142.『呪詛返し』①
寝間着のまま、アインたちと一緒に厨房へと向かう。
途中ですれ違ったトレーズが目をまんまるにしてダッシュで近付いてくる。
「ルーナ!? どうしましたの、着替えは?」
「え、あ……ちょ、ちょっと、色々……」
まさかジェットと離れたくて着替えをせずに出てきたとは言いづらかった。アインはルーナの気持ちを汲んでか、特に口を挟んでこない。
トレーズは困った顔をしてルーナをじっと見つめる。
「うーん……やっぱり寝間着のままうろつくのは良くないですわ。部屋から服を持って参りますので後で着替えてくださいましね」
何か事情があると悟ったトレーズはあまりうるさくは言わなかった。取ってきてくれるということだったので少々ほっとする。部屋はいくらでもあるので着替える場所には困らない。
トレーズに「ありがとう」と礼を言って離れた。
ただ、トレーズに指摘されたおかげで寝間着なのが気になってしまう。髪の毛だけはジェットが結ってくれたのでアンバランスなことになっている。
綺麗に結われた髪に触れた。
お互いに昨日のことを謝ったが、ジェットに「普通に暮らした方が良い」などと言われてまたギクシャクしてしまった。昨日はルーナが追い詰められている感じだったのに、今日はジェットの方が立場が弱かったように感じる。
何故だろうと思いながら歩いていると、階段の横に差し掛かったところでふっと影が落ちた。
「ルーナ」
呼び止められて階上を見上げるとレミとルディがいた。数段上にいるだけだが、随分遠く感じた。
ルディはともかく、またレミが朝から活動していることに驚く。ただ、丁度日が差し込まない位置になっており、二人共ここでルーナのことを待ち伏せしていたようだった。
「……レ、レミ。ルディ……」
顔をひと目だけ見て、すぐに視線を逸らす。
多分二人にも昨日の嘘がバレているのだろう。見知らぬ女の人といるだなんて考えるだけでも嫌だったのに。その場の勢いとは言え、決して平気ではなかった。
そのことを言われるのだと思い、腕に抱いたアインをぎゅうっと抱きしめてしまった。アインが「ぐえ」と声を上げていたがルーナの耳にはうまく聞こえていない。
「昨日は悪かった。笑ったりして」
「僕もごめんね。気分悪かったよね、反省してる」
降ってきた言葉はルーナが考えていたものじゃなかった。
謝罪された、と気付いてから、恐る恐る二人を見上げる。二人は申し訳無さそうな顔をし、どこかハラハラしたような様子でルーナを見つめていた。
思わずぽかんと二人の顔を馬鹿みたいに見つめ返してしまう。
「……わ、たしも、ごめん、なさい。急に、怒って……」
「僕たちが笑っちゃったからでしょ? 怒って当然だよ」
「でも……」
そもそも自分が嘘ついたからで──。
そうは思っても、口に出す勇気が持てなかった。「本当は平気じゃない」と伝えることが、ひどく恥ずかしいのだ。
「良いんだ、気にしなくて。全てにおいてオレたちが悪かった」
「そんな──」
「本当に良いんだ。もし、ルーナがオレたちに何か言いたいことがあればいつでも言ってくれ。……待ってるから」
ぎゅう。と、心臓が締め付けられるような心地だった。
レミとルディはルーナの嘘を糾弾しない。話題にも出さない。嘘だったとわかっているはずなのに。
申し訳無さと正体不明の切なさがルーナを襲う。
「僕も待ってるから。仲直り、してくれる?」
「……うん。ごめ──」
「そうじゃないよ、ルーナ」
優しく見つめられて更に胸が締め付けられた。
「あ、りがとう」
「うん、その方が良いな。あとね、僕とレミに免じてジェットのことも許して欲しいんだ。悪気は……ひょっとしなくてもめちゃくちゃあるかもしれないけどね」
「本人も少し混乱してるんだ。……恐らく初めてのことだろうから」
ルディの言葉に頷きかけ、レミの言葉に首を傾げてしまった。
初めてのこと、とは?
何のことを言っているのかさっぱりわからないが、断る理由はない。昨日の夜は明確に喧嘩をしたと感じるが、今日の朝のことは喧嘩とまではいかない。ただ、双方の意見が食い違っただけ。次にジェットと顔を合わせても普通にしていられる、と思う。
やや控えめに、こくりと頷いた。
「う、うん。よくわからないけど……えっと、大丈夫。昨日のことは、お互いに謝ったし……」
「「えっ?」」
レミとルディは目を見開き、互いに顔を見合わせていた。改めてルーナを見つめる。
「ジェットが、謝った……?」
「うん、朝部屋に来て……」
「ちゃ、ちゃんと謝ってた?」
「い、いちおう? その後、ちょっと意見が食い違っちゃったけど……多分大丈夫、だと思う……」
そう言うと二人は再度顔を見合わせていた。
ひょっとしたレミもルディも三人でこの場で謝りたかったのかもしれない。しかし、ジェットが不在、もとい先にルーナの元に来たので呼ぶに呼べなかったのではないか。なんだか変な展開だった。
「ちなみに、意見が食い違ったって、どういうこと?」
ルディに問われて、少し視線を伏せる。
思い出してみてもいまいち釈然としなかった。
「……ジェット。私に、普通に暮らした方が良いって言ったの。でも、私は今更普通には暮らせないと思うし、そもそもジェットの言葉は本心じゃないみたいで……な、なんか、ごめんね。上手く話せないや」
顔を上げて「えへへ」と笑う。レミもルディもどこか呆けた顔をしてた。
が、我に返ったルディが階段をひょいっと超えてきてルーナの前に立つ。そして昨日のようにガシッと両肩を掴んできた。
「ルーナは、別に普通に暮らしたいとは思ってない、ってこと、だよね……?」
「う、うん。……今の暮らしが、えっと、幸せだよ?」
「はーーー、よかったぁ……っと、ごめんね」
ルディが脱力し、慌てて両手を離す。レミは少し考え込んでいたが、ゆっくりと顔を上げた。
「ルーナ、引き止めて悪かった。厨房に向かうといい」
「え? うん、わかった。ありがとう」
レミに促されるままアインを抱いて厨房へと向かう。肩越しに二人を振り返るが、既にその場にはいなかった。
先日と違って厨房には誰もおらず、久々に一人での食事となったのだった。
◇ ◇ ◇
その日の夜、昨日できなかった解呪を改めて行うということでもう一度部屋に呼び出されていた。
無論、ルーナだけでなくレミもジェットもルディもいる。ジェットは昨日までと変わらないように見えた。
「昨日はごめんな~。ルーナちゃんもはよ解呪したいやろうし、方針決めよ。
ルーナちゃんの要望である『呪い』の浄化は却下、レミ君たちの言うようにに術者本人に『呪い』を返す……つまり、呪詛返しをする形で行くけどええよな?」
何故か場をフェイが仕切っている。
これまでずっと話を続けていたクリスは黙っていた。どうやらフェイの「お説教」とやらの影響らしい。にこやかに話をしていたクリスが黙っているのは違和感があったが、ルーナに言えることなど何もなかった。
が、フェイの「方針」には口を挟まずにはいられない。
「じゅ、呪詛返しって……!」
「ルーナちゃん。例えば罪を犯した人間は裁かれるし、相応の罰を受けるやろ?
それと同じや。何も関係ない人間に『呪い』なんぞかけといて自分は悠々自適に暮らすなんてあり得へん」
これまでのにこにこしていたフェイとは随分違う印象がある。顔は真剣そのもので、ルーナの判断への強い拒否感を感じた。
戸惑いながらレミたちを見るが、何も言おうとしない。昨日と同じ意見と言うことだろう。
どうしても気が咎める。
すぐに頷けずにいるとフェイが小さくため息をついた。
「……。……あんなぁ、ルーナちゃん。レ……ジェ……いや、あり得んな。ルディ君が同じ目に遭っても同じこと言うん?」
フェイはレミとジェットの名を先に挙げようとして、首を振ってルディに言い換えた。ルディは微妙な顔をしていたがここで敢えて口は挟んで来ない。
「そ、れは、」
「自己犠牲の精神とか他人への気遣い? みたいなんはそりゃ結構やけど……それを受けて感謝したり罪悪感持つ奴もおる一方で、ただラッキーって感じるだけの奴もおるんや。ルーナちゃんに『呪い』をかけた奴は間違いなく後者。
何より、こいつらはルーナちゃんの身を案じとる。見知らぬ誰かよりも、近くにおる奴を大切にしたってや」
言われていることはわかる。
フェイの言う例え話のようにルディが『呪い』をかけられて、術者本人がのうのうと暮らしていたらどうにか仕返しをしたいと考えたはずだ。やり返したい、なんて自分が思う人が来るとは思わなかったが、自分が好きな相手を傷付けられたら嫌だ。場合によっては憎んでしまうかもしれない。
もう一度三人を振り返ってみるが、やはり表情は変わらない。
ルーナの気持ちを支持してくれる相手はいなかった。
やがて、レミが重々しくため息をつき、ゆっくりと口を開いた。
「……ルーナ、お前に『呪い』をかけた相手だが、……オレの知り合いだ。
オレに執着するあまりオレを害そうと画策した。今療養を必要としているのもそいつのせいだ。その上、無関係なお前に『呪い』をかけたんだ。
オレを助けると思って『呪い』をあいつに返してくれ」
目を見開き、レミを穴があかんばかりに見つめる。
まさかそこに繋がりがあるとは思わなかった。




