143.『呪詛返し』②
(あの綺麗な女の人が?)
レミに執着し、レミを害した相手。
『呪い』をかけられた時、彼女は自分の姿を隠すように目深にフードを被っていた。
しかし、邪魔だったのかフードを外す時が何度かあり、その姿を見てしまったのだ。目を丸くするルーナを見た彼女はどこか楽しげに笑っていたので、今思えば見せつけるためにわざわざ姿を晒したのかもしれない。
その時は何も思わなかった。
いや、世の中こんなに綺麗な人がいるんだ、という浅い感想しか抱かなかった。自分はもう死ぬのだからと人生を諦めていたのもある。
レミの口ぶりから、彼女のことをよく思ってないのは伝わってきた。
それまで綺麗な女の人という認識であっても無味無臭だった呪術師の輪郭がはっきりとしてくる。
「 」
術者のことを喋れないのをすっかり忘れたまま口を開いてしまった。以前と同じようにルーナは口をパクパクと動かすだけだ。
「あの綺麗な人がレミの知り合いだったの?」と聞きたかったのだが声が出ない。
思わず喉を押さえた。
「……ルーナちゃん、解呪が終わるまでは呪術師の情報は喋れへんで。呪術師を指すような言葉が含まれる発言は全部制限される」
フェイがやや呆れながら言う。その表情はルーナが何を言いたかったのかわかっているようなものだったので思わず視線を逸らしてしまった。
昨日と同じ感情だったのだ。
彼女がレミに執着している、つまりは想いを寄せているという事実にモヤモヤする。こんなに素敵な人なのだから沢山の人に好かれていてもおかしくはないと分かっているのに、だ。
たったそれだけのことで、呪詛返しに同意などしていいものなのだろうか。もちろんレミに「オレを助けると思って」と言われたことも影響しているが、レミを害したという事実に対してやり返したい気持ちが出てきてしまったのだ。
自分がひどく身勝手に思える。
ルーナは余計に混乱してしまい、頭を押さえた。レミを控えめに見つめる。
「それで……レミが助かるの?」
「ああ、今後あいつの存在や気配に警戒しなくて済む」
レミは迷いなく頷いた。
「ならいいのかな」と思った直後、『呪い』を受けた呪術師のその後を考える。
「……でも、それって私が……こ、ころす、ことに、」
最後まで言い切れず、俯いてしまう。
それは──ルーナの意思で殺したことになるのではないだろうか。自分が傷付けられることはあっても、他人を傷付けるなどしたことはなく、ましてや殺したこともないルーナにはあまりに重い事実だった。
ルーナはごくごく普通の人間だ。
自分の選択ひとつで誰かの命を奪うなんて考えたこともない。
殺すくらいなら殺された方がいい。そう考える程度には、善良で普通の人間だった。
「ルーナさん、それは違いますよ。元々相手が貴女を殺そうとしたんです。それに呪詛返しをしても、恐らく相手は死んだりしませんよ」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。相手はかなり力のある方のようです。呪詛返しを受けた時のことだって当然考えて対策をしているでしょう。だから、貴女が気にしなくても大丈夫です」
それまで黙っていたクリスが優しく言う。
少し心が軽くなる。『呪い』を診てくれたクリスが言うのであれば大丈夫だろう。彼はこれまでルーナに対して嘘はつかなかったし、他のみんなの反応を見ても嘘ではなさそうだ。
クリスは続ける。
「ルーナさん、貴女はもっと我儘に生きても大丈夫ですよ。幸い、貴女の我儘を実現してくれる存在がいますし」
そう言ってレミ、ジェット、ルディの三人を見た。三人は何かわかりやすい反応をすることはなかった。かと言って、クリスの言葉を否定するような素振りも見せない。
以前にも、三人を信じなければ、と口にしたところだ。
ゆっくりと深呼吸をした。
「……レミ、クリスさんの言ったこと、本当?」
「──ああ。あいつは簡単には死なないだろう。間違っても呪詛返しでは死なない」
「そう……。……気が咎める、けど……わかった。呪詛返しで……お、お願い、します」
こわごわと、迷いながらも自分の意思を口にし、フェイを見つめた。言い終わったところで頭を下げる。
数秒頭を下げてからそっと頭を上げるとフェイがすっきりとした笑顔でこちらを見ている。
「よかったぁ! それでもヤダって言われたらどないしよって思っとったわ。
ほんなら早速やろか!」
「え、も、もう?!」
「早ければ早いほどええんやって。──さ、ルーナちゃんこっちおいで」
フェイは手招きをしていつもの魔法陣の中に入るように言う。
すぐにやるとは思わなかった。が、よくよく考えれば昨日解呪をするという話だったのに、クリスが途中で変なことを言い出したせいで中断されたのだ。実際は予定より一日遅れているのだからフェイが急かすのも当然かもしれない。
ルーナは言われた通りに魔法陣に入る。指輪を外してフェイに預けた。
魔法陣は黄緑色に発光しており、その光は相変わらず神秘的だった。
本当にようやく『呪い』が解けるのか──と思いながら、胸の前で手を組んだ。
「……クリス。やる?」
「いえ、遠慮します。イェレミアスさんたちがよく思わないでしょうから」
「あっそ」
フェイがクリスをちらりと見るがクリスは首を振る。見ればクリスの言葉通り、レミたちは良い反応を見せなかった。
「そんじゃ始めるわ。……ちょっと、こう、びっくりするかもしれへんけど、魔法陣の中からは出んといてな」
「え? は、はい」
何がなんだかわからないがとりあえず頷いた。
フェイはゆっくりと両手を翳す。
ふわりと魔法陣の中の空気が動いた。ふわりと毛先が浮き、スカートが翻りそうになった。
これくらいでは別に驚いたりしないが──と不思議に思ったところで、目の前にいるフェイの背中から灰色から黒が入り交じった一対の羽がバサッと広がった。
目を見開いてその羽を凝視する。
天使の羽ではない。天使の羽だったら白いはずだ。根本は黒、羽先は灰色になっている。彼が堕天使であることの証なのだろう。
驚きはしても、自分の『呪い』を解いてくれる相手に何か言える立場にない。
魔法陣から白い光が浮かび上がり、ルーナの体を包み込んでいく。
『呪い』があると言われた背中や胸、骨盤のあたりに少し熱を感じる。
それでいて、自分の中から何かが消えていくような──不思議な感覚だった。
ゆっくりと何かが抜けていく。
同時に意識が遠のく。眠りつく寸前のような、そんな感覚。
体が軽くなったと感じた瞬間、ルーナは意識を失った。
◆ ◆ ◆
意識を失ったルーナの体をフェイが慌てて抱きとめる。そして魔法陣の中にそっと寝かせた。
「よっしゃ、成功。ばっちり術者に返ったで。今頃びっくりしとるやろな」
「ち、ちょっと?! ルーナ大丈夫なの?!」
ルディが慌てて魔法陣に近づき、その中で気を失っているルーナを見る。人体に負担の少ない方法だと聞いていたのだ。驚くのも無理はない。
フェイはルディを見て肩を竦める。
「緊張が一気に解けたみたいなもん。気ぃ失っとるだけやから大丈夫やで。遅くとも翌朝には目ぇ覚ますわ」
「……な、なら、いい、けど」
気楽なセリフにルディが戸惑いながら渋々と頷いた。こと、人間についてフェイは嘘をつかない。能力とそこは信用ができた。
「お疲れ様です、フェイ」
呪詛返しを終えたフェイにクリスが労いの言葉をかける。
本来天使に呪詛返しなどできないのだが、彼は堕天使であるが故に天使としては使えない能力も有していた。代わりに天使特有の神聖力などはかなり低下しているらしい。
そして、フェイは魔法陣から出てにやりと笑う。
「さて、と。ここからが本題。──君たち、これからどうする? 呪術師を野放しにする気はないんやろ?」
「当然だ」
「当たり前だろ」
「このまま生きて逃がすつもりはないよ」
レミはもちろん、ジェットもルディも頷く。解呪が終わるまでは、と何もせずにいたのだ。ルーナから『呪い』が消えたのであれば遠慮する理由などない。
三人の返事を聞いたフェイはとても機嫌良さそうに頷いた。
「ええね、そういうの大好き。……でも、レミ君は力が半減中なんやない?」
う。と、レミが言葉に詰まった。全く何もできないわけではないが、以前のように魔力を振るうことができない。療養とルーナが作ってくれた食事のおかげでいくらか回復はしているが、それでも全く足りていなかった。
レミの反応を見たフェイは笑みを深め、どこからか小瓶を一つ取り出す。
「そんなレミ君に朗報やで。こちら、こないだもらったルーナちゃんの血を浄化したものです。
レミ君の中にある毒もある程度は中和できると思うし、呪術師を殺すくらいならこれで十分やろ。──どう? いらへん?」
レミは目を見開き、フェイは楽しそうに笑っていた。




