147.何もしなかった君へ
村の中が「火事だ!」とにわかに騒がしくなり、それまで寝ていた村人たちが次々と出て来て燃えている家へと向かう。火の回りが非常に早く、あっという間に家は炎に包まれてしまった。家の前にはたくさんの人たちがいて、老人二人が呆然とへたり込んでいる。
ルディは村人たちに見つからないよう、少し離れたところから家が燃える様を見つめていた。
「綺麗だよね~。僕、火って好きなんだ~」
そう言って視線を向け、笑いかけた先。
そこにはマチアスがいる。やけにルーナに固執する村の少年だ。
ルディは火事で村人が次々に家から出てくるのを眺め、匂いを辿ってマチアスの家の近くで待機していた。自分が姿を現せば必ず追ってくるだろうと思っての行動である。
案の定、ルディの姿を見つけたマチアスは火事そっちのけでルディを追いかけてきた。獣の姿ではなく人間の姿だったので、ウィートの街で見た姿を覚えていたのだろう。
燃え盛る家と消火活動をする村人たちから距離を取っていた。二人がいる場所は物陰になっているため、消火活動に必死な村人たちには見つからない位置になっている。
マチアスは黙ってルディを睨みつけていた。しかし、ルディには彼に睨まれても何も感じない。
「そんなに睨んでも怖くないからね」
「……あの火事、アンタがやったのか……?!」
ルディは少し驚いた顔をしてから燃える家を見た。
炎はまるで生き物のように蠢き、家を食い荒らしていく。水をいくらかけても火の勢いは衰えなかった。かと行って、隣家に燃え広がる様子も見せない。その家だけを確実に燃やしていった。
視線を戻し、軽く肩を竦める。
「まさか。なんで僕がやったと思うのさ」
「あの家は、ルーナの祖父母の家だからだよ……!」
「そうなんだ? 燃やされて困るの? ──いい気味だ、って思わない?」
目を細めて笑うとマチアスはばつが悪そうな顔をした。ふいっと顔を背けてしまう。
無論、ルディは今燃えている家が元々ルーナが暮らしていた家だと知っている。匂いが残っていたからだ、そのことをジェットに教えたのもまたルディだったので知らないはずがない。
マチアスがぎゅうっと握りこぶしを固く握りしめ、唇を震わせる。意を決したようにルディを真っ直ぐ見つめた。
「……アンタ、やっぱりルーナのこと知ってるんだな。ウィートの街で会ったのもルーナだったんだろ……」
今更の話題である。もうとっくに済んだ話だ。
しかし、マチアスの心にずっとあったことなのだろう。大人たちとともに屋敷に来た時だって、ずっとルーナを気にしていた。
そのことが、もうずっとルディを面白くない気分にさせる。
「だから?」
「だから、って……」
「街で会ったルーナはキミのことを見て怯えて、怖がって『お兄さん』に抱き着いてたでしょ。それが全てだよ」
お前は必要ないのだと暗に言う。
マチアスは悔しそうな顔をして、手が白くなるほどに拳を強く握りしめていた。
「大体さ、キミはルーナが苦しんでいる時に何かしてあげた? 小さい時、ルーナはキミにいじめられたって言ってたよ」
「そ、れはっ……!!」
大方「好きだったけど関わり方がわからなくてからかったり意地悪をしてしまった」というくだらないオチだろう。考えるだけでうんざりする。そんなのはマチアスの勝手な理由に過ぎないし、一々聞いてやる義理もない。
マチアスの言葉を待たずにルディは続ける。
「ルーナ言ってたよ。キミのこと、小さい頃からずっと苦手だって」
笑いながら言うと、マチアスがひどくショックを受けた顔をした。握りしめていた手が緩み、呆然とした表情でルディを見つめている。
「いや、なんでそんなショック受けてるの? 小さい頃は虐めてて、その後は無視してたんでしょ? どうして好かれると思うわけ?
キミ、ルーナに嫌われることしかしてないじゃん。
そんなキミをルーナが頼るなんてあり得ないし、会って怯えるのは当然でしょ」
マチアスはぶんぶんと首を振って、頭を押さえた。
「ち、ちが……で、でも、しょうがなかったんだ。た、助けたかったけど、手を貸すとババァがうるさくて、余計にルーナがぶたれて……小さい頃だって、ほ、他のやつとばかり遊んでるから、ちょっとこっち見て欲しかっただけで──お、おれだって色々悩んでたんだ……!」
心底呆れる。
どうしてこんなことが言えるんだろう。どうして何もしなかったんだろう。
自分のことしか見えてない言い分に吐き気がするほどだった。
そして──どうしてか、その姿が過去の無知だった自分と少しだけ重なる。それが余計にルディを苛立たせ、彼への悪感情を増幅させていた。
自分の中の気持ちを吐き出すように深いため息をついて、彼を無感情に見つめる。
「あっそ。キミはそうやってずっとしょうがなかったって唱えてればいいよ。
もう二度とルーナはこの村に戻らないし、キミの前に姿を表すことなんてないからね」
マチアスが弾かれたように顔を上げ、「どうして」と言わんばかりの顔でルディを見つめていた。
「当たり前でしょ? キミを見て怯えるんだよ? なんで会わせると思うの?
ルーナが嫌な気持ちになるもの全てから遠ざけて守ってあげたいの、僕は。その力があるからね、キミと違って。
ああ、そうだ。お礼くらいは言わないとね」
薄く笑うとマチアスが疲れたような顔をしていた。これまでずっと「しょうがない」と思いながらルーナを想い続けて来たところに他者の言葉が降ってきたのだ。疲れても当然だろう。
しかし、ルディはもっともっとマチアスを追い詰めて、現実を知らせたかった。
「キミが何もしなかったおかげで、ルーナが僕たちのものになったんだもん。感謝してるよ、ありがとね」
にっこりと笑う。マチアスは目を見開いていた。唇がわなわなと震えている。
「ぼ、ぼく、たち、って……」
「街で見たでしょ? ルーナのことは僕たちが大切にするから、キミはルーナのことはさっさと忘れてね。キミみたいな人間の記憶の中にルーナがいて、脳内とは言え汚されるかと思ったら殺したくなっちゃうからさ。
好きな子一人守れないクズなんだって自覚してひっそり生きてってね」
言い終わるとルディはどこかすっきりした気分で踵を返した。流石にこれだけ言えば二度とルーナに関わろうなんて思えないはずだ。これまで何もしてこなかった人間が今更行動できるとも思えない。
言いたいことを言い終えたので、屋敷に戻るために歩き出す。
が、帰ろうとしたルディの肩をマチアスが掴んだ。
「ま、待て……!」
立ち止まり、肩越しにマチアスを振り返った。真剣な表情でルディを見つめている。これを逃したらもう二度とルーナとの接点が持てないとわかっているかのようだ。
もう一度ため息をつき、その手を振り払う。
軽くやったつもりだったのにマチアスはよろめき、その場に尻餅をついてしまった。
「弱いなぁ。そんなんでルーナを守ろうなんてどういうつもり?」
尻餅をついたマチアスの視線がどんどん上に上がっていく。
──ルディは変身を解き、人間から魔獣へと姿を変えていた。普段ルーナの前に立つ狼程度のサイズではなく、屋敷に人間たちが来た時と同じサイズだ。ジェットの視線と同じくらいなので、人間からするとかなり大きく見えるだろう。
マチアスの目は恐怖でいっぱいになり、歯をガチガチと鳴らしている。
「あ、あ、……あん、た……や、やしき、の」
「そーだよ。あの時はキミのしつこさにびっくりしちゃった。
──もう二度とルーナに関わらないでね」
鼻先がくっつきそうになる距離まで顔を近づけて言い放つ。
マチアスはそれ以上何も言えず、ただ震えているだけだったが、やがて目がぐるんと動き、気絶してしまった。ばたん、とその場に倒れ込む。
情けない姿を見下ろしてため息をつき、肩を落とした。
「……本当に弱い」
「おい、ルディ。こんなところで魔獣になるな、見つかるぞ」
「え? いやいや、ここなら物陰になって見えないでしょ」
ジェットがどこからか姿を現して呆れた声を出す。
しかし、ルディだってそれくらいはちゃんと考えて行動している。すぐ傍には物置のようなものがあり、それが丁度影になっているはずなのだ。それに他の村人たちは消火活動に必死で、周囲の様子など気にしてない。
とは言え、魔獣の姿が目立つのは確かなので、ゆっくりと人間の姿に戻る。
「ねー、ジェット。コイツの記憶操作して。さっきの僕とのやり取りは変な夢だった、って感じに」
「……貸しだからな」
ありがとうと笑えば、ジェットは「調子の良いやつ」と呆れた。
いつもそうしているように黒い霧のようなものでマチアスの体を包み込み、記憶の操作をする。さっきの脅しでも十分だったと思うが、これで街でのことや屋敷に訪れた時のことは線で結ぶことはできなくなったはずだ。
悪い夢に苛まれ続ければ良い。
そう思いながら、ジェットともに村を離れていく。
「パウラはレミかクリスが殺しちゃったっぽいけど大丈夫かな~?」
「まだ殺してない。そのうち野犬に喰われてる死ぬけど」
「ふーん? じゃあ、村人が屋敷のことを気にしたりは──」
「前脅したし、記憶の操作もしたし、吸血鬼の存在はなかったことになってるし……パウラが死んだら下手に手は出してこないだろ。あこの村に訪れる人間なんてほとんどいねぇし、もう二度とわざわざ屋敷に行こうなんて思わないだろうしな」
森の中を移動して屋敷に向かいながら話をする。
村との接点はなくなると思って良さそうだ。少なくともジェットはそう考えているらしい。
パウラという呪術師がいなくなってしまえばこの村の中で何かできる人間いない。実害はない上に、何ならルディのおかげで周囲の魔獣は減っているくらいなのだから王国に報告しても動きはしないだろう。
「なら大丈夫だね~」と笑いながら、屋敷へ帰るのだった。




