。灰色と黒の羽が周囲に舞い、ひらひらと床に落ちていく。
それを見届けたクリスがため息をついて一歩前に出た。
「フェイがすみません。話をしてきます」
そう言ってクリスもふっと姿を消した。
二人共まるでジェットのように消えてしまうものだから、目を白黒させて彼らがいたはずの場所を見つめる。
四人だけになったところで、またもやルディに両肩をがしっと掴まれた。
「ルーナ! 本当に何もされてない?!」
「さ、さっきの以外は何も……」
クリスとのやり取りを聞いていたはずだが、クリスが信用できないのか再度同じことを聞いてくるルディ。見上げるとレミもジェットも疑わしげな視線を向けている。
フェイが言っていた「どこが好き?」や「どう思っているのか」という言葉が思い出され、急激に恥ずかしくなってきた。
これまで明確に意識したことがなかった。
なのに、いきなり気持ちが明確になって戸惑う。
かーっと顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「ま、さか、本当は何かされたのか!?」
今度はレミが焦った様子でルーナの顔を覗き込んできた。綺麗な顔が眼前に広がり、余計に意識してしまう。こんなに綺麗な人とこれまでどうやって接して、どう会話していたのか思い出せない。
ルーナは焦るあまりレミからふいっと顔を背けた。
「さ、さ、されてないったら! ほ、ほんとうに、は、話を、してた、だけ……」
「じゃあ何を話したんだよ。あいつ、忘れるなって言ってたけど、どんな話?」
「そ、れは……」
詰問口調のジェットを前にしどろもどろになる。三人に囲まれていることもあって、どんどん逃げ場がなくなっていった。
さっきフェイと話していたことをそのまま三人に話せるわけがない。
話すとしたら──それは自分の気持ちを伝えることになってしまうのだ。
どうやって伝えたら良いのかもわからないのに口できるはずもなかった。
三人を押し留めるように両手を胸の前に出して顔を背けつつ、何とか話題を変えられないかと脳みそをフル回転させた。
「そっ! そう言えば、あの、じゅ、呪術師の人、は……あの、綺麗な女の人──」
三人とクリスは呪術師の様子を見に行っていると、フェイが言っていた。
途中まで言って口を押さえる。解呪の前にも同じことを言おうとして言えなかったが、今は言える。やはり解呪は成功しているのだ。
「……そっか。『呪い』、解けてるんだ……」
あまり実感がなかったが、『呪い』の影響で話せなかったことが話せてホッとした。
が、そんなルーナの安堵とは裏腹にレミがどこか怒ったような顔をしてルーナの左手を掴んだ。ルーナは『呪い』が解けたことを実感していたのに、レミはそうではないらしい。
「へっ?!」
「ああ。『呪い』は解けているのだから、この指輪はもういらないな」
左手の薬指にある銀の指輪。レミが憎々しげに見つめている。
「え、あ、えぇ……? ど、どうしたの、急に──」
「ずっと目障りだったんだ。左手の薬指に、指輪が嵌まっているのが……」
「え? えっ?」
話がどうにも噛み合わない。
目を白黒させている間にレミが掴んだ左手にジェットの手が伸びてきて、薬指に嵌まった指輪をするりと抜いてしまった。
一瞬だけ不安になったが、以前のように嫌な感じは一切しない。ルディが焦って声を荒げることもない。
本当に『呪い』は解けたんだ──と思ったところで、ジェットが指輪を握り込んだ。そして次に手を開いた時には灰になってしまった。
はらはらと落ちる灰を見つめると、ルディが笑って顔を覗き込んでくる。
「よかったね、ルーナ」
「う、うん。あの……呪術師の人、は……?」
「ルーナが気にすることじゃない」
思いのほか冷たい響きだった。驚いていると、レミがそっと手を離してルーナの頭を撫でる。
「……気にしなくて良い。受けるべき報いを受けただけだ」
「そうそう、ルーナは気にしなくていいよ。……ルーナが怖がることも、怖がらせるものも、もう何もないからね」
はぐらかされたように感じた。
レミもルディも何か隠しているように思えたが、踏み込むなとも言われているようで言葉が出てこない。二人の顔を交互に見つめてみると、二人ともいつものように微笑むだけである。
何か言いたくても言えなくて、一度口を閉ざすしかなかった。




