144.終わりを告げるために
パウラの毒の血を飲んでしまったせいで魔力が半減している上に回復も遅い。
血を飲めばある程度回復するのはわかっていたが、パウラの血を飲んだ時の気持ち悪さが蘇ってしまって、どうしても飲む気になれなかった。
喉を焼き、臓腑を腐らせるかと思った毒の血。パウラもよくあんな血を自分の体に宿していたものだ。
フェイの手の中で揺れる小瓶。
ルーナの血には興味がある。飲みたいかと問われれば、飲みたい。
しかし、血に対する拒絶反応以外に問題があった。
レミにしては恐る恐るジェットとルディの顔色を伺う。
二人は白けた顔をしてレミへと視線を向けていた。少なからずその視線に戸惑っているとフェイがおかしそうに笑う。
「自分はそっちの都合は知らへんで。解決は君らでしてや」
レミが何に戸惑うのか、フェイはわかっているようだった。
──ルーナの『何か』をこんな形で、ジェットとルディを差し置いて手に入れていいのか。
何も言わないでいるとジェットが大きくため息をついた。
「パウラのことはお前の責任だからな。お前がケリをつけろよ。お前が手を下すなら、俺は一切手出しはしない」
「レミが何もできない状態なら僕が、って思ってたけどね。僕のことを下賤な獣とか言ってきて気分悪いし、レミがやってくれるなら任せるよ。ジェットの言う通り、あのヒトのことはレミの不始末だと思うし?」
返答を聞いて驚く。二人共率先してパウラを殺したがると思っていた。実際、そんな雰囲気があった。
なのに、パウラのことはレミの責任だと言う。パウラの思惑に気付かず、呑気に交流をしていたレミに問題はあった。自分でケリをつけろ、というジェットの言い分は最もだった。二人共レミの尻拭いなど真っ平ごめんだと言っているのだ。
気遣いとも言える二人の言動を聞き、レミは肩を落とした。
「良いんだな、もらっても」
「飲めるんならな」
「吐き出したら許さないからね」
念押しのように聞けば、即座に返事があった。ジェットとルディの表情には何の嘘もない。
「けどさ、レミ。不可抗力とは言え、ルーナの血を飲んだって事実は消えないからね。直接噛みついて飲むわけじゃないから許してるだけだよ、僕たちは」
ルディが真面目に、それでいて笑みを浮かべながら言った。
流石にそれは理解している。
仕方ないから認めているだけで、多少なりとも面白くない気持ちは存在しているのだと。
そっと視線を伏せて頷いた。
「わかってる。──フェイ、血をくれ。それで終わらせてくる」
「ん、了解。まぁ、わかっとるやろうけど、間違っても自分の手で終わらせたとかルーナちゃんに言うなや?」
「それくらいは理解している」
フェイが差し出した小瓶を受け取る。
これまで血を飲むことを想像しただけで気持ち悪くなった。しかし、手の中にある血に対してはそんな気持ちは湧いてこない。
どんな味がするのか、という興味だけだ。
「……ジェット、ルディ」
「あ?」
「何?」
「オレはこれを飲んだら村に行き、パウラを始末してくるが……お前たちはどうするんだ」
小瓶の蓋を取る前に聞く。まさか二人共留守番をするつもりなのか。あれほど村の人間に怒っていたのに。
レミの心配とは裏腹に、二人は顔を見合わせて肩を竦めた。
「ルーナを苦しめた元凶にちょっと用があるだけ。殺したりはしないから安心しろよ」
「僕もこの機会にちょっとだけやりたいことがあるんだよね」
どうやら二人の目的は別にあるらしい。どちらも村の人間のようだ。
これまでどれだけ苛立っても怒りを覚えてもルーナが復讐をしたいとは言わなかったし、そもそも人間に危害を加えることをレミが窘めていたから二人共思い留まっていただけだ。
『呪い』が解け、自由になったルーナを前にして、最後の落とし前をつけに行きたいのだろう。
村を焼くでもなく、無差別に人間を傷付けるつもりはないようなので、レミは関与しないことにした。
二人の意思確認が終わった後、クリスへと視線を向ける。
「クリス」
「え? はい、なんでしょう」
「お前はオレと一緒に来て欲しい」
「は、はぁ。それは構いませんが、どうしてですか?」
「──興味はないのか? あの『呪い』を生み出した人間の知識に」
淡々と聞けば、クリスは目を見開いた。
ルーナにかけられた『呪い』はクリスの知らないものだったはずだ。そのからくり、そこに至るまでの知識がひょっとしたらクリスの願いを助けるものになるかもしれない。
最も、レミの思惑は全く別のところにあったが、クリスはそれを薄っすらと察しているだろう。
意図を理解したクリスは楽しげに笑った。
「ふふ、お気遣いありがとうございます。その人の知識には確かに興味がありますね。最近、知識を求めることが若干疎かになっていた自覚もあります。ぜひ、お供させてください」
クリスは嬉しそうに笑う。
これでレミとクリスはパウラのところに、ジェットとルディは別の人間のところに行くことが決まった。
残りはフェイだ。
「自分は留守番しとるわ。相手は全部人間やろ? 流石に自分は手ぇ出したくないし、万が一があるかもしれへんからルーナちゃん見とくで。それでええやろ?」
「フェイ。ぜーったい変なことしないでね?」
「嫌やわぁ。何度も言うとるやん? 相手から求められない限りは何もせん、って。──まぁ、そうじゃなくても《ルーナちゃんにはほんまに何もせんで。君らが帰ってくるまでは、な》」
信用されてないと察したフェイはこの間と同じようにレミたちに言質を与えた。
流石に気を失っているルーナに何かするとは思えないが、保険としては十分な効果を持つ。ルディだけではなく、レミもジェットも「よし」と言わんばかりに頷いた。
話がまとまったところで、レミはようやく小瓶の蓋を開ける。
ふわりと鼻腔を擽る血の香り。これまでで一番美味しそうな香りだった。
これを飲んでしまったらきっと他の人間の血など飲めなくなってしまうのだろうなと自嘲気味に笑ってから、小瓶を口元に持っていく。
ほんの僅かに躊躇ってから、小瓶の中の血を全て喉に流し込んだ。
これまで口にしたどんな血よりも甘い。だが、浄化と毒を中和するために他者の手が加わっているからか、薄い上に雑味があった。血への拒絶反応は一切なく、漠然と「足りない」と感じる。しかし、これ以上欲することはできない。
フェイの言った通り、レミの体を蝕んでいた毒の効果が少し軽くなったこれまで制限されていたことができる上に多少日光に当たるくらいは大丈夫そうだ。
「フェイ」
「ん? 何やろ」
「……感謝する」
「お。めずらし~! ええんやで。ルーナちゃんのことを大事にするって誓ってくれれば」
「《無論だ》」
室内にいた全員が「お」と目を見開く。
言葉に魔力を与えることができる程度には力が回復しているのが一目瞭然だったからだろう。
レミはゆっくりと深呼吸をする。
これまで靄がかかったような世界がクリアになる。自分の魔力をはっきりと感じることができる。
村の方から確かにパウラの魔力を感じた。彼女の毒が相当自身に影響を及ぼしていたことを自覚してため息が漏れた。この仮は倍、いやそれ以上で返さなければ気が済まない。
「さて。では行こう。──この時間だ、ターゲット以外は上手く避けられるだろう。
ジェット、ルディ。無関係な人間は巻き込むなよ」
「わかってるっての。ちゃんと目星は付けてるから心配すんなよ」
「大丈夫だってば~。匂いを覚えてるから、他の人間とは絶対間違わないよ」
二人共気楽そうだった。相手が人間なので当たり前と言えば当たり前だ。
どちらかと言えば、心配されているのはレミだろう。病み上がりで本当に大丈夫かと視線が問いかけてくる。
パウラは今呪詛返しを食らった状態だ。対策をしていたとしても、全く影響がないわけではない。その隙をついて一気にケリをつけるつもりなのだ。
翌朝からはルーナと普段通りの生活が送れるはず──。
そんな期待感を胸に、四人は村へと向かるのだった。




